2011年11月1日火曜日

一命

昨年の「十三人の刺客」に続き、三池崇史が撮った時代劇
「十三人の刺客」がエンターテインメント性を追求した娯楽性に比重を置いた作品に対し、「一命」は地味で動きも少ない。
従って、興行成績はイマイチのようで、映画館によっては公開1ヶ月もしないうちに特に3D版には「LAST」マークが立っている。
3Dの映像については、雪や紅葉といった風景が3D映像にすることで却って粗く見えてしまったのが残念だった。
但し、一緒に行った連れが言うには「日本家屋に3Dは合う」とのこと。
柱の奥行感とかに代表されるように「向こう側」を感じることができる、と。
パンフレットにも三池監督自身も同じような発言をされているとのことで、連れの鑑賞眼にただただ恐れ入るばかりです。

さて、先ほど地味な作品だと書きました。
美術、セットは暗めを基調としています、鎧の間の赤色も煌びやかな「赤」ではなく、どす黒い「赤」に映ります。
血の色っぽい赤だと感じます、関ヶ原や大坂の陣といった侍が猛々しい侍であった頃の命のやり取りをしていたことを匂わせるような色遣いではなかろうか、と。
美術についてもう一つ。
千々岩の家の障子が物語が進むにつれて寂れていく。
いや、「荒んでいく」といった表現のほうが的確かもしれません。
その障子に、落ちぶれていく武士の凄惨さ、悲惨さ、貧しさが滲み出ている。
併せて妻が窶れていく姿を見て、同情を禁じ得なくなる。

物語について。
武士の存在は、不条理だ。特にこの江戸時代初頭においては。
戦乱の世は終わり、戦闘することもなく、生産をするわけでもなく、農工商を護衛する役目は名目だけだし、ただ消費を繰り返すだけ。
存在価値は時の変遷につれ、ただ保守的であれば、やがてはその価値は失われていく。
(それは現在読み進めている『ローマ人の物語』から伺い知ることができる)
そんなジレンマに立っているのが、役所広司が演じる彦根藩の家老なのだろう、彼が跛をひいているのは関ヶ原なり大坂の陣で名誉の負傷を負ったほどの猛者であったことを想像させる。
家老の部下どもは、新時代(徳川政権確立後)の武士、存在価値を命のやり取りではなく、「武士らしさ」に自身の価値を見出している新人類。
そんなところに狂言切腹を申し出てくる武士(千々岩求女)
その武士を切腹させる新人類は家老が考える待遇ではなく、嬲るようにして切腹させる
切腹のシーンは痛々しくて、私は仰け反りながら鑑賞していました。
竹光が折れても尚、腹に突き立てるのは実に痛かった。
新人類が行なったことに最も立腹していたのは津雲半四郎ではなく、家老ではなかったか。

市川海老蔵
瑛太の父というのはAWAYな環境。違和感を覚える。
もみあげに白いものを交えさせるなどの工夫は見えるんですが、二人の実年齢は5歳差ですからね。
殺陣は流石です、思わず『いよぉっ、成田屋!!』と喝采を挙げてしまいました(心の中ですよ、モチロン)
特に青木崇高との一対一の対決のシーン、青木もなかなかの腰の座り具合だが、海老蔵には及ぶべくもなかった。
とかくゴシップ記事が多い役者ですが、芝居は一級ですなぁ

瑛太
彼の顔は、あまりに近代的過ぎて時代劇には不向きというのが私の率直な感想。
大河ドラマ『篤姫』での小松帯刀役もピッタリとは思えませんでしたから。
そんな彼が武士役でしかも切腹をする役なんて、『サマにはならんだろう』と思っていたのですが、いやぁ、切腹する姿は堂に行ったものでした。背中からのアングルはカメラさんの上手さも手伝っているのでしょうが、本当に痛さが伝わってきた。
すまなんだ、瑛太。


満島ひかり
病持ちで段々と窶れていく薄倖な武士の妻をとても素晴らしく演じている。
希望に満ちた婚礼の頃と、愛しい我が子を失ったときの彼女の表情のギャップがこれが同じ女なのか!と。
彼女の将来性を感じる。
宮崎あおいが陽の役を演じている(『ツレがウツになりまして』『神様のカルテ』)のに比して、満島ひかりは陰の役を演じている(『悪人』)
それぞれ、二人が極めた時点での競演を期待している。

ただ。
美穂という近代的な名前はねぇ、「美津」とか「佐知」とかだといいのにぃ(笑)

この映画ではこの3人の存在感が際立っていた。
芸達者な役所広司も竹中直人も、敢えてその存在感を薄めたんだろうと思う。
それをしなければ、私たち観客は狂言切腹を申し出た側に感情移入できないのかもしれません。
役者の妙、配役の妙、演技の妙がうまく紡ぎ出している作品。

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