2019年2月4日月曜日

満願

10年近く前に読んだ「インシテミル」の作者。
あのとき読んだ感触とこの満願も似ていて、この米澤穂信という作家の伏線の張り方は上手いなあと唸る。
インシテミルは、アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」へのオマージュ作品、どうしても作者が自縄自縛な印象を抱いた。
まぁ、好きな作品へのチャレンジって何かの制約や自分で決めたルールのもとに書きたくなるんだろうし。

久しぶりに米澤穂信の名前を見かけたのは2017年の夏、NHKでこの「満願」がドラマになったとの報。
しかもこの本、山本周五郎賞を受賞しているとのこと。
それじゃあ!という勢いで手に取る。

冒頭に結末を出して、そこから起承転と展開していく。
特に「万灯」はその典型的な一編。
主人公が殺人を2件も犯している、承が巧みに綴られて。
結のことを忘れてしまった。
そして「あ!」と転で閉じる。

「夜警」と「満願」の2編が読み応えが高かった。
特に「夜警」、読みながら「イヤーな風」が耳元に吹いてきているような感覚がつきまとってきていた。

沈黙

Blogを復活しようと思ったのは、映画を観て感じたものと本を読んで感じたことを記録しておきたいと思ったから。
一昨年(2017年)この「沈黙」がマーティン・スコッセッシ監督、アンドリュー・ガーフィールド主演で映画化され、鑑賞した。

原作は10年ほど前に一度読んでいたので、あらましは理解していたし、原作に忠実な作りだった。
おかげでもう一度原作を読み返そうと思った。

「穴吊り」という拷問のおぞましさ。
映像化されていてもなお、文字で読み進めるほうが耐えられないほどの痛みを心に突き刺してくる。
フィジカルな痛みではなく、メンタルな痛み。

井上筑後守が言う「この国は泥沼のように根付かぬ」
当時の日本におけるキリスト教の布教に限定すれば、その通りだと思う。
このひとが神父たちに棄教を迫っていく理屈に抗えない自分がいた。
今回の読み返しでは井上筑後守のことばがやけに重たく突き刺さってきた。