2012年1月22日日曜日

秀吉の枷(下)

この本を手に取るあなたへ

後継者不足と内助の功が得られないトップの末路を知りたければ。


晩年の秀吉の解釈として「これはこれであり」だと思う。
.....というか、晩年の秀吉の具体的な有様は読みたくもないし、知りたくもないという気持ちが強い。
木下藤吉郎時代の彼と豊臣秀吉時代の彼が同じ人物だとはどうしても思えない。
権力というものはこれほど人を変えてしまうものなのか?
そもそも秀吉に天下取りを奨めた竹中半兵衛、もし彼が存命していたら晩年の秀吉を見たら、どんな気持ちがするのだろう

かつての部下前野将右衛門が権力者秀吉の過去を懐かしみながら果てていくくだりが印象に深く残る。
この巻のクライマックスはここだと思う。

夢のまた夢が死の床以前から秀吉の脳裏をかすめている展開に、「あ、そうかもな」と思った。

全体を通して暗い話が多くて、自分自身の生気を吸い取られていくような気持ちがする。
権力者にはならないほうが賢明なようだ。

秀吉の枷(中)

この本を手に取るあなたへ

偉人と呼ばれる人の「偉くない」面、言い換えればドロドロとした内に篭っている澱のようなものを感じられる

山崎合戦から九州平定まで。
羽柴秀吉から豊臣秀吉になるまで。

信長の跡目相続のため、智謀の限りを尽し畿内の地盤を盤石なものとし、東海へ、四国へ、関東へ、九州へと並み居る武将どもを秀吉の傘下に治めていく時代
最も秀吉が輝いている時代の物語なのだが、勢力を拡大すると苦悩も比例していく。
1つは秀吉の血を引く直系子孫を授かることができない苦悩
もう1つは信長を葬った事実を隠匿しつづけ、怯え続ける苦悩

茶々(淀の方)との関係は双方とも屈折した感情から始まっている。
この2人のSEXはどんなものだったのだろう?
秀吉は目の前で抱いている茶々の顔の先あるお市を見ていた。
それでも尚秀吉は茶々を抱き続けたのだろうか?
抱かれる茶々に思いを巡らせても、私自身が女ではないためどういった感情になるのか想像にとどめておく。
茶々は秀吉が自分を通じて秀吉がお市を抱いていることに直ぐに気づいただろう。
では茶々は秀吉の顔の先に別の顔を見ていたのだろうか?
茶々の孤独。
それが延いては大坂の陣で大局を見据えることができずに豊臣を滅ぼす遠因になっていったのかもしれない。

秀吉は血筋を茶々に求め、快楽を竜子に求めた
他の女を抱いたのは浮気ではなく、子種を授かる可能性を求めたに過ぎない。
女漁りを諌める臣下もないままに関白殿下は欲望を満たしていく。
欲望を満たすのと反比例するように「人たらし」という藤吉郎の頃から持っていた特別能力を喪失し、パワハラ・セクハラトップへとその顔が変わっていくように感じる。

第六章 遺体は二度消える
第七章 阿弥陀寺
第八章 主をうつみ
第九章 心の闇
第十章 九州遠征

2012年1月21日土曜日

リアル・スティール

原題 「Real Steel」

2011年の漢字「絆」をテーマにしたような映画

日本では「ロボジー」、そして米国では「リアル・スティール」、どちらも不格好なロボットが登場する。
「ロボジー」が絆を家族が離れ離れに生活することを前提にしている。
対して「リアル・スティール」は絆を家族が寄り添うことを前提にしている。
かつて80年代に「クレイマー・クレイマー」をはじめとする家族が離れ離れになる現実を突きつけてきたお国柄なのに、という考えがよぎった。
物語が進むにつれて主人公らの関係は修復され、絆は深まっていく。
主人公と息子、主人公と恩師の娘、主人公と義姉
いずれの関係も「再生」されていく。
ロボット「ATOM」だって、再生のために壊れてしまったロボット「アンブッシュ」「ノイジーボーイ」からのパーツを組み入れることで甦る。
ロボットが自由な意思で動き始めることには「ターミネーター」の世界観であり、迎合できない感覚が強い。
そのため、この映画のロボットたちには「魂」(Sprit)は入っているけれど、「感情」(Emotion)は入っていない。
その極みが最終ラウンド直前のシーンであり、セコンドコーナーで主人公とロボットのboxingが映るシーン。
魂と感情をうまく分離している。
ベタベタな展開であるにも関わらず胸が躍った。
いやいや、素直にベタベタな展開だからこそ胸が躍った。
ひょっとして、「ロッキー」のようにATOMが「マ~ックス」(←息子の名)と叫ぶかもしれないと思ったが、それでは感情を持つことになるか。

ロボットの名前が「ATOM」(鉄腕アトム)
ロボットを動かすのは「リモコン」(鉄人28号)
日本人にとって、馴染みやすい、親しみやすいロボットだ。

2012年1月16日月曜日

ロボジー

劇場で予告編を観たときに、爆笑してしまった。
ロボットが小用を足し、それを目玉剥き出しで呆気に取られるサラリーマン(竹中直人)
エレベーターで屁をひるロボット、モーターが周り、臭いが拡散していき、社員が場を収拾させるべく自分が屁をひったように嘘をつく。

1980年代に青春を過ごした世代にとって映画に登場する等身大ロボットといえば「ターミネーター」なり「ロボコップ」がまず頭に浮かぶ
等身大に限らなければ「ガンダム」とか「ゲッターロボ」「マジンガーZ、」、基本のキ「鉄腕アトム」もいる。
映画で扱われるロボットと言えば高性能でスタイリッシュが必須条件だ。

その必須条件、常識を逆手に取っている。
その時点で私の負けだ。

超最先端のロボットの名前が「ニュー潮風」
しかも「潮風」は白物家電、洗濯機の愛称という、およそロボットらしからぬネーミング
アルファベットも数字も入っていない、R2D2やらT1000といった型式を表すものでもない。
最先端な割にアナログな名前だ
でも、そこにかつての技術王国日本の再生を願っているのかな、という考えも頭をかすめる。

ロボットの中に老人が入る。
日本が直面している超高齢化社会問題をさりげなく提示している。
孤独な老人が存在しなあければこの物語の展開はありえないのだし。
ただ面白いコメディというわけでもなく、数年先のことを予見している、そんな先見性も感じさせてくれる監督なんだろう。
「ウォーターボーイズ」、「スウィングガールズ」、「ハッピーフライト」も未見なのだが、この監督のオリジナリティには脱帽だ。

2012年1月15日日曜日

ミッション・インポッシブル ゴースト・プロトコル

原題 「Mission:Impossible GHOST PROTOCOL」

「Taht's王道!!」なCINEMA
美男・美女勢ぞろい、スクリーンにいながら世界旅行の気分を味わえる。

ドバイの高層ビルのシーンに仰け反り。
ブタペストの風景に見とれる。
ムンバイでのクラマックスにインドが一流国であることを味わう。

ハラハラドキドキもあるし、その途中で緊張から解き放ってくれるユーモラスなシーンも織り交ぜてくれて、退屈させることもない
緊張とリラックスのバランスが心地好い。
モスクワでの監視員の眼を欺くグッズを使ってのドキドキ感とクスクス感の同居。
ドバイでの高層ビル、高所恐怖症でなくとも、男性にしかないアレが縮み上がるほどの緊張感
21時からのレイトショーにも関わらず全く眠気に襲われることがなかった。

美女二人
ジェーン・カーター役のポーラ・パットン
ドバイでのスカイブルーのワンピースを纏ってのもう一人の美女アサシンとの格闘に眼を奪われる。
ムンバイでのダークグリーンのワンピースを纏っての富豪を誘惑するシーンでは、富豪と同じように鼻を伸ばして共に欲情

暗殺者役のレア・セドゥー
幕が開けてすぐに登場する彼女の鋭い眼光にノックアウト。
S級のドS女王様
思いっきりいじめられてみたい、もちろん、BEDの中で(照)

世の中に溢れている品物がデジタルなものになっていき、彼らのグッズも最先端の技術で製作されたスパイグッズなのに、アナログなオチがユルい気分にさせてくれる。
グローブしかり
公衆電話しかり

何も考えずにスカっと楽しめて、楽しい以外に何も残らない。
それでいい作品

悪人

「連れ」が会社の若人の結婚式に出席している間に暇つぶしで観賞した作品

登場人物を「善人」「悪人」に区分けするわけではなく、誰もが悪人の一面があるということを言いたいんだろうな、と感じたのは穿った観賞だったのだろうか?

人物の描写よりも、以下の3つの生ものを調理するシーンが眼に焼き付いている。
① 被害者母がエビの腸を串で取り出している
② 加害者祖母が魚のワタを包丁でサバいている
③ 主人公二人が逃走途中で寄った割烹でイカの活き作りが給される
自分の生命を維持するためには他の生命を奪って以下ざるを得ない残酷な現実
そんな虚無感を感じた。

演技は皆良かった。
主演二人(妻夫木聡・深津絵里)
きっかけの二人(満島ひかり・岡田将生)
ベテラン二人(柄本明・樹木希林)
作品が求めている役どころを十分に果たしている
......だけど、「貫かれる」という感覚を得ることができなかった。
それは主人公二人のストーリー以外の2つのクライマックスに原因がある。
① 被害者の父が娘が死ぬきっかけになった大学生に向けて言う「あんた、大切な人はおるね」
② 加害者祖母が悪徳商法の拠点に乗り込み騙された金を取り戻す
その2つのクライマックスへ向けた伏線が薄かった。
父はどうしてモンキースパナを降り下ろさなかったのか?
祖母はどうして金を取り戻そうと決意したのか?
クライマックスのシーンが良かっただけに、惜しい。

主演二人のキャスティングについて
妻夫木聡、深津絵里共に美男・美女なのが私が感情移入しにくかった原因だろう。
興行成績を気にかければどうしたって売れっ子を登用せざるをえないのだが、主演二人はもっと不細工な人をキャスティングすればいい。
あんな可愛いお嬢さんが紳士服量販店で勤め、彼氏がいない、退屈な日々を過ごし、その日常から抜け出したくて出会い系サイトへ登録することは想像できない。
生まれてこの方彼氏なし、駅前のオフィス街に勤めることが夢だった、私の人生何なんだろう?と迷っているような雰囲気を出せる女優さんであれば彼女が必死になって主人公へ愛を貫こうとすることが腑に落ちるのだろうに。

博多弁、長崎弁、佐賀弁、久留米弁といった方言が深味を作品の雰囲気に深味を与えることに寄与している。
九州出身の人間としては彼らが近しいところで生活をしているような錯覚を覚えることができる。
方言は偉大なり。

宇宙人ポール

原題 「Paul」
ゲット・ラウドと同じ映画館で観賞した作品

前夜遅くまでの夜ふかしをしたにも関わらず、休日にしては早い時刻に目覚めたは良いが、連れが置き出すのはいつもとさほど変わらない時刻(この起床時刻がのちのち影響に.....)
毎度のことだが、休日は朝食を朝と呼ばれる時刻に食べることはなく、ブランチになってしまう。
共に近所のパン屋で菓子パンでなく、珍しくフランスパンを購入
連れと簡単に調理を済ませて食べる。
その後、洗濯などの家事を済ませる。
連れはここ数ヶ月肩の調子が悪くマッサージを定期的に受けている、このマッサージを受けてから今作を「見に行こう」と連れ。
起床が早かった私、この時点で眠気が到来してきていたのだが、「行けるだろう」(眠らなくても観賞できるだろう)
開演時刻までは余裕があるはずなのに、今回のマッサージは入念に施術されいつもよりも長い時間が掛かっていた
待っている間に読んでいる「秀吉の枷」を100頁以上読んだ、通常なら50頁程度だろう。
ブランチのパンはとっくに消化して空腹、近くのコンビニでみたらし団子とホットお茶を買って映画館へGO!

概ねSF作品は大作でもなければ途中で睡魔に襲われる。
また、開演に余裕をもっていない状態で鑑賞するケースも「間に合った!!」という安堵感からか作品の後半にはウトウトするケースが多い....ように思える。
......というわけで、今作もラスト20分ぐらい(?)は意識がない。
おまけに、朝から摂取した水分は知れているのに、やたらとお小水が近い。
映画館に行く前にも1度、入館しても1度、劇中にも1度、終演後にも1度と2時間で4度もお手洗いに駆け込む始末。
だが、今作は決して連れの嗜好だけの理由で観賞しに赴いたわけではない。
作品紹介の画像(右側の画像)とあらすじを読んで「面白かろう、笑えるだろう」と踏んで、どちらかと言えば私の方から持ちかけた作品。

ああ、そうだ。
チケット窓口で300円割引してくれていた。
帰って調べるとでもなくHPを眺めてみたら「宇宙人は300円割引」と記載されていた。
この映画館、なかなか、いや、かなり粋な計らいをしてくれる、とても大切にしたい映画館だ。
ゲット・ラウドに続き睡眠2連敗の結果には誠に申し訳ない。

(途中で眠ったのに)作品について
最近の映画に登場してくる宇宙人は敵意を露にした生命体として登場してくる(スカイライン・世界侵略:ロサンゼルス決戦)
しかし、このPaulはすっかりアメリカナイズされている。
主人公二人よりもずっとシニカルでニヒルでリアリスト。
人生経験を積んでいる。
姿、出で立ちが人間と異なるだけ。
主人公二人と異星人の感情は通じる。
それなのに人間同士では通じ合えない。
主人公二人とアメ公二人は通じ合えない
娘と父親も通じ合えなかくなる(のかな?)

主義主張は異なっても相互理解しようよ!というメッセージを感じた。
スピルバーグ、過去の宇宙人映画へのオマージュが幾つも散りばめられている(私、その辺はあまり分かっていない)、映画オタクにはオマージュを幾つ見つけられるかが楽しいだろうが、それが分からなくても「通じる」ことの素晴らしさを感じられればいいのではななかろうか。

秀吉の枷(上)

この本を手に取るあなたへ

心の闇はどこから始まるのだろう?
自問自答しながら読んでみると、イヤな自分の一面を覗き込むかもしれません。

従来の秀吉像
本能の変以前は優秀な部下そのものである。
少年少女向けに書かれているまんが日本史をはじめ、太閤記と題名を掲げる読み物では織田信長に仕えている頃の秀吉には一片の野心もない。
一方、織田信長
閉塞感で行き詰まっている時代であればあるほど信長が為した事業、改革は良き見本、手本とされる。
時代を切り拓くには従来の手法、思考を否定するところから始まる。
秀吉・信長に抱くイメージは大雑把に纏めてしまえば、上のようなものに落ち着く人が大半ではなかろうか。

ところがこの本ではそのイメージを覆すような人物描写。
信長は横暴で吝嗇な為政者でしかない。
まして心に病も抱えている。
吝嗇な面、心の病を有する患者だと定義づける作者の発想が私にとってはとても新鮮。
これまでの神々しいまでの為政者から二段ほど階段を降りてきた、人間信長を感じる。

そして主人公秀吉
私は「本能寺の変の黒幕は秀吉だ」とする説をあながち笑い飛ばす気にはなれないほど、この説が出鱈目なものだとは思えない。
(まぁ、結構この説を信じている)
天下人になりたいという動機ではなく、このままでは信長の捨て駒にさせられ消耗品として扱われれば御の字、やがて統一され敵がいなくなれば信長によって殺されるのではないかという不安感があったと思う。
殺される前に殺す、という動機があった、と。
そこに渡りに船で明智光秀からの便りがあったのではなかろうか。
二人の間に信書が発見されていないようだが、トップシークレットだからこそ一切の証拠が残っていないのでは?

この小説では私の信じている説が採られているわけではないけれども、本能寺の変が光秀単独犯行は結果としてそうなったのだとしているこの説には一理あるなぁ、と考えさせられた。

枷とは「心の闇」だと置き換えてみたい、「コンプレックス」はニュアンスが異なる。
心の闇は誰の心にも眠る欲望(Desire)で、自分自身の中に根源があり、自身に横たわっている欲望に目覚めてしまえばその淵は深く際限がない。

コンプレックスは誰かと自分を比して劣っていることを認識する。
邂逅により他者への願望(Wish)が根源にある。
稀に自己肥大していく輩もいるのだが。
例えば「人斬り以蔵」で描かれている岡田以蔵はコンンプレックスを超えたにも関わらず自己肥大してしまった典型かな?

枷にきっかけが竹中半兵衛の遺言。
畏怖し続けた信長を心の中で見下し始める心の闇は上巻ではまだ浅く、時折揺れ動いたりしている。
STAR WARSのエピソードⅡの頃のアナキン・スカイウォーカーのようだ(適当な例だろうか?)

秀吉には二人の軍師が存在し、前期が竹中半兵衛、後期が黒田官兵衛
Brain機能がこの二人で、前野将右衛門、蜂須賀小六は実行部隊という図式が改めて読み取れる。

「信長の棺」、私にとっては面白くない、楽しくないの部類に入っていた本なのだが、この秀吉の枷を読み終えてもう一度読み直してみたいと思うようになっている。

以下目次
第一章 竹中半兵衛死す
第二章 諜報組織
第三章 覇王超え
第四章 天正十年
第五章 本能寺の変

2012年1月11日水曜日

ニュー・イヤーズ・イブ

原題 NEW YEAR'S EVE

公開直後に連れと観に行った作品
クリスマス・年末最終週の休日ということで映画館は満席、そもそもこの映画館は大型ショッピングモールの中にあるため、帰路のモールの駐車場から道に出るまで30分も掛かった。
2011年冬の映画は「ミッション・インポッシブル4」が筆頭で次ぐのが「リアル・スティール」あたりで、連れはこのどちらかに食指を動かすだろうと思いきや意外にも今作をチョイス。
恋人と一緒にロマンス映画を観に行く機会に恵まれていなかった連れにも、女性らしい一面がああるんだなぁ、と独り合点していたら。
理由が「John Bon Joviが出演しているんだもん」
ああ、そうですか.......
ロマンスを求めていたのはどうやら私のほうらしい(苦笑)

作品について
オムニバスのストーリーでそれぞれの人物が別のストーリーの人物と接点があるというもの。
8つのストーリーの人物がどの話の人物と繋がっていくのか想像と異なり、その繋がり方が巧みです。
中でもヒラリー・スワンク演じるタイムズスクエアのコーディネイターが会いに行きたい人はてっきりあの人だと思っていたのに、まんまとゲイリー・マーシャルの術中にハマってしまいました。

2011年は国外・国内とも耳に入ってくるニュースは驚天動地なものばかりで震災、原発、ユーロ危機、円高、洪水などなど、世界はあんまり明るくない。
2012年は事態が改善すること、「福来る」の報を望んでいる人が至るところにいるし、そんな世界へゲイリー・マーシャルからの贈り物の作品だと感じている。
この作品が名作と呼ばれない時代が来ればいいなぁ、と思う。
今作が名作と評されている間はあまり世界がハッピーではないのだろうから。

それにしてもNYCはオシャレな街だ。
観賞して2週間ほど経過している今、思い当たることがある。
O・HENRY(高校の英語のテキストに出てくる「賢者の贈り物」や「最後の一葉」でお馴染み)が書いていたNYCと繋がるなぁ、と。
世界に向けて発信する文化(今作ではミシェル・ファイファーがクリアしていくスポットが顕著)や男女の会話がオシャレだし、命が終わり、命が始まり、命を生むための愛の物語が描かれている。
O・HENRYが生きた時代は車ではなく馬車だし、電力もないのだけど。
人と人が織りなすことは何時の時代も普遍だ。

最も好みのストーリーはミシェル・ファイファーとザック・エフロン(最後まで彼だとは気づかなかった)のもの。
ワーカーホリックの連れも一番好んでいた様子
自己投影しているのではなかろうか?

エンディングロールのお茶目集・NG集、ロバート・デ・ニーロとハル・ベリーのお茶目に爆笑してしまった。

そうそう。
エレベーターでかわい子ちゃんと二人っきりで閉じ込められたいというシチュエーションを映像化してくれてありがとう。
エロ心が先行せずに高校生・大学生の頃のピュアな心に帰れたような気分に浸ることができた。

映画鑑賞後、街中へ移動してイルミネーションを眺めながらのひとときを過ごした。
今作の余韻に浸った私はいつになく直球勝負で連れに愛の言葉を投げ込んだ。

2012年1月5日木曜日

あなたの知らないガリバー旅行記

この本を手に取るあなたへ
もしもあなたが純真で無垢な人だと自負しているのであれば、この世界はそれでは乗り切れないことを知る
もしもあなたが皮肉屋さんでシニカルな人であるならば、18世紀の一流の皮肉のスピリッツを知る
もしもあなたが幼い頃にカジった程度であるならば、大人の視線での読み方があることを知る

阿刀田高、古典鑑賞読本出版順で言えば3冊目に当たる
私の読んだ順で言えば8冊目にあたる(はず)
ギリシア神話、古事記、旧約聖書、新約聖書、シェイクスピア、ホメロス、アラビアンナイト
もはや古典解説書は阿刀田高のライフワークと呼んでも差し支えないだろう。
分厚い原作や敷居の高い古典を、比喩などに代表されるように現代に置き換え、咀嚼することで、「イメージしやすく」私たち読者の前に提示してくれる。

今でも「ギリシア神話を知っていますか」は秀逸な一冊で、購入すればその時だけ読み、読み返すことの少ない私が4度ほどは読み返している名作だし、Best of Bestの入門書。
西洋の世界への扉を開いてくれた一冊だ。

それに比して言えば、「あなたの知らないガリバー旅行記」、導こうとする話が脱線しまくるし、脱線の幅が大きい。
ということは阿刀田高はこの古典を咀嚼する過程で相当難儀な苦労を重ねたではなかろうか?
「締切を過ぎているけどまだ執筆中」、のような泣き言が交じっている章もあるし。
話が脱線する分だけミステリー小説家阿刀田高の小説創作のコツ、ノウハウが散りばめられており、「なるほどそうやってあのブラックユーモアは出来上がるんだなぁ」と頷首しながら読む。
何に対しても興味を持ち、疑問を持ち、自分が見ていないもの、触っていないものに対して「本当かな?」というスタンス
そこから幾つかのネタを繋ぎ合わせて、組み合わせていくことで、読み手が「ああ、そうそう」と納得性の高い「承」が出来上がり、「ええ~~~~っ」という驚天動地の「転」「結」が出来上がる。

西洋の物語にはあまり親しんだことがないのだが、ガリバー旅行記は小学校三年生か四年生の頃に読んだ記憶がある。
泣き祖父からのプレゼントだったのか、それとも母親あたりからのプレゼントだったのだろうか。
小人の国に行って、髪の毛を杭に打ちつけられているイラストが記憶の一片に残っているだけでその小人は日本人だということを後年になって別の書籍かムック本で眺めた記憶もある。
ガリバーが何のために旅行に出たのか?故郷に帰れたのか?
序の部分も、結の部分も全く記憶に残っていないのは一に私の記憶力が乏しいこと、二に私の読解力が弱いこと、そして三にスウィフトが「起」「結」にはさほど熱心ではなかったからなのではなかろうか?ということに行き当った。

「ないない尽しの国」で、極楽はイメージしづらいのに比して地獄のイメージのしやすさの話を「なるほどなぁ」と思いながら読み進めた。
ガリバーが行ったフウイヌム国を想像したスウィフトという人は世捨て人の側面もかなり強かったんだろうな。
例えばFacebookで友人申請しても彼の性格からして拒否されるだろうから友人になれそうもない。
......ただ、スウィフトの性格、ひねくれた時の私の性格と良く似ているんだよな。

以下目次
小人国の風景
卵はどこから割るか
グロテスクな女体
もし教育の国へ行ったなら
百科全書の作り方
人は死すべきもの
孔子は七十になって馬になる
ないない尽しの国
読心家具はいかが
死とともに消ゆ
貧しい人に愛の手を
白いときには黒を言う