2013年5月1日水曜日

雲霧仁左衛門(後)

物語の後半、火付盗賊改方の追跡劇が大きな山場なんだと思うのだけれど、私にとってはさほどに大きく盛り上がらなかった。

前編では盗賊が主体で、後編では火盗改方が主体に切り替わる。
本のタイトルが「雲霧仁左衛門」なので、主体性を盗賊側に置いて読み進めていた私にとって、前編の松屋への押し込みまでは感情移入ができた。
「根が悪者なんだなぁ」って思う次第だ。
後編では、座頭富の市の苦悩から始まる盗賊側の手違い、食い違いに至る展開にドキドキしてしまった。
このような展開は、映像で見ることは難しいのかもしれない。
池波正太郎の作品は映像化してほしい、でもとても難しい。
池波正太郎が書くテンポは映像と音楽で表現しきれるものではない。
そして、先に書いたキャスティング、主人公の雲霧仁左衛門に佐藤浩市を配したものの、「違うよなぁ」と。
では誰が適役かと問われても困る、この本を読んで雲霧仁左衛門をどう捉えるかは人それぞれ異なるし、突き詰めて言えばここに書かれている雲霧仁左衛門はファンタジーの人だから。
池波正太郎は主人公をファンタジスタに仕立て上げてしまう。
それを具体的に映像化、音声化することはナンセンスなのかもしれない。

この本を読んで思うのは、通信機器がなかった時代に、人間と人間が通信するために必要なものは手段ではなく、「信頼」なんだということ。
「機器の発達度」と「信じる心」は反比例しているんだとに感じた。


最後に。
七化けお千代(この人もファンタジーの人物)に、私も抱かれてみたい。

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