2012年10月14日日曜日

新・平家物語 京乃木曾殿の巻


夏季休暇(8月中旬)以来、暫く遠ざかっていたがようやく復帰。
この期間中に角川書店から発刊されている古典クラシック版を一冊と女性が書いた女性目線での平家物語の解説本の類をそれぞれ読んでいる。
いずれ、その2冊も読み返してみて、ここに記したい。

入洛して政治能力が欠如している義仲、後白河法王にすれば治安が取り戻せない、どころか悪化の一途を辿る都の実情を憂えた(というより、呆れたんだろうな)
手を組む相手は「平家」「頼朝」「秀衡」の3勢力
法王にすれば
①木曾義仲は滅ぼす
②3勢力の力関係は同じ程度になるといい
③その中で最も帝に対して従順で、帝を敬ってくれる勢力が望ましい
そうすれば王政による政を確かなものに戻せる。という考えがあったに違いない。

義仲の失墜が遺したもの
地方から都上りして、発奮しては浮いた存在になっていき、やがて落ちぶれていく者
そのプロトタイプとして義仲の存在意義が遺った。
大半の日本人は自分自身が地方出身者なのだから、義仲のように落ちぶれていく展開に自身がそうなるのではないかという不吉さを感じ、払拭するために幾つかの地方出身者が艱難辛苦を乗り越えていく物語を生み出してきたのだろう。
古典にもきっとそういう物語があるのだろう(どんな作品があるのか知らないが)、青春劇画では中央集権の代表者を敵役にして、地方出身者を主役に据えて、その二人がやがて分かり合い素晴らしい友情を育むという展開のドラマは私が幼い頃に沢山製作されていた。

義仲が滅び、勢いづく源氏は平家への討伐へ向かう。
それが歴史の宿命でもあるのだが、巻末に登場する敦盛にうるうるしてしまう。
高校のときに読んだ敦盛最期が次の巻で語られる。


「本文より」のコーナー
「虎の威を借る狐」の表現をかっこよく文学的に表すことば。

およそ武力に把握された傀儡の政庁に繋がれて、武人の下にその余命を雇用人的に利用されている大官ほどあわれともみじめともまたそれ自身が自身に恥ずるものはあるまい
(10巻158頁)

エロスのことなのだが、短いセンテンスでありながら的確な表現だなぁ、と。 

恋愛をでなく色道を説いた
(10巻165頁)


名こそ惜しめ、この文化・風土が生まれた経緯を説明
いわゆる根性といった類に置換えてみても通じるものがあると感じる。根性は他人から言われて出すものではなく、自発的に生まれてくるものだ。

何十年もの間貧しい土におかれていた種族の歯噛みがいつかそんな人間性をも超えた強烈な家訓を生み、それの雌伏していた野の環境も自然彼らをして年少から騎射や騎乗の術に長けさせてきた。
(10巻306頁)

義仲の失墜の原本的要素は彼自身の資質ばかりではなく、その軍の成り立ちにあった。
今であればスポーツのチームに置き換えれば通じつものがあると感じる。
個々には素晴らしい能力があるチームでありながら低迷することがある、概ね監督が責任を取っていくのだが、なるほど監督を義仲に置き換えると頷ける。

もともと木曾群は源氏再興の旗の下では生まれたが質は山野に生じた一種の自然軍だった。
(10巻315頁)

【収録】
烏合と狡獣
弱公卿・強公卿
火矢
捨て小舟
 の怪沙汰
婿誓文
秘園獣走
冬の花
平家椀源氏椀
まつ毛の雪
雪巴
稚き火華
元日の雷
変々恋々
春告鳥
生ずき・麿墨
宇治川名のり
花筏
添い寝盗み
妻なりしもの
病鏡
動座陣
片あぶみ
荒天
九郎を見給う
死地の春風
落日粟津ケ原
葉屑花屑
寿永の落とし子
不気味な客人
熊谷直実とその子
忘れえぬ人びと
常磐の果て
陣医拝諾
あつもりの君へ
大江山待ち


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