2012年10月10日水曜日

プロメテウス


原題「PROMETHEUS」

「人類の起源」という、とことん壮大なテーマをリドリー・スコットが撮った。と、信じた私が愚か者だったのだ。
まんまと。まんまと欺かれた。
話が進めば進むほど、「ん?、これってエイリアンじゃ?」と。
そして最後に「あー、こいつがリプリーを襲うエイリアンになるんじゃないか!!!??」と怒涛のクライマックス。
仕方がないので、二度目の鑑賞に赴いたほどである(笑)

映画というものは概ね100分~120分で上映終了してしまうもの。
限られた時間の中で全てのことを盛り込むことは物理的に不可能だし、作品のモチーフや監督が観客に伝えたい内容をギュッと集約しなければピントが合わない作品に終わってしまう。
前者は尺を長くすればいいというわけでもないし、後者は駄作と言われる確率がグンと上昇していく。

とはいえ、映画で伝えたいものが明確である必要はない。
色んな示唆に富んだ作品、それが私にとっては好み。
所謂人生訓みたいな映画なんて、どこか嘘くさい。
どんな偉人だって見えないところで何かしらの悪さをやらかしているんだし、聖人のような暮らしを送れるほどこの世は澄みわたっていない。
示唆に富んだ作品を独自の世界観を提示してくれる、そういう稀有なことができる監督がリドリー・スコットだろう。
序盤の白い人間らしきものが液体を飲み干し、自身の体を粉々に破滅させていき、DNAを撒き散らす。
このシーンをどう解釈すればいいのだろう?
ノーマルに解釈すれば、実にノーマルな解釈が巷間で幾つも語られている。
でも、本当かな?
ストーリーの中でも幾つもの解釈のしようがある人物・シーンがわんさかとある。

シャーリーズ・セロンが演じたヴィッカーズは人間なのかアンドロイドなのか?
デイヴィッドは何故に謎の液体をホロウエイ博士に飲ませた?
洞窟の彫刻は何故に人の顔?
エイリアンにまつわるエピソードには枚挙に暇がないほどの疑問が巻き起こる。

それぞれに対して、私たち観客側はいかようにでも解釈の仕方があるし、リドリー・スコットは今のところそのような観客の疑問には何もアンサーを提示してくれない。
それが商業主義に塗れた次作への引導だとは思えない。
自身が提示した作品に対して空想することを彼自身が楽しんでいるように思える。
そして、推察するに観客が抱く全ての疑問に対して彼自身も全てのアンサーはないのだろう。
世の中のことは全てに理由があるわけでもないように、彼が撮った様々なシーンにも明確な理由がある必要もないのだろう。

もう上映している映画館もごく僅かになった今、既に続編製作のニュースが流れ始めている。
「Paradise」というらしい。
いやはや、リドリーがParadiseに召される前にクランクアップしてほしいものだ。








0 件のコメント:

コメントを投稿