2013年4月29日月曜日

オイエディプス王

作者:ソポクレテス
訳者:藤沢令夫

ギリシア神話、西洋古典に親しもう!!を合言葉にして、1年に1冊はこういった類の本を読むようにしている。
例えば村上春樹の「海辺のカフカ」は、オイディプス王と通じるところがあるし、現代のミステリーのトリックは、ここから派生した手法なんだろうし。

旋舞歌を生で聴いてみたいな、と思う。
文字を眼で追ってもこの世界に浸れない。

自分が捕らえたい人物は自分であったという結末
知らぬ間に父親を殺し
知らぬ間に母親と床を共にする

でも。このオイディプス王が当時の人々に訴えたいことは何だったのだろう?
神の力は王(権力者)よりも偉大だ!ということなんだろうか。
王であれ、何人であれ、自らが発した布令は絶対的であり、不条理な事象であれ遵守することを求めたかったのだろうか?

巻末のアリストテレスの批評、知的好奇心を満たされる。

ギリシア神話、それから私をギリシア神話の世界に導いてくれた阿刀田高の関連書籍を読んでいく折に触れてこの本を手に取ることになっていくのだろう。
ありがとう、アトーダ先生!





2013年4月28日日曜日

ライジング・ドラゴン

やってみたい
けど、ホントにやったら失神すると思う
ジャッキー・チェンの映画は、中学生の頃に大流行したカンフーものを、テレビの月曜洋画劇場(TBS系、荻昌弘が解説していた)で視聴して、翌日にはカンフーの真似事を休憩時間の教室や廊下、放課後の体育館などで「アチョー」とかしていたことと直結する。
蛇拳、酔拳、笑拳が筆頭に思い出されるタイトル。

80年代以降のジャッキーの作品を意図的に視聴したことは皆無といって差し支えない。
90年代以降のポリスストーリーや、ハリウッド進出したラッシュアワーなど、タイトルはぼんやりと知っているけれど、観たいと強烈に感じることはなかった。

そう。例えば今月曜ロードショーで90年代以降のジャッキー作品が放映されたとしても食い入るように観ることはない。
私にとってジャッキー・チェンとは中学生時代の成長過程で忘却の彼方に押しやったスターに過ぎない。

今回、鑑賞に赴いたのは連れがジャッキーのファンだということと、今作をもってジャッキーがアクションものからは引退を表明したからという2つの理由による。
しかも鑑賞に赴いたのは吹替版、なんでも吹替の石丸博也さんはジャッキー公認だとのことで、連れは字幕版も吹替版も鑑賞したいという「つわもの」
さすがにそこまでは付き合えない.....よね。
時間帯がちょうどよかったというだけの理由で吹替版を鑑賞した次第。

驚いたのは、「劇場はガラガラなんだろうに」と、高をくくっていた私の浅はかな予想を裏切り、結構な人数が劇場にいたことである。
私の右隣に座っていた男性(20歳台か?)独り
前方に座しているのは(私たちと同じような)男女連れ
老若男女、様々な形態で鑑賞に来ていることに驚いた。
ジャッキー・チェンとドリフターズの笑いのエッセンスは同じなんだろうな。
単なるアクションスターでない。私がそう感じるのは彼が見せる「驚き」の表情に観ることができる。
彼の驚きは、クスリと笑ってしまうのだ。とても平和な気持ちで。とても懐かしい気持ちで。

さて。
ストーリーは、チンプンカンプンだった。
なんかよく分からなかった、けれど、いいんだいいんだ。
ジャッキーは善良なヤツで、悪だくみをしている商人を懲らしめる。それだけ(笑)
中学生の頃に観たジャッキーが演じる役どころとさして変わっていない

冒頭からの全身をローラーブレイドに装着してのトレジャーを盗み出し、逃亡を完遂するまでのハラハラドキドキは、40歳台の私をティーンネイジの頃の私にタイムトリップに誘ってくれた。
中盤でのジャングルでのドタバタ劇は、ドリフターズのコメディと通じるもの、家族で観てゲラゲラと笑える
クライマックスのスカイダイビングは、かっこよかったけれど、あまり印象に残っていない。


劇場のPOPで、彼がこれまで怪我してきた部位と歴史(作品)を知ることができた。劇中の場面場面で気づく、彼の体が丸まってきている(老いていること)
還暦を迎えるジャッキーの体、30年前にブラウン管の向こうで観ていたスリムで若々しいジャッキーとは程遠い。
それでも尚彼はアクション映画を主戦場にし、撮り続け、演じ続けてきたことに謝意を感じないわけにはいかなかった。

時が下って、この先20年もすればジャッキーを観て育った世代が、幾つかのジャッキー作品をリメイクしていることだろう。
そしてそのときにジャッキー・チェンはあの愛くるしいほどの笑顔を見せながら老師匠の役どころで出演しているのではなかろうか。
わけもなく、そんな空想をしてしまう。


2013年4月21日日曜日

雲霧仁左衛門(前)

読もうと思ったはいいが、気が進まない。
何せ分厚い。
.....ところが、いざ読み始めると、マンガ本を読むようなスピードで読み進められる。
相変わらず池波正太郎が紡ぐ文章は平易でわかりやすくて、奥が深い。

物語が進むにつれて登場人物が増えまくる増えまくる(笑)
そしてページを戻して、「この人は誰だっけ?」と読み返すことになる。
読み返してもなお登場人物が多い、従って一旦割り切って物語がどう展開してくのかあらすじの粗筋(←とでもいえば分かってもらえるだろうか)を掴みながら一読。

二読目。登場人物を整理した。
この物語は文章は平易ながら、盗賊側、火盗改方側、そして盗まれる松屋側と、さまざまな人物が登場する。
手元のノートに登場人物を書き留めるだけでは頭が追いつかない、こんがらがってくるので、自分なりにキャスティングを施す。
以下、キャスティングして俳優さんたち。

読み進めていくと、「ん?これはちょっと(大きく)違うなぁ」と思った俳優さんたちもいらっしゃるのだが、一度自分の脳で舞台に上がった人を別の人と取り替えることはなかなかに難しい。
七化けお千代のみ、かたせ梨乃から中谷美紀に取り替えた。
往年のかたせ梨乃(80年代から90年代)を現在の俳優陣に取り込むと頭が混乱したためである。
さしずめ現時点なら檀蜜でもいいのかもしれないのだけれど、演技力が未知数な彼女を配役することを控え、中谷美紀を配したけれど、しっくり度はさほど大きくない。

もっともしっくりきている人を太字にしておく。

【盗賊側】
佐藤浩市(雲霧仁左衛門)
中谷美紀orかたせ梨乃(七化けお千代)
梶原善(伝次郎)
小出恵介(六之助)
岸谷五郎(木鼠吉五郎)
成宮寛貴(山猫の三次)
徳井優(治平)
相島一之(櫓の福右衛門)

【火盗改方】
松重豊(山田藤兵衛)
高橋英樹(安部式部)
西島秀俊(高瀬俵太郎)
田口浩正(岡田甚之助)
阿部寛(関口雄介)
窪田正孝(安太郎)
オダギリジョー(政蔵)

【松屋側】
小林稔持(松屋吉兵衛)

感想は、後編にて。

2013年4月20日土曜日

ローマ人への20の質問

 「ローマ人の物語 ハンニバル戦記」は、傍らにこの本を手元におきながら読み進めた。
通勤電車の滞在時間が駅3つ程度しかない(身体の負担は誠に軽くてありがたい話なのだが)身にとって、1つの質問に対しての頁数が10頁もないこの本は通勤時の読書にはうってつけだった。

帰宅してどっしり腰を落ち着けて読むのが「ローマ人の物語」
通勤のながら読書が「ローマ人への20の質問」
そんな構図。
だけど、結局この本もハンニバル戦記を読み終えて、再度手に取って読み返したのだけれども。

ローマ人の物語が教科書だとすればこちらは参考書
ローマ人に物語が酒だとすればこちらはツマミ
お互いに補完しあう素敵な取合せだ。

今後の「ローマ人の物語」を読み進めるにあたり、エッセンスがギュッと詰まっているこの本を幾度か読み返すことになりそうだ。

司馬遼太郎は、その時代に生きた人物が主人公
竜馬であれ、歳三であれ、時の流れの中で生き、時の流れで死んでいく。

塩野七生は、その時代が主人公
この人が筆を走らせると、歴史そのものが、目の前でうねっているような気分に浸れる。
その中で人が生まれ、人が生きて、人が死んでいく。

この本を読んで、会社の行事で最も厄介な業務を前任者から引き継いだことを忠実に守ることから抜け出して、自分なりにどうすればスムーズに進められるのか考えてみた。
結果はそれでもうまくいかなかったのだけれども。
自分で考えたことだから、前向きに次回の対応策を考え直したいと素直に思える
それでも不可抗力は起きるだろうし、うまく行かないことはやっぱりうまく行かないかもしれないけれど。
諦めずに考えていくことが平たく言えば努力だと思う。
そして、この行動に至るものは先に書いた「Youngbloods」の「鋼のようなWisdom 輝き続けるFreedom」が根底にある。

この本で塩野七生に私が教えられたことは、そのときそのときに最適なことを考えて実践していくことの素晴らしさ。







2013年4月19日金曜日

ジャンゴ 繋がれざる者

原題「DJANGO UNCHAINED」

好きな俳優がわんさか出てきているので、観たいんだけど、仕事が多忙で週末はゆっくりしておくほうがいいのになぁ。と、見に行こうか、やめとこうかと悩み続けていた作品。
グダグダと悩みながら腰が上がらない状況で、連れが「オープニング見損なった、もう一回ちゃんとオープンニングから観たいからつきあって!!」と誘(いざな)ってきたので、腰を上げて劇場に向かった次第。

「ジャンゴ」と(結局観ることができなかった)オリバー・ストーン監督の「サベージ」の両方を観て、どちらのほうが「ドッカーーーン感」がキテいるのか比較したかったんだが…。

貫禄が本格的になってきた、レオナルド・ディカプリオ
すました顔して、エグいことやらせたら天下一品、クリストフ・ヴァルツ
この二人が好みの中でもトップクラス

次点が
主演のジェイミー・フォックス
それから、(今作ではやりすぎだろう)サミュエル・L・ジャクソン

黒人が白人に対する復讐劇を具現化したもの。
クエンティン・タランティーノは、前作でも復讐劇を描いた。
前作に限らず、タランティーノは、弱き者が強き者へ報復・復讐する作品が非常に多いように思える。
彼には是非とも日本史を学んで頂いて、敗者が勝者へ報復するファンタジー作品を撮って欲しい
映像化希望候補
①鎌倉政権確立直後に平家が源氏へ報復する物語
②秀忠政権になって盤石になる頃に旧豊臣派による徳川滅亡物語
 (ああ、でもこれは猿飛佐助あたりと被るかなぁ)
③明治政権確立後、廃刀令公布前夜に新選組らによるチャンバラ劇
ダメかなぁ。

タランティーノーーー!!、考えてみてくれんかぁ!!











2013年4月18日木曜日

ヤングブラッズ


「Youngbloods」
初出は「Cafe Bohemia」

大抵のLiveではマスト曲
現在のところ(そして恐らく未来も含めて)元春の最大スマッシュヒット曲
チャートを賑わせていたのは1985年〜86年
当時17歳、元春29歳(一回り上の年齢だから計算が簡単)
自身の中では佐野元春フィーバーが冷めていたこともあり、リアルタイムでの想い出は皆無に近い。
覚えているのは、部活の練習の合間に友人がヤングブラッズは国際青年年のテーマ曲で、コーラスで「アイワイワイ」と歌っているのは国際青年年の略「I(ntrenational)Y(outh)Y(ear)」なんだと蘊蓄を語ってくれた
今でもこれは真実なんだと刷り込まれている
いずれにせよ、17歳の私にはあまり響かなかった曲。

響き始めたのは就職してから。
何をしてもうまくいかなかったし、職を真剣に考えずに就いたことを後悔してばかりの日々
自信は喪失、意欲も喪失、そんな頃に奮い立たせるために聴いた。
Time Goes By…。
Years Go By………
それから20年超を過ぎて、今もなお、この曲を聴いては自分を奮い立たせる。
最近では「奮い立たせる」、だけではなく、「癒す」・「慰める」という効果ももたらしているように感じている。

私の中に「核」があるとすれば(あると願いたいところだ)、ヤングブラッズのフレーズにある
鋼のようなWisdom
輝き続けるFreedom
は、大きな形成要素。
具体的なフレーズではなく、分かりにくいフィロソフィカルなフレーズは、仕事の様々な場面で頭の中で響きわたる。
そして、恥ずかしながら、このフレーズは僕らの下の世代に伝えていきたい、と思案してしまう場面が出てきている。
過日のLiveで元春は言った「全てのものは受け継がれていく」と。
この感情もその類なんだろう。

2013年の年初にこの歌詞を心に刻んだ。
年初に決意みたいなものを掲げるというのは、自分にとってはあまり馴染みがない。
毎年年初に決意を語る輩には心中「そんなもん(意味ないぜ)」、って嘲っている。
そんな私にしては、珍しく4ヶ月を経過しようとしている今でも年初に掲げた決意を覚えていることが驚きに値する。

Liveでは色んなヴァージョンがあるし、Live Recordにもスローヴァージョンも収められている
「月と専制君主」でのヴァージョンは記憶に新しい。
原曲が最も自分の好みだ。
幾つものヴァージョンを聴いてみて、自分自身の胸にスッと入ってくる曲調









2013年4月7日日曜日

シャーロック・ホームズの冒険

シャーロック・ホームズの本を読もうと思った動機は2010年に公開された映画による
名探偵コナンでもないし、三毛猫ホームズでもない。
もう少し詳しく書くと、映画のホームズ像がトンデモハップン、アッチョンブリケの類だったからだ。
沈着冷静、ニヒルでヒューマニストってのが鑑賞前に抱いていた像。
映画のホームズは、武闘派であり、かなりアブないオジさんだった。
(2作目も含めてDVDで手元に置いときたいと思えるほど面白い)

連れ曰く、この映画のホームズのほうが原作に忠実なイメージだと。
私、「なぬ?」と。

ならば読んでホームズ像を虚像と実像を一致させていきたいと思った。
思い立ったもののなかなか読む気にはなれないまま2年間積みっぱなな。
「新諸国奇談」と同様、「ローマ人の物語」を読み進めるときの小休止役として手に取った。
ポリシーでもある、「二度読む」が完了するのに、2ヶ月半近く掛かった。

読み終えて、なるほど、映画のホームズの像はデフォルトに近いことがよくわかった
推理ものとしての楽しみは、今ひとつ私には理解できない面もあり、この本を堪能したか?と問われると少々心もとない。
だけど、連れが見せてくれた「ボヘミアの醜聞」のDVDを観て、ようやく本が書いている内容がスッと胸に収まっていった。
なるほど、これは面白い。と。
やれやれ、その他の作品も見せてもらわないとスッキリしない自分がいることに改めて気づいてしまった。


ボヘミアの醜聞
赤髪組合
花婿失踪事件
ボスコム谷の惨劇
オレンジの種5つ
唇の捩れた男
青いガーネット
まだらの紐
花嫁失踪事件
掬屋敷





2013年4月6日土曜日

新諸国奇談

ローマ人の物語の傍らで手軽に読めるものとしてこの本を手に取る。
還暦を迎えてから以降の阿刀田高の作品には絶対的なエロスの量が少なくなってしまっている。
艶福家だったのであろう(?)、オトコとして現役の頃に執筆されていた登場してくる女性はとてもなまめかしく、可憐。
本の中でありながら色気が匂ってくるようだったのだが。

とはいえ、この本は小説家阿刀田高ではなく、古典文学の誘い者としての阿刀田高がゆえの短編集。
この人が書く蘊蓄は実に小気味が良く、嫌味がない。
あ、そうなんだ!と感じ入るような印象を常に抱く。
幾つかの蘊蓄は、或いはジョークも織り込められているのかもしれないけれど。
博学であれば、見える世界は拡大していく。
四十を過ぎて尚、知らないことが如何に多いのだろうか、とため息をつきたくなる一方で、こういった本を読んで知ることの楽しみを満喫できる。

でも、日本人だから印象に残るのは日本の奇談(十二話)
滑稽なのオチで笑ってしまったのが六話
ゾクリとしたのが七話、九話、十話
怖いといっても、オバケが出てくるわけでもないし、怨念の類も薄い。
夜中にお手洗いに行けなくなる型の恐怖ではないので、夜の読書でも問題なかった。


第一話   美しい眼
第二話   蝶の乱れ
第三話   錬金の夢
第四話   ルナール師
第五話   黄土色変化
第六話   風のビリー
第七話   シベリアの闇
第八話   恐怖の谷
第九話   地球は丸い
第十話   黒い血
第十一話 箱の庭を持つ男
第十二話 風洞の女






2013年4月4日木曜日

ローマ人の物語 5 ハンニバル戦記[下]

「ザマの会戦」までは文句無く面白い。
面白いというか、頭の中で様々な思い・考えが駆け回る。
知的好奇心を刺激されまくる。

ハンニバルとスピキオ。
天才と天才の駆け引きもワクワクさせられる。

ハンニバルとローマ首脳
天才と凡才(とは語弊があるけれど)の対決・駆け引きにも様々に空想を抱いて、凡才の集団が周知を集めて事に臨む姿に感じ入った。

超人がいて、超人と対決する凡人たち。
例えばどんな人たちが当てはまるのだろうか?ということを新幹線の中で空想してみたら、フッと。
1990年のサッカーW杯決勝西ドイツVSアルゼンチンのゲームを引き合いに出して考えてみた。
86年〜90年までのアルゼンチンサッカーは「ディエゴ・マラドーナ」という超人によって率いられたいた。
ハンニバル軍のよう。

一方、西ドイツはマラドーナ級のスーパースターは不在ではあるものの、マテウス、クリンスマン、フェラーなどといったスター級が揃っていた。
ローマのよう。

「団結」と「意思疎通」
ローマにあって、カルタゴになかったもの
西ドイツにあって、アルゼンチンになかったもの

尤も、ドイツはガリア人の末裔が多いから、この隠喩が適切なのかどうかは自信はないのだけれど、でもなんだかこの例えはイメージしやすいと思っている。

組織についても色々と考えさせられた。
過去に。現在に。そして未来に。あるいは夢に描く自分が所属している組織のことを。
Bestな状況を希求するのではなく、Betterな状況を作り上げてそこから更にBetterなものを見つけていけばいいのだ。

マケドニア、カルタゴの滅亡は必然か偶然か?
必然の偶然なのか?
偶然の必然なのか?
このテーマは歴史、地理愛好者としてはなかなかに好奇心溢れるテーマだ。
今のところ、後者「偶然の必然」派だ
だって、この本しか読んでいないのだから。

・心に留めた言葉たち

年齢が頑固にするのではない、成功が、頑固にする
(P22)

優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
持続する人間関係は必ず相互関係である。
(P53)

配属とは敵に敗れるよりも自分自身で敗れるものなのである。
(P170)






2013年4月1日月曜日

ローマ人の物語 4 ハンニバル戦記[中]


当時の文明水準からすれば、およそ想像することすら難しい
地図もない
通信機器は全くない
行動心理学なんてものも体系的なものはない。
そんな中でかほどまでに巧妙に戦略的に練られた戦術で攻め込んでいったのかと思えば舌を巻くより他にない
「よくもまあ」、これが率直な感想だ。

塩野七生、ハンニバルに肩入れしすぎなんかじゃないか?と考えてしまうほど、礼賛してらっしゃる。
でも。
作家稼業をしていれば、歴史上の人物と時空を超えて会話することができるのだろうし、彼女はハンニバルと会話をしたのだろう。
その結果を文章にし、折りに触れて図解を交えながら説明してくれる。

つまるところ、127頁の言葉に集約される。
名言。
名言だし、その分野に長けている人と別の分野に長けている人が巡り合い、共に同じ目標・目的に向かって活動することが
思いもよらない奇跡を生み出していくのだろう。

・心に留めた言葉たち
責任の追及とは、客観的で誰でも納得させうる基準を、なかなか持てないもの(P73)

天才とは、その人にだけ見える新事実を見ることのできるひとではない。
誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に気づく人のことである(P127)


いかに巧妙に考案された戦略戦術でも、それを実施する人間の性格に合っていなければ成功には結びつかない。(P130)