2012年9月20日木曜日

99ブルース

「99blues」
初出は「Cafe Bohemia」

歌詞に言う。
フェイクしたスマイルはとても淋しい
フェイクしたスタイルはとても淋しい

私が属する今の組織、何もかもが表に浮かび上がる事象、現象を並べ立てて「できている」「できていない」と区分けし、選別し、その結果に対して責任を転嫁しているように感じる。
あるいは、転嫁すらすることなく、責任を放棄しているのではないか?と感じることも増えてきた。
経営者は目の前の効率を希求し、組織を縦割りにし、セクショナリズムに溺れている。
Aという結果はXという組織が為した結果だと決めつける。
その裏にはYやZといった協力者がいるかいないか、それはどうでもいい。
そんな風潮が蔓延している(ユーモアもない、真実もない)

そこで成功したといって笑っている経営者(得意げな顔したこの街のリーダー!!)の笑顔は淋しいを通り過ぎて「さもしい」と映る
高効率で高生産な結果を出したという資料(シナリオのちぇっくに忙しい!!)を作成することを義務づける組織のスタイルは淋しいと通り過ぎて「呪わしい」

3ヶ月に一度の本来大切なことは打ち出した方針に対して正しく進めているのか、いないのか?
を確認しあうこと。
それがすり替えられている、経営者にとって都合のいい事象(ビジネスのSexuality!!)に。

でも。
この文章は何も私が属する組織に留まらず、これを読んだ人の組織にも当てはまるのではないだろうか?
そして、もっと想像することが怖いのだが。
この日本という国家組織にも当てはまるのではなかろうか?

この曲は何度も連呼する
「いつも本当に欲しいものが手に入れられない」と。





クライマーズ・ハイ

「新・平家物語」を読むスピードが、何をどうしても上がらず、我が読解力は老化の方へ向い始めたのだろうか?
ということを確かめたくなった。
結果を書くと、読み進めるスピードは概ねこれまでと同じだったので安心した次第。
一冊ものでベストセラー、現代を舞台にしたものがよかろうと思い、この「クライマーズ・ハイ」を手に取る。
およそ一年前に読んだ「沈まぬ太陽」と同じ「日航機墜落事故」を扱ったこの本も「沈まぬ太陽」同様、数年前には映画化されている

あちら(「沈まぬ太陽」)が事故に向かって求心的なのに比して、こちら(「クライマーズ・ハイ」)は素材として扱っているように感じる。
こう書くと作者が事故に対して真摯に向き合っていないように感じる方もいらっしゃるかもしれないが、作者自身がこの事故時にリアルタイムで取材の当事者になられた経緯があることを思えば、当時の生々しさをありのままに伝えることが「悼む」ことではないという思いが強いのだ、と考える。

文中に、群馬県に墜落したもらい事故だとボヤく主人公らの声があるけれども、それだって決してあの事故に遭われて命を落とした方々やご遺族に対して冒涜しているような表現には感じられない。

チャンス、成功、栄光、そういった類を目前にして主人公は時に決断を誤り、時に決断ができずに挫折を味わい、コンプレックスに苛まれる。
結果として彼は名声を得ることはなく、一地方の記者で社会人人生を終えてしまう。


「降りるために登るんさ」という親友の言葉。
様々な考えがよぎった。
誰もが人生のピークを迎える。その頂から足元をふらつかせずに降りていくことは想像以上に難しいい。
いや、頂から降りるときのことを考えて生きている人は稀だろう。
私、現在この主人公悠木と同じくらいの年齢を迎えている。
仕事面でいけば、今が一番巷間に言われる「脂の乗り切った時期」なんだと思う。
いつかは衰え、後輩に座席を譲るときが来る。そのときに潔くありたいと考える。
それができるかどうかは未知のことだが、「降りるために登るんさ」の答えは私にとってはそういったことだ。






2012年9月2日日曜日

ラ・ヴィータ・エ・ベラ

「La Vita e Bella」
次作アルバムで初お目見え予定

3.11の大震災の翌日に佐野元春は自身のWebsiteで詩を披露した。
「それを希望と名づけよう」という詩、それがこの「La Vita e Bella」の源泉なんだと信じている。

震災の2日後に迎えた誕生日、人々がただただ途方に呉れて、被害に遭われた方々への哀悼の意を表す手段としてあらゆるものを自粛していこうとする中で、佐野元春は
「君が光を放つことで、友を弔うんだ」
と、メッセージを発した。
受動ではなく能動で行け!というメッセージに、私は衝撃を受けたし、勇気づけられた。

私には大震災ほどの劇的な出来事は発生していないけれども、それでもこれまでの人生には幾つかの劇的な出来事が起きて、今がある。
今でもトラブルも抱えているし、思うようにいかなくて自暴自棄になることだってあった。

この曲を初めてZeppなんばで聴いた。
「君が愛しい、理由はない」
「言えることはたったひとつ、この先へもっと」
にシビれた。

次に聴いたのはBlue Live Hiroshima
「朝は誰にでも訪れる」
ごく当たり前の事象を佐野元春は力強く歌い上げた。

絶望に打ちひしがれている人に、その先に待っているのは絶望ではないかもしれない、希望が待っているかもしれない。

大震災に発した災害、事故で途方にくれている人に。
命を軽く扱おうとしている加害者に、被害者に。

佐野元春、生の賛歌、渾身の詩。