2019年1月29日火曜日

見張り台からずっと

そういえば「見張り台からずっと」、エリック・クラプトンの曲にあったよなあと。
記録を残すにあたりWikipediaで調べたらボブ・ディラン。
ああ、わたしの洋楽知識ってそんなレベル...。笑

このタイトルを見たとき、洋楽の曲のタイトルということは知っていたんだけれど、ひとつの舞台(街とか)で見張り台のような全体を見回しながら善意の持ち主が外部から入り込む「悪意」から守るような物語なのかなあと思っていた。
例えばパソコンに入ってくるウイルスの侵入を防ぐウイルスバスターのような男性の物語。
例えば森の静寂を守るようなガーディアン的なひとの物語。
そのような聖者が輝くような物語ではなかった。
くどいが初めての重松清が「くちぶえ番長」だった私には同じ作者なの?と面食らうばかり。

作家になって駆け出しのころに執筆されたとのことで、重松清本来の書きたいものは「カラス」のように世間でつまはじきになっても尚そこで踏みとどまざるを得ないような境遇のひとを(見張り塔のような)全体を見回せるところから中立的な目線で事実(重松清のフィクションだけど、事実のように感じてくる)を綴っている。
あとがきで書かれれているので初めて知った、重松清、作家になる以前はフリーライター、ゴーストライターだったんだと。
そのころかにはたくさんの事件や事故を見聞きしてきただろうし、事件前夜の事情も事件後の顛末も。酸いも甘いもかみ分けて(たいていが酸いほうだろうけど)蓄積された記憶や記録から物語を紡いでいるんだろうなあ。

今作3編のうちもっとも背筋がゾクッとしたのは「扉を開けて」
一見開放的なタイトルだけれど、この扉、開けてはいけない...。
実は読み返すだけの気力が湧いてこない。


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