2019年10月13日日曜日

スティング

19年、16作目
スティングはずいぶん以前にBSで放送されたのを鑑賞したことがある。
愚かにもそのときはうたた寝しながら鑑賞したので結末の「とどめの一撃」(TheSTING)がちんぷんかんぷんだった。

機会があればこの作品をもういちど鑑賞したいと思いながら時間ばかりが経過していた。
レンタル屋さんや、オンデマンドでいつでも鑑賞できると思うと却って鑑賞する機会が失われていく。そんなものかもしれません。
この作品も前述の「砂の器」同様、午前十時の映画祭のラインナップにあることを確認して、いそいそと鑑賞に繰り出した。

「さらば愛しきアウトロー」でお別れしたはずのロバート・レッドフォードにスクリーンで再会できて(しかも彼はいつの間にかわたより若くなってやがる!)嬉しい限り。
ポール・ニューマンもわたしより若い、なんかズルい・・・笑

映画館で集中して鑑賞すると、この作品の大きな展開である騙しあいがよく頭に入ってきた。
「ああ、なるほど、こいつはあいつを騙そうとしてるんだなあ。」と。

しかし。
ターンぐポイントとなる「転」の騙しあいは伏線が張られていないので「ええええっ!」となる。
いやそこから先が最後の「STING」に転がり続けていく。
まさしく「うひゃあ」もの。
BSでうたた寝ながら鑑賞では「?」だったクライマックス、館内で(脳内では)スタンディングオベーションをささげたわたくし。

音楽も小気味よく。
この作品のテーマ曲、昔から何度も聴いていたあのメロディなのね。
タイトルは「エンターティナー」

また映画館に鑑賞に行きたいと思う。
だから午前十時の映画祭、来年度以降も継続しておくれ!!!

砂の器

19年、15作目。
「午前十時の映画祭」、初体験。
安価で絶対的名作が鑑賞できる。
今年が最後らしいけれど、今後も継続してほしいと思います。
NetflixとかHULUとかおうちのテレビで鑑賞できる映画が今後の鑑賞文化になっていくのかもしれませんが。
映画館に足を運び、館内が暗くなり、知らないひとたちと同じ作品を鑑賞する。
いい文化だと思います。
そこでロマンスもある(あった)ひとも多かったろうし。

今中居くんが主演していたドラマが鑑賞の発露。
2年前に原作も読んだ。
原作の犯人は今作よりももっと冷酷な印象。

主役どころの役者よりも、犯人の父加藤嘉、犯人の子供時代を演じた方の表情がとてもよかった。
表情の行きつくところ、「目」

後半、音楽を背景に父子がさすらってきた数年がセリフなしで展開していく。
言葉が発せられないことが、却ってこの父子が受けてきた苦難が訴えかけてくる哀しみが切実だった。

記憶にございません!

19年、14作目
年に2回ある会社の儀式が終わった当日が公開日。
この儀式に至るまで知力、気力、体力を削がれてしまうので、今作の鑑賞を心の報酬にして、終業と同時に退社して鑑賞に赴く。
期待が大きかったぶん。
だからなのか
このところのフジテレビの凋落ぶり。
だからなのか。
どちらかよくわからないけれど、「素敵な金縛り」ほどの楽しみはなかった。
いや、じゅうぶんに楽しい作品だし、クスクスと笑えるシーンも多かったし、ほっこりする展開、心も温かくなれる。

つらつらと考えてみるに、「記憶にございません!」は分りやす過ぎた。
三谷幸喜の作品って100%わかりやすいよりも95%わかりやすくて5%の「?」があるほうが深みが増して味わい深い(コーヒーのようだ)

美女そろいで目の保養ができたのが何よりの心理的報酬だった。
小池栄子が思っているよりも遥にいい女性になっていた。
石田ゆり子は鉄板。(”マチネの終わりに”、彼女目当てで鑑賞に行くかも)
吉田羊、ホテルの窓に向かって”バーン”、ヤラれました。

壬生義士伝で共演していた中井貴一と佐藤浩市。
こんなコメディで再共演。。。
どちらも芸達者、真剣にバカな役を演じきっている。
本気で演じてこそコメディは笑える。

真田丸から、草刈正雄、木村佳乃、吉田羊。
草刈官房長官から「大博打の始まりじゃあっ!」と叫んでほしかったなあ。





2019年10月12日土曜日

アド・アストラ

19年、13作目
会社の同じ組織にいる後輩はSFもの(彼が言うのは”宇宙もの”)が好みだと。
インターステラーは未見だけどもうすぐ観るんです。
ゼログラビティは良かったっす。EtcEtc。
そんな彼が今作はどうなんですか?と鑑賞を終えた翌週に尋ねてきた。

わたしのことば。
「うーん、わざわざ舞台を宇宙にすることはなかったんじゃないかな」
我ながら言いえて妙ではないかと自負している。

月やら火星やら、果ては海王星か冥王星まで旅をするんだけど、父親を捜すという自分の欲求のためだけにそこまでのパワーあるかな・・・?
宇宙でのイベントもストーリーが細切れのぶった切りで「??」「??」なシーン。
後半になってもそのシーンが繋がっていくような楽しみも得られず。

批判はあんまりしたくないけれど、この作品は”これ”という見どころが薄かった。
幾つかあるクライマックスもこれまでのSF映画の焼き直しに感じてしまうようなものばかり。

父親を追い求めるのが息子。しみじみとそれを感じることはできた。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

19年、12作目
タランティーノ監督の作品の良さはわたしはよくわかっていない。
「わからない」ではなく「わかっていない」

今作の事実としての結末は、作品を観ながら思い出した。
事実の結末と、映画の結末は異なる。
この結末を落としどころにしたタランティーノは平和を愛するひとなんだろう。

イングロリアス・バスターズにせよこの作品にせよ、実際の事件・犯罪を起こした人物を彼は徹底的に抹殺する。
暴力的な描写が多いひとだけれど。
でも彼が抹殺するのはあくまでも映画という絵空事の中でだけだ。
絵空事のなかだからこそ、彼は狂暴なことをしたくなる。
つまるところ、タランティーノは差別をする人物を好まないんだと感じる。

タランティーノの作品や彼のこだわりを知悉しているひとにはこの作品、たくさんの小ネタで楽しみどころ満載なんだろう。
それだけの解説や知識を得てから鑑賞できたらなあと感じた。

2019年9月29日日曜日

ライオンキング

19年11作目
ミュージカルも他の映画も見たことがないので。
一般教養を身につけたい一心で鑑賞。
まるで実写のようなCGに驚く。
ところどころ、さすがにこれはCGなんだなあとわかるシーンもあり、批難する気にはならず、反対に「CGにも限界はあるんだなあ」とホッとしながら鑑賞していた。
何もかもがCGが現実と同じものを作れるようになれば俳優の存在意義がなくなって、映画の醍醐味が減っていくんじゃないかと遠い未来を空想してしまう。

作品については、息子がひとり立ちするまでの時間を2時間に詰め込むんだから、いろいろとご都合主義になるよね。
亡き父の思い出がふと甦った。
テリトリーから出てはならぬという父の諭し。
ああ、そういえば父はこんな感じでキツく言う生き物だったなあと。

「ハクナマタタ」いい呪文です。
仕事がイライラするとき、唱えてみよう。

さらば愛しきアウトロー

19年、10作目

わたくし、ロバート・レッドフォードが好き。
学生のころ野球映画「メジャーリーグ」(ワイルドシーング♪と歌うあれね)にヤラれて数本の野球映画を漁って鑑賞したときに出会った「ナチュラル」でレッドフォードにヤラれた。
それ以来、かなりお気に入りの俳優さん。いい男だし。
「リバーランズスルーイット(River Runs Through It)」で監督もしてたよね。
ブラッド・ピットが見いだされたころの作品。
でも鑑賞していない、、、つまりはそれくらいのレベルの「好きな俳優さん」
そんなレッドフォード最後のスクリーン作品だということで鑑賞。

1980年代に実在した銀行強盗の物語。
銀行強盗のシーンで銃弾が放たれることはなく、まして銃をスクリーンに見せることもしない。
(銀行強盗以外のシーンでは見せていたけど)
実際にはものすごく迷惑な銀行強盗のおじいちゃんだったんだろうけど、レッドフォードが演じると「小粋なおじい様」

「人生を楽しめ」
レッドフォードのメッセージ、受け止めました。