2019年1月23日水曜日

悪魔が来りて笛を吹く

わたし、小学生のころ「昭和5*年」横溝正史原作の推理小説が続々と映画化された。
「八つ墓村」「犬神家の一族」そしてこの「悪魔が来りて笛を吹く」、あと「病院坂の縛り首」だっけ。
前者2作は有名なシーンには強烈な記憶。
湖面に突き刺したように足が二つ伸びている
真っ白い仮面の男とか(助清デスネ)

今にして思う、あのころは高度経済成長期のピークを越え、昭和時代が安定。
敗戦によるショッキングな出来事や戦前のころを懐かしむ世代(明治生まれの頑固爺もそこかしこにまだ身近にいた)にとって「あの頃、あれはあれでよかった」という懐古主義な映画がたくさん製作されたんだろうと。

「悪魔が来りて笛を吹く」を読もうを思い立ったのは、NHKのBS放送でリブートされたこの作品を途中まで観たから、というのが直接のきっかけ。
最後まで観れなかったからこそ、気になって手に取った。

それにしても、横溝正史が書くこのどろどろとした人間関係の阿鼻叫喚ぶりには言葉もない。
犯人が何故殺そうとしたのかという動機が、、、やるせなさすぎる。

この小説を読破したのちに、再放送で全部観れたんだが。
NHKだからということもあるのだろう、犯人の心を救済しようとした構成にそれでは犯行に至るほうがおかしい、と思わざるを得ない「???」な結末に思えた。

この小説で一番気持ち悪いのは「上流階級に巣食う虚栄心」
敗戦後しばらくは貴族、華族を言われたひとびとが街を闊歩し、敬われていた時代だからこそこういう物語を紡ぐことができたんだろうと思って読んでいたけれど。
今だって人の上に立つような世界観のひとびとも(〇〇族とか言われるひとびとや、仮想通貨で一攫千金を得たりと、つまるところ身の丈を知らないひとびと)似たような欲望の権化になっていくんじゃないかと。
いつかわたしが老いて、魂を天に返還するころ、わたしの孫の世代が「AI草創期のころにはあたりまえだったことって、私たちにはおぞましくて気持ち悪い」と感じながら読むような。
その時代にはガソリンスタンドとかレンタルショップとかが前時代を表すキースポットとして登場するんだろうな。
あー、なんかもっとインスピレーションがあればへっぽこ推理小説が書けるのになあ!

さて次に横溝正史を読むとすれば、何を手に取ろう。

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