2019年3月18日月曜日

グリーンブック

19年、4作目

巷間言われているようで、7年前に公開された「最強のふたり」に通じるような作風。
肌の色が異なる、そして地位や環境の異なるふたりが旅をするにつれ、「差別」と向き合う。
今作がアカデミー賞を獲得したのは、映画界からの無言の意思表明だと感じている。
「ひとをひととして遇し、そのひとの性格や能力をあるがままに見つめて受け入れる社会を!」
そういえば昨年2018年のアカデミー賞作品も半魚人という異端の存在を慈しむ女性とのラブストーリーだったし。

とかく何かと「かすまびしい」米国のトップ。
きっと彼の本音は「異端なものは排除していきたい」
誰しも異端なものを受け入れるにはそれぞれの心の障壁の高さによりけりなんだろうけれど、彼の障壁は宇宙に届くくらい高いのだろう。

黒人が差別されていることが当たり前の1960年代の事実をベースにした作品。
(エンドロールでふたりのショットが観れる。私は観ながらうっすらと温かい涙が出ました。どうもこのような作品には涙腺がもろくなってきた)

声高に「差別なんてしてはいけない!!」と訴えているわけではなく。
静かに「かつて世界には肌の色が異なるだけでこんなに理不尽なことが行われていた」
そのような眼差しを感じて、鑑賞後は穏やかな気持ちを得られた作品。

本人だってイタ公と差別されている境遇の移民系白人が天才ピアニストになったが故の上流階級に属する黒人の南部へのツアーへのボディガード兼マネージャーとして旅する。
この旅に欠かせないガイド本が「グリーンブック」
白人しか泊めることを許さない宿泊施設、黒人しか泊めることしかできない宿泊施設

中盤でのケンタッキー・フライド・チキンのくだりは本当に可笑しくて。
後半のレストランのくだりは本当に腹ただしくて。

中盤のパトカーと後半のパトカーが当時の現実を両方映し出しているのだろうか。
とことん侮蔑していく姿、フラットなスタンスで接する姿。

あんなガサツで無学な旦那さんがうっとりするようなラブレターを書けるはずもなく。
親愛なるの「Dear」と「Deer」とスペルを間違えるような旦那さん。
ところどころにクスリと笑える話が織り込んでいられて障壁が低い作品でした。

2019年3月10日日曜日

ちいさな独裁者

19年、3作目

自分なりにここ数年の世界のありように危機感を抱いている証なのか、ナチス政権を題材にした作品が目に付く。
同時期に公開されていた「ナチス第三の男」も気になったが、残念ながらタイミングが合わず観にいけず。
数年前には「帰ってきたヒトラー」、これは観た。
序盤のコメディタッチのようでありながら、時間を追うごとに(誇張も混じるけど)背筋が凍るような怖さを感じた。

この作品、たかだか20歳の小僧がナチス将校の制服を手に入れたがために起こる惨劇。
彼が手に入れたことで人生が狂う「悲劇」ではない。
彼が自ら人生を狂わせて多くのひとびとから略奪し・殺戮する「惨劇」
囚人を濠のなかに入れて銃で殺戮していくシーンに眼をそむけたくなった。
そして劇中に彼が偽ナチスだと気づいていながら彼の惨劇に参加し、加担し、能動的に邪悪な道へ踏み込んでいく。
頭脳を誰かに預けてしまえば楽だ、自分もこの仲間入りが容易にできるだろうと思う。
まさに「肝が冷える」思いをした映画。

どうやら事実ではこれ以上の惨劇を指示したらしいと聞く。
それがどのような事実なのか聞く勇気の持ち合わせがない。
人間はどこまでも残酷になっていける。どこまでも、どこまでも。

ドイツは国策で過去のドイツが他国に与えた苦痛を目を背けずに教育していると聞く。
パロディですらヒトラーを模倣することも禁じられているそう。
ドイツは真正面から自国の過去の姿を見つめる。
ドイツの国のありようには敬意を感じる、良心をなくすことなくユーロを守っていってほしい。

ヘレディタリー 継承

19年、2作目

連れがホラー映画を観に行こうということで。
こういう手合いのホラー映画(家族が舞台設定されている)は小学校から中学校のころに金曜ロードショー(当時は木曜か水曜だったかな)などでみた「悪魔が棲む家」(たぶんこんな感じのタイトル)で、タイトルどおり悪魔が家に潜り込んでいて、最後は地下室で父親が対峙して必死に格闘して退治、祓うという作品。

ヘレディタリーも家族四人(父・母・息子・娘)が悪魔と対峙して父親が最後には退治に乗り出す、それに似たような作品なんだろうと思いきや。
主役は母。
母が悪魔と対峙する?80年代とは今では女性の立場も随分と変わったし、ちょっとひ弱な感じがぬぐえない父よりも強面(女優さんごめんなさい)の母が矢面に立つのだろうか?
娘もヘンな子、だけど息子は今風なちょっとヤンチャな奴だし。
という序盤・中盤を乗り越えていく。

決定的に違うのは物語が進むにつれて、家族の結束が解かれていくところ。
80年代の記憶の作品では父(つまり親)は子どもを守るために斧や銃を手にしていくのに、この作品は父親は母を錯乱したと嘆くし、息子は母へ不信を募らせる。
家族の崩壊。これがいちばんの怖さなのかもしれない。

日本人の宗教への知識が乏しいわたしにはこの作品の悪魔の存在の衝撃度の温度感は測りかねるのだけれど、キリスト教に造詣が深いひとにはものすごい衝撃なんだろうなあ。

エンドロールで場違いなほど爽やかな曲が流れた。
爽やかな朝の訪れと共に聴きたくなるようなメロディ。
バッドエンディングにこの曲。
映画は架空だから、鑑賞し終えた今は爽やかな気持ちを取り戻してください。
とでも言いたいのだろうか?