単純明快でスカッとなれる、そんな作品が読みたくて数年ぶりに手に取った。
小房の粂八がまだ盗賊で、鶴やにも携わっていない。
この先なくてはならない存在になっていくひとなのだが、執筆時点では池波正太郎の脳内で粂八は最初からそのようになっていたんだろう。
何かの本で池波正太郎だけでなく小説家は、自ら生み出したキャラクターが自分の手を離れ独り立ちし読み手たちの世界へ駆け出していくんだ、それを否定したり路線変更することは無理が生じると書かれていた。
粂八もそのようにして池波正太郎ワールドを自由に駆け巡ったんだろう。(自由というのは鬼平に仕える身だから語弊があるかもしれないが。
本所・桜屋敷
やっぱり涙しちゃうなあ。
昔好きだった女のことはいつまでも忘れられないのが男
常に今しか生きていないのが女
他の篇、他の作品でも度々活字になっている池波正太郎の金言。
50年以前に執筆されている作品なのに、まったく古臭くない。
また、この50年前(奇しくもわたしと同い年だ)ですら、世の中の人と人の繋がりが希薄になったと文にある。
21世紀、令和の時代を天国から見ている池波正太郎の叱責を誰か文章にしてほしいもの。
「わたしが社長をやらせてもらっています」
そんな文章や言葉を聞いた日にゃ、長谷川平蔵が「ふふ」と笑われて相手にしてもらえんと思うよ。
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