2013年5月6日月曜日

銀齢の果て

片や「カルテット」という「老人の未来は明るい」なる物語を鑑賞しておきながら、「老人に未来はない」なる物語を読み進めた。
意図したことではなく、偶然。

少年の頃に強烈に印象に残った「ブラックジャック」(手塚治虫)の言葉に
「様々な病が発生して手の施しようがなくても尚、俺は治療をしていくんだ」というような感じの言葉を独白するくだりがある。

この本を読んでいて、上記のような、ブラックジャックで読んだ色んな言葉が頭を過ぎった。

20世紀は医療が飛躍的に発達した世紀
それにより大きく平均寿命は伸び、先進国は恩恵に預かっている
反面、老人の面倒を見るためには国家の負担、企業の負担、コミュニティの負担、個人の負担が大きくなっていく一方だ。
私が入社したときの厚生年金や厚生年金基金の制度はこの20年間で財政が傾き、現時点の福利厚生は恐ろしく低減した内容になっているし、私が還暦を迎えて、引退するときには更に低水準になる可能性は否定できないところだ。

ならば、思う。
彼ら彼女らがいなくなってくれさえすれば、私(現役世代)の福祉は確実に上昇するんだ、と。
私(現役世代)の負担は確実に下降するんだ、と。
その空想をかほどまでに過激な内容で執筆され、満ち足りてしまう。
恐ろしく自己中心で冷酷な自分が、そこに確かに存在している。

この本に登場する老人たちの体力の若いこと、若いこと。
フィクションとはいえ、主人公なんて超人的な体力の持ち主である。
近所の老女4人組が、元女優邸宅に襲撃するくだりなんてのも、最早現役世代の女性ですら無理だろうと言えるような動きである。
そこが、筒井康隆のギャグ、スラップスティックだし、ツッコミを入れてはいけないところだ。
翻って言えることは、70歳を過ぎても尚元気で聡明で、そして生に執着したい人だって沢山存在していくことになる未来に私たちが着手すべきことは何?と問われかけている。
(のだと思うが、当の筒井さんはそんなことはどーでもいいと笑い飛ばすのやもしれない)


実写は役者さんの負担が多大だから諦めるけど、アニメ化してくれんかなぁ、とか思う。
危険極まりないから深夜枠かコアなCSチャンネルあたりしかオンエアの可能性ないけれど。

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