2012年10月10日水曜日

ダークナイト・ライジング


原題「Dark Knight Rises」

公開と同時に鑑賞に赴いた。
その日には近所の港で花火祭りがあることを忘れてしまって、せっかくの機会を失ってしまった。
海の向こうから花火が上がるのを見上げてみるのも悪くないと思ってたから、残念な気持ちはどこかで今も残っている。

だが、この作品はそんな機会を喪失しても全く後悔することのないほどの素晴らしい出来栄えだった。
公開初日を待ち構えていたかのように、NAVYの軍人が結構な人数で連れ立って鑑賞に来ていたのも頷ける。

何が素晴らしかったかって、これでもか!とスクリーンの向こうから叩きつけてくる巨大なる「絶望」
以前ローランド・エメリッヒ監督の「2012」を観たとき、地球が至るところで壊れていく様を観ても尚、ここまでの絶望は味わなかった。
幼少の頃の体験はなかなかに強烈なものが残っている人が多いという、私にすれば「ウルトラマン」が「ゼットン」に敗北するシーンは本当に絶望を感じたもの。
このダークナイトライジングはそれほどの衝撃度に勝るとも劣らないほどの絶望感を私に突きつけてきやがった!!

出だしのジェット機の翼がもがれてただの金属の塊になっていくシーン。
劇場CMでも何回も見てきたスタジアム爆破のシーン
ブルースがベインに囚われ、殺されずに生かされ、牢獄塔で味わされる絶望
その他絶望をありとあらゆる場面で突きつけてくる。
一旦希望を一瞬見せておきながらの絶望感をズドンと落とし込んでくるから、衝撃度が増す。
鑑賞しながら、自分の体から力が抜けて「へなへな」なっていくのが分かった。

ただ。
あれほど強いベインが物語の後半ではさほどの強靭さを見せずに終わっていったのは減点要素。
どこまでも対ベインの戦闘で進めて欲しかったなぁ。


キャットウーマンのアン・ハサウェイ。
アリスインワンダーランドでは可愛らしい白のプリンセスだった人が蠱惑な佇まいを醸し出しながら盗みを行い、気まぐれな言動をなすあたり、彼女の芸域は広がっていくんだなぁ、と感じる。
唇が「ぬれぬれ」(by池波正太郎)としていて、とても魅力的である。
かつて90年代のシリーズでミシェル・ファイファーが演じ、彼女の顔貌からしてもお似合いだったのだが、アン・ハサウェイ嬢のキャットウーマンは容貌よりも「気まぐれさ」と「誰がホントのご主人さまか」を瞬時に分別してすりよっていくキャットぶりはこちらが上だったように感じる。

そして
前作で他界してしまったジョーカーのヒース・レジャー
彼が存命であれば、この作品はどうなっていたんだろう?
物語の途中、ベインらは囚人たちを解き放つのだが、ジョーカーの存在を前提にしていればこの展開はどうなっていったのだろう?
ベインとジョーカー、ジョーカーとキャットウーマン。
想像してみるとそれだけで幾つかの派生作品が誕生しそうだ。
或いはやがてパスティーシュが生まれるのかもしれない。

この作品、公開初日に一度、それから夏休みの8月18日頃にもう一度観賞した。
同じ作品を日にちを異にして鑑賞に出向いたのは、あやふやな記憶を辿ってみたところとんと記憶にないので人生初だと思う
(いや、正確には殆ど時を同じくして「プロメテウス」も二度鑑賞したのだが)
但し、こちらは同じ映画館だ(プロメテウスは別の映画館で鑑賞)

この映画館、10月で私を取り巻く環境が変わったため、恐らくもう二度と赴かない映画館である。
別に大した設備があるわけでもないし、歴史も短い。
ただのありふれたワーナーマイカルシネマの一つに過ぎないのだが、溢れるほどの思い出が詰まった映画館だ。








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