この本を手に取るあなたへ
心の闇はどこから始まるのだろう?
自問自答しながら読んでみると、イヤな自分の一面を覗き込むかもしれません。
従来の秀吉像
本能の変以前は優秀な部下そのものである。
少年少女向けに書かれているまんが日本史をはじめ、太閤記と題名を掲げる読み物では織田信長に仕えている頃の秀吉には一片の野心もない。
一方、織田信長
閉塞感で行き詰まっている時代であればあるほど信長が為した事業、改革は良き見本、手本とされる。
時代を切り拓くには従来の手法、思考を否定するところから始まる。
秀吉・信長に抱くイメージは大雑把に纏めてしまえば、上のようなものに落ち着く人が大半ではなかろうか。
ところがこの本ではそのイメージを覆すような人物描写。
信長は横暴で吝嗇な為政者でしかない。
まして心に病も抱えている。
吝嗇な面、心の病を有する患者だと定義づける作者の発想が私にとってはとても新鮮。
これまでの神々しいまでの為政者から二段ほど階段を降りてきた、人間信長を感じる。
そして主人公秀吉
私は「本能寺の変の黒幕は秀吉だ」とする説をあながち笑い飛ばす気にはなれないほど、この説が出鱈目なものだとは思えない。
(まぁ、結構この説を信じている)
天下人になりたいという動機ではなく、このままでは信長の捨て駒にさせられ消耗品として扱われれば御の字、やがて統一され敵がいなくなれば信長によって殺されるのではないかという不安感があったと思う。
殺される前に殺す、という動機があった、と。
そこに渡りに船で明智光秀からの便りがあったのではなかろうか。
二人の間に信書が発見されていないようだが、トップシークレットだからこそ一切の証拠が残っていないのでは?
この小説では私の信じている説が採られているわけではないけれども、本能寺の変が光秀単独犯行は結果としてそうなったのだとしているこの説には一理あるなぁ、と考えさせられた。
枷とは「心の闇」だと置き換えてみたい、「コンプレックス」はニュアンスが異なる。
心の闇は誰の心にも眠る欲望(Desire)で、自分自身の中に根源があり、自身に横たわっている欲望に目覚めてしまえばその淵は深く際限がない。
コンプレックスは誰かと自分を比して劣っていることを認識する。
邂逅により他者への願望(Wish)が根源にある。
稀に自己肥大していく輩もいるのだが。
例えば「人斬り以蔵」で描かれている岡田以蔵はコンンプレックスを超えたにも関わらず自己肥大してしまった典型かな?
枷にきっかけが竹中半兵衛の遺言。
畏怖し続けた信長を心の中で見下し始める心の闇は上巻ではまだ浅く、時折揺れ動いたりしている。
STAR WARSのエピソードⅡの頃のアナキン・スカイウォーカーのようだ(適当な例だろうか?)
秀吉には二人の軍師が存在し、前期が竹中半兵衛、後期が黒田官兵衛
Brain機能がこの二人で、前野将右衛門、蜂須賀小六は実行部隊という図式が改めて読み取れる。
「信長の棺」、私にとっては面白くない、楽しくないの部類に入っていた本なのだが、この秀吉の枷を読み終えてもう一度読み直してみたいと思うようになっている。
以下目次
第一章 竹中半兵衛死す
第二章 諜報組織
第三章 覇王超え
第四章 天正十年
第五章 本能寺の変
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