2012年9月20日木曜日

クライマーズ・ハイ

「新・平家物語」を読むスピードが、何をどうしても上がらず、我が読解力は老化の方へ向い始めたのだろうか?
ということを確かめたくなった。
結果を書くと、読み進めるスピードは概ねこれまでと同じだったので安心した次第。
一冊ものでベストセラー、現代を舞台にしたものがよかろうと思い、この「クライマーズ・ハイ」を手に取る。
およそ一年前に読んだ「沈まぬ太陽」と同じ「日航機墜落事故」を扱ったこの本も「沈まぬ太陽」同様、数年前には映画化されている

あちら(「沈まぬ太陽」)が事故に向かって求心的なのに比して、こちら(「クライマーズ・ハイ」)は素材として扱っているように感じる。
こう書くと作者が事故に対して真摯に向き合っていないように感じる方もいらっしゃるかもしれないが、作者自身がこの事故時にリアルタイムで取材の当事者になられた経緯があることを思えば、当時の生々しさをありのままに伝えることが「悼む」ことではないという思いが強いのだ、と考える。

文中に、群馬県に墜落したもらい事故だとボヤく主人公らの声があるけれども、それだって決してあの事故に遭われて命を落とした方々やご遺族に対して冒涜しているような表現には感じられない。

チャンス、成功、栄光、そういった類を目前にして主人公は時に決断を誤り、時に決断ができずに挫折を味わい、コンプレックスに苛まれる。
結果として彼は名声を得ることはなく、一地方の記者で社会人人生を終えてしまう。


「降りるために登るんさ」という親友の言葉。
様々な考えがよぎった。
誰もが人生のピークを迎える。その頂から足元をふらつかせずに降りていくことは想像以上に難しいい。
いや、頂から降りるときのことを考えて生きている人は稀だろう。
私、現在この主人公悠木と同じくらいの年齢を迎えている。
仕事面でいけば、今が一番巷間に言われる「脂の乗り切った時期」なんだと思う。
いつかは衰え、後輩に座席を譲るときが来る。そのときに潔くありたいと考える。
それができるかどうかは未知のことだが、「降りるために登るんさ」の答えは私にとってはそういったことだ。






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