2013年12月8日日曜日

みんなの願いかなう日まで

発売されるというニュースを見たとき、「みんなの願いがかなう日まで」だとばかり思っていた。
「が」が抜けて「みんなの願いかなう日まで」が正しいタイトルだということに気づいた。
たったそれだけのことだけれども、佐野元春の詩へ向き合ってきた偉大さを感じ取っている。

Websiteで90秒の試聴が公開され、その時点でも相当にウルっときていたのだが、12月1週目の元春レディオショーで全編を聴いて、ウルウルとしんみりとした
「Zooey」の並ぶ詩と同様、とてもわかりやすい平易なセンテンスが並んでいる。
デビュー当時から数年間並んでいた綺羅星のような表現「瓦礫の中のゴールデンリング」だとか「君の瞳に映るタイニーレインボウ」といった単語はこの曲には存在しない。
普遍的な詩だ、NHKのみんなのうたで流してくれないものか、と。
(ずっと以前に佐野さん自身も自分の曲はみんなの歌で流してほしいんだということを言っている記事を読んだことがある)

1985年の「クリスマスタイムインブルー」はレゲエ調、クリスマスは冬の曲という常識を逆手にとって常夏の国ジャマイカのレゲエのリズムを取り入れて驚かされた。
また、当時はクリスマスといえば絶対的に「赤」が常識だったから、「ブルー」(ここでは気分のブルーがメインなんだろうが)という色の印象も常識を覆していた曲だ

そして、およそ30年ぶりとなる今度のクリスマス曲はハワイアンミュージックの代表楽器「ウクレレ」の弾きから始まる。
そして先に書いたように平易なセンテンスが並ぶ。
「~インブルー」が理想とする世界を希求していたのに比して、「~かなう日まで」は等身大の希望をメロディに載せている。
10代には10代の感じ方があるし、60代には60代のそれだけの長い人生経験に照らしわせて感じることが幾つも幾つも巡るんだろうな、と思う。

私、好きこのんでこの地にいるわけではない。
それも、二次人為的とでもいえばいいのか、つまるところ、恨みというか罠にハメられてしまってこの地に住まざるを得なくなった。
今でもその罠を仕掛けたヤツらの顔を思い出すと不愉快極まりない感情に襲われる。
ところが、3つ目のセンテンス「色んなことを知って、色んなことがあって」を聴いたときに、「あっ、あいつらもクリスマスぐらいは楽しく過ごしてもいいんじゃないの」
という感情が私の中に生まれた。

公式フェイスブックで、この曲のテーマは「献身」だと言う。
でも、私にとって献身より先に感じたテーマは「自身以外の者への赦し」であり、「自身の過去からの開放」だった。
この翌日、今まで捨てきれなかった思い出の品物を随分と捨て去った。