2019年1月21日月曜日

ユージニア

わたしの初「恩田陸」作品です。
奇しくも同じころ、松本清張の「日本の黒い霧」を読み、「帝銀事件」の概要を知ったばかりだった。
そのおかげでこの物語の骨格をなす一家殺人事件のくだりをすんなりと読むことができた
(こんな事件をスルっと読めるのはどうかと思うが)

「ユージニア」ってのは「ユートピア」と「何か」を掛け合わせた造語なんだろうがその「何か」がわからない。
作者だってなんとなく言葉の響きだけで決めているだけなのかもしれないけれど。
推理小説と呼ぶには結末で明確な犯行者を示すことがないし。
ファンタジー小説と呼ぶには犯行の描き方が事件ルポみたいだし。
とても不思議な感覚に陥る小説でした。

<勝手な推理>
犯行者の孤独な青年の意識に母親が滑り込み、そこに娘の意識が呼応した
というのがわたしの見立てです。

2019年1月20日日曜日

1985年の奇跡

1985年、わたし17歳。
部活にしろ、勉強にしろ、中途半端で未来の自分が何をしたいのか、どうなりたいのか全く考えることはせず、短絡的に自分はどうなっているんだろう?と思いながら過ごしていた日々。
このころ画期的だったのが「夕焼けニャンニャン」それから「ビデオ」
この2つがそろえらる環境にある高校生(正確には家庭)はそんなに多くはなかった。

その1985年が冠についている本、「どれどれ」と手に取ってみた。
奇跡は主人公たちの高校が甲子園に出場するまでの物語を指すわけではないんだろうと推測しながら。

おニャン子の誰が好きとか嫌いとかから始まるこの物語、もっと軽いノリの内容なのかと思いきや。
この1985年ですら、いや、こういった時代だからこそ当事者にとって深刻なLGBT問題に直面するとは思わなかった。


2019年1月17日木曜日

阪急電車

数年前まで大阪市内に暮らしていた。
一度だけ「仁川」までは行ったことがある、もちろん競馬で。
福永が3着に入線した桜花賞だったことしか覚えてないけれど。

当時は、阪急京都線沿線に住んでおり、映画が公開されたときから「なんとはなしに」気になっていた作品。
ようやくこの本を読んで、多くのひとが感じるように「あのとき読んでいれば」と微かに悔やんでいる。

今は関東のド田舎県に住んでおり、私鉄に乗ることがない
都内に行っても乗るのは山手線や地下鉄ばかりで地上の風景を眺めることが稀だ。
とはいえ、スマートフォンでゲームばかりしているんだけれど。。。
加えて首都で移動するひとびとは常に気ぜわしく心にゆとりを感じる場面がない。

でも。
移動するひとびとにはそれぞれの人生があり、どこかで交差しているのかもしれない。
或いはふとしたことがきっかけで交差していくのかもしれない。
そういうことで取り戻せる「心の穏やかで嫋やかな」有り様を感じることができた一冊だった。

有川浩、「ありかわ ひろし」という男性作家と思っていたら「ありかわ ひろ」という女性作家なんだとは知らなんだ。
小学生女性でも云々、成金ママ友との人間関係とか女性らしい目線が幾つもありようやく「ん、これって女性作家では?」と。
反対に男性の描き方が理想的過ぎるなあ、高校生女子の彼氏とか。
いや、でも最近の若い男性は草食系が多いし、性への欲望よりもいたわりの心が強いから彼のような振る舞いができる男性に違和感を感じない男性読者が多数派なのかな。


2019年1月16日水曜日

アクロイド殺し

「読んで最後に犯人がわかった時点、あなたはきっと腹を立てる!」と伴侶に言われた本。
その時点で犯人は自分が推理する人物ではないんだろうな、というヒントのような暗示を手掛かりにしながら読み進めた。

推理小説で真犯人を当てることが滅多にないわたしがピタリ賞。
わたし、相当ひねくれものなんだけれど、きっとアガサクリスティーもかなりのひねくれものだったんだろうなあ。

ピタリ賞だったことを伴侶に告げると「え、まさか!本当に?」と驚かれた次第。

2018年の4月にフジテレビ系列で三谷幸喜により「黒井戸殺し」としてドラマ化されている。
放映前は観ようとしていたのだが、忘れてしまい、悔いが残っている。

2019年1月15日火曜日

清須会議

映画化もされ、大ヒットしました。
もちろん当時は公開直後にいそいそと鑑賞したことを覚えています。

表紙には武将が携帯電話を耳にしながら通話していたり、新聞紙を脇に置いている姿。
この表紙を見たとき
「現代にタイムワープしてきた秀吉や勝家たちが情報端末を駆使しながら信長の後継者争いを繰り広げる」小説だと思いました。
が。そんなことはなく、そのままの時代で「保守派の勝家」VS「タカ派の秀吉」の図式。
口語体の文体で「現代語訳」と謳うなじみ深い言葉遣いのおかげでサクサクと読み進められる。
それだけに、ところどころに読み取れるお市の方の恨み節が強烈。

後世のわたしたちは秀吉が勝家を賤ヶ岳の戦で秀吉が勝者となり、栄華を究めていくことを知っている。
しかし、秀吉が三法師を担ぎ出して覇道への布石を打った清須会議の意義はこれまでの多くの小説ではスルーするか、紹介程度にしか書かれていない。

この小説では丹羽長秀が主役的位置づけだと読んだ。
こういう二番手、三番手の人物にスポットライトを当てて大河の主役の人物のどす黒さを紡ぎだす、三谷幸喜の手腕や恐るべし。

出だしの信長の自害でニヤッとさせらられ
序盤でのドタバタ劇で引き込まれ
中盤のイノシシのコメントに呵々大笑させられ
終盤の勝家の独白に涙させられ

映画と小説は別の作品と思ったほうがいい。
あなたがどちらを先に目にするにせよ。

2015年5月6日水曜日

Focus

2015年、9作目
ウイルよりもロビーを際立たせる作品

ヤバいなあ、と思ったら案の定クライマックス手前で陥落。。。
気持ちよく寝てしまった作品。

映画も小説同様「起承転結」を求めてしまう(当たり前だけど)けれど、起から承へ展開するときには、観客を「お!」っと感じさせるシーンがあればその世界に惹きこまれるもの。

この作品には、その「お!」っと感じさせるエッセンスがあまりに弱かった。
(翻って言えばオーソドックスな作品とも言い換えられるけれど)

FOCUSと言いながら、登場人物にはFOCUSが合ってないように感じたのは僕だけではなかろうかと思う。

ブロンドのマーゴット・ロビー嬢は好みの顔しているけれど、目からほとばしる力(色気だったり狂気だったり訴えてくる力)を感じ取ることはできなかった。

このゆるーいコメディクライムアクションで判断するわけにもいかないだろうから(ウルフ・オブ・ウォールストリートは未見なので。。。)次の作品での目力に期待。

ウイル・スミスは、うーん。今のままでは旬を通り越したタケノコみたいになっちゃうよなあ。

2015年4月25日土曜日

龍三と七人の子分たち

言われなければ、藤竜也だと気づかない
2015年、8作目

自分自身は結構な懐古主義者だと思う。
生まれ育った時代のアナログさが古き良き時代だなあと。
この映画、小学校の頃に毎週楽しみだった「8時だよ、全員集合!」のノリがあり、中学の頃に欠かさず見ていた「オレたちひょうきん族」のゲラゲラ笑いができる。
(中尾彬には大爆笑すること請け合う)

じじいたちを主人公に持ってくることが「アウトレイジ」のような凶暴さを削ぎ、凶暴な顔したじじいたちが本気でコメディやってるから真剣に笑える。
3と5!!
笑いの舞台ではない俳優さんたちがこんなに頑張っているのに、最近の若いお笑い芸人さんたちの芸不達者ぶりを嘆く(これも懐古主義者か!)

弱きものからは金を取らずにいるどころかお恵みを分け与える龍三親分と若頭マサの喧嘩のシーンに代表されるように、このじじいたちには「潔さ」がある、それがかっこいい。



白髪頭ばかりのじじいたちが組を立ち上げる
21世紀チンピラをその対比として登場させていることで、「潔さ」って何だろうね?と北野武が問いかけている作品だと感じた。