2019年7月19日金曜日

鬼平犯科帳(2巻)

1巻を読んだら、2巻に手が伸びるのは当たり前。
この巻から木村忠吾が登場する。
RPG「ドラゴンクエスト」(Ⅰ-Ⅶまでプレイしたかなあ)の呪文「パルプンテ」
効果は唱えてみないと分からないというリスキーな呪文。
忠吾の存在はまるでパルプンテのよう。
谷中いろは茶屋、お雪の乳房の2篇を読み、火盗の誰もが予想だにしないことを巻き起こす忠吾に愛称をつけるなら「パルプンテ忠吾」だな。

男女の事情での池波名言
女の場合、男の裏切りを知った時男よりも相手の女を憎む。
男はその反対だという。

そっかあ、だから女同士の会話って「腹の探り合い」みたいなものが多いのね。

人間の本性を見抜く池波名言
習慣は性格になるという

ああ、これ。
よく企業のお手洗いなどにも標語のようなもの見かけます。

2巻での一番読み応えがあるのは「妖盗葵小僧」
史実がベースにあり、そこから池波先生の創作が発展してエンターテインメント性が高い物語になっている
下世話なことが大好きな私にはポルノチックな展開を是非とも映像化してほしいところだけれど。
でもいちばんのポイントは鬼平がロクな取り調べをせずに、一身に非難を浴びることを覚悟のうえ小僧を刑に処すくだりだな。

テレビで演じた俳優さんの残像が強くて、読んでいて中村吉右衛門やお美としのりの顔がちらつくけれど、令和の時代に新しいキャストで製作すると仮定して。
誰が鬼平に?パルプンテ忠吾に?
それを考えながら読んでいる。
間抜けな盗賊にひとりにはフットボールアワーのボケの岩尾さん。
こすっからい盗賊の色男風に相方の後藤さん。




2019年7月10日水曜日

鬼平犯科帳(1巻)

単純明快でスカッとなれる、そんな作品が読みたくて数年ぶりに手に取った。
小房の粂八がまだ盗賊で、鶴やにも携わっていない。
この先なくてはならない存在になっていくひとなのだが、執筆時点では池波正太郎の脳内で粂八は最初からそのようになっていたんだろう。
何かの本で池波正太郎だけでなく小説家は、自ら生み出したキャラクターが自分の手を離れ独り立ちし読み手たちの世界へ駆け出していくんだ、それを否定したり路線変更することは無理が生じると書かれていた。
粂八もそのようにして池波正太郎ワールドを自由に駆け巡ったんだろう。(自由というのは鬼平に仕える身だから語弊があるかもしれないが。

本所・桜屋敷
やっぱり涙しちゃうなあ。
昔好きだった女のことはいつまでも忘れられないのが男
常に今しか生きていないのが女
他の篇、他の作品でも度々活字になっている池波正太郎の金言。

50年以前に執筆されている作品なのに、まったく古臭くない。
また、この50年前(奇しくもわたしと同い年だ)ですら、世の中の人と人の繋がりが希薄になったと文にある。
21世紀、令和の時代を天国から見ている池波正太郎の叱責を誰か文章にしてほしいもの。

「わたしが社長をやらせてもらっています」
そんな文章や言葉を聞いた日にゃ、長谷川平蔵が「ふふ」と笑われて相手にしてもらえんと思うよ。

2019年7月7日日曜日

図書館戦争

あ、そういえば。
この作品も映画化されて主演は岡田准一。
(やっぱり岡田君が好みらしい、わたし...。)

映画化もされ、アニメにもなっているんだね、この小説。
わたしは映像ものは未見で、文字だけで読み進めた。
のだが、この世界観が今一つ肌に感じることができずに読み進めるのにとても時間がかかった。
会話のところは小気味よく、テンポよく進められるのでそこは問題ない。

検閲制度が横行し、それに対抗する存在が図書館というのはわかるのだけれど。
なぜ、それが武装化しているのかが馴染めず。
最も読むのに苦労したのがミリタリーに関する事柄かなあ。

王子さまが実は教官、というのは読者でれば誰でもすぐに予測できます。
まぁ、そこが月9のドラマのノリ風なんだけどね。

シリーズ化された続編を手に取るかどうか。(;^_^A

アラジン

19年、9作目
50歳を過ぎたオッサンが金曜日の夜(一般的にデートする夜)にいそいそと鑑賞に赴いた。
アベンジャーズはスルーしたし、ゴジラもスルーしそうな勢いなのに。
アラジンを観に行くなんて、我ながら気恥ずかしく感じていた。
アニメのアラジンは観たことないし、物語のアラジンも知らない。
鑑賞の大きな動機は「一般教養としてアラジンを知る機会と思え」

自分自身が予想していた以上に感激してしまった。
感激のポイント
1)主人公ふたりは有色人種
  これ、かなり画期的なんじゃないかと。且つ白人が殆ど主要キャストにいない。
2)王女の決断
  このところ国もそうだし、勤務する会社も「女性活躍」を声高に叫んでいる。
  活躍のステージは誰かに与えられるものではなく、自分で勝ち取るもの。
3)ディズニーはいつだって、どれであれ妥協しない
  アラジンが王子に扮装してジャスミンのもとへ来るパレード
  圧巻。

将来の愛子親王の境遇などに思いを馳せながら、ジャスミン王女の決断にふっと涙してしまった。


ザ・ファブル

19年、8作目
どうしたって仕事をしているとストレスは溜まる。

作業そのもののストレス(PCがまともに動作しない)もあれば「あいつ」に起因するストレス。
誰しも対人関係だし、それも所属する部門に限定されることが圧倒的。
なんでこんなこと書くかといえば、2019年のこの時点わたしの心は少なからず病んでいるから。
その相手はふたり。
そのうちのひとりについて書くと、このひと数年前までは経営責任者だったひとだが、お役御免になってからの劣化が著しい。
顕著なことは
1)就業時間中ほぼ居眠り
2)公私混同が著しい(忘れ物をしたと言っては社用車で自宅に帰る)
3)言葉を発すれば怒ってばかり(叱るではなく怒る)

そんなおっさんの目の前んして毎日勤務していると、ときにブッパナシたくなる。
弾丸、罵詈雑言、ほうき、ちりとり、ゼムクリップ。
脳内でなんども上記以外のものも何度もブッパナしている。

前段をダラダラを書いたけれど、そんなストレスを発散、いや、解放されたくてこの映画を観に行った。

ジャニーズのうち、わたしがもっとも好きなのは岡田君なんだろうなあ、と淡く自己分析しながら。(永遠のゼロは観に行ったし、他にも彼が主演の時代劇はかなり気になっていたし)
そんな彼。
まぁ、「脱ぎっぷり」がよろしい。
全裸ショットが幾つもあり、「こりゃ岡田くんのファン女子はたまらんやろ!」というほど相当な露出っぷり。
ごちそうさまでした。

序盤の殺し屋本領発揮の料亭での殺しまくるシーンだけでも、冒頭のストレス源のおっさんに見立てながら、ガンガンに脳内で抹殺しまくり。(スカッ!と爽やか!)

男性陣のいかれっぷり、気に入っています。
向井理もかつての「ボンボンでいいひと」キャラクターから脱皮していこうとする意欲は感じられる。
柳楽優弥はなんでもできるユーティリティな道を進んでいる。

木村文乃が演じた役どころ、女殺し屋のエッセンスが散りばめられてほしい。
酒豪にしか見えないシーンに「スキのなさ」のエッセンスだな。
クライマックスのマドンナ救出作戦のくだり、作品中では省かれていたんだけど、この見せ方には賛成。
主人公は岡田君のファブルなんだしね。

山本美月が演じたマドンナ、かなり可愛い。
惚れた。
彼女のような顔立ち、わたしのDNAに「好き」とインプットされているに違いない。