随分と長いこと映画のこと書いていなかった。
できれば後日の自分のために書き残しておきたいと思って再開。
映画を観た以上は、内容に触れざるを得ない。
内容を知りたくない方はお読みにならないように。
19年、1作目
クリード2
邦題の副タイトル「炎の宿敵」は4の「炎の友情」を受け継いだ作品とアピール。
館内は白髪や輝く頭のひとたちが多かった。
わたしもそのひとり。
中には若者もチラホラ、黒人の若者も2名くらい見かけた。
若者はある程度ロッキーシリーズのことを知っていて見に来たのだろうか。
今作、つまるところ「家族のありよう」を問いかけてきた作品だと感じている。
クリードには結婚、子どもの誕生。
父はJ・ブラウンのLIVING IN AMERICAで入場してきたけれど、息子クリードは妻ビアンカを先頭にして彼女の歌と共に入場してくる。
(ちょっとだけ4を懐かしみたいわたしはLIVING---で入場してこないかなあと期待したんだけどね)
誕生した娘も妻と同じハンデがあるけれど、おばあちゃんだったかな「彼女にはそれが当たり前なのよ」というセリフが沁みたなあ。
ロッキー、壊れかけた息子との絆を繕っていく姿。
シーンでは一度しかなかったけれど、彼は毎日、妻エイドリアンの墓前に椅子を置いて語りかけているんだろうなあ。
ああ、ロッキーは妻の墓前には赴くがアポロの墓前には行っていない。
クリード家のことなんだからクリードが行けばいいのさ、と考えているんだろうな。
普段のロッキーはコンバースのスニーカーで街を闊歩している。
革靴など履かず、髪の手入れもしない。
老いたロッキーはこれから先どうなるんろうとチラリと頭をよぎる。
そしてドラゴ。
この作品で涙が出たシーンはひとつだけ。
父ドラゴがリングにタオルを投げ込んだシーン。
ポロポロと泣いてしまった。
敗戦が決定的になり、ボロボロに負けてしまう息子のためにドラゴはタオルを投入する。
それでまでのトレーニングでの「走れと言ったら走れ」と老いた自分は車に乗って息子を追い立ていていく父が、かつて自分が味わった敗戦のショックで息子が廃人にならないようにと願って投げた(と、わたしは感じている)
その後のトレーニングに励むドラゴ父子はふたりとも自分の脚で走っている。
そこに感激した。
もう一度一からやり直していこう。
国家に対する恨みとか母親への慕情を断ち切って。
自分たちが闘う理由は自分たちのためにあるんだ、というシーンではなかったか。
クリードとドラゴはもう一度再戦するんだろうか?
シルベスター・スタローンはどうこの物語を紡いでいくのだろう。
若いふたりに再戦してほしいけれど、それぞれの道を歩いていくのも悪くない脚本だと感じてる。
次作があるとすればロッキーとドラゴの物語も少しだけ続きを期待したいんだけど。
ドラゴとロッキーも30年以上を経過し、お互いのネガティブな感情から抜け出せたらなあ。
最後にこの映画はブラックミュージックがスクリーンに流れる。
(わたしはちょっとこの手の音楽は苦手)
これはクリードの物語なんだからブラックミュージックで。
当たり前だけど、そういう気の利かせ方がシルベスター・スタローンなんだろうなあと。
いや、実は音楽は門外漢だから好きにしていいよ!って言ったのかもな。笑
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