2012年7月27日金曜日

新・平家物語 三界の巻

平清盛の存在は歴史で学んだ際に受けた印象よりもずっと遥かに巨大であったのだろうということがこの巻でよく分かった。
清盛の死因、この小説では「瘧」現代で言えばマラリアによるものだとしている。
マラリアでは即死亡することは極めて低い可能性なので、幾度も清盛が寝込んだことも多かったのだろう。
寝込む都度「平家もこれまで」と、後白河院、公卿、山門、そして東国の源氏も蠢動を繰り返していたのではなかろうか。
露見してしまったのがたまたま鹿ケ谷の陰謀であり、以仁王の叛乱だけで、議案に乗るだけ乗って実現しなかった企てはもっとあるんだろう。
灰になってしまったから歴史の舞台には登場しない企て。
どんな人がどんな企てをしたのか?そういった下郎なことに清盛は関わっている時間もなかったのだろうが、そういった存在を根底から潰そうとして、日宋貿易、福原遷都だったのだろうに、と清盛に同情したくなる。

以仁王の叛乱から始まった打倒平家のムーヴメントに木曾義仲が名乗りを上げる。
およそ都とは大きく異なる風土の木曾で。
女も戦闘に加わり、獣を食す。
鎌倉とは一旦質子を出して和睦し、木曾は北陸を経て都へ向かう。



『本文より』のコーナー
義仲と葵の愛の深さを描いた文章。
とても美しい。
長いけれど、紹介しておきたい。
戦中は男女の愛がとことんプラトニックなのものが礼賛され、ともすれば恥ずかしいことと決めつけられていた時代の延長線にあった時代。
ともすればフィジカルな愛を否定していた時代であることを考えると、この文はとても刺激的なものにとして印象付けられたのではないか。

戦の日の葵は義仲の戦友であった。そういってもおかしくない。
戦友でありまた恋人でもあったのだ。
戦は死を賭すもの。恋も死を賭すほどなものである。
ふたりの愛の燃焼が世の常の契りでなかったのは当然であろう。あらゆる辛酸をともにし、生死も一つとちかい、あす知れぬ戦場のちまたを手に手をたずさえてゆく青春の男女がいかに強度な愛情を醸し出すか血の出るようなくちづけを味わうことか、他人のうかがいうる境地ではない。
(8巻171頁)

葵について
体育万能の別嬪な女という印象
2012年の今旬な女性で言えば女子サッカーの川澄選手あたりかな

義仲の性格について
野蛮なタイプの人でありながら皆に愛されるタイプって周囲に一人ぐらいはいるよねぇ。
他界されているけれど勝新太郎あたりがイメージしやすいかも。

この人の性としてじつに憎態にものをいう。
またよく傍若無人にあたりをあざ笑う。
けれど笑うにはいつも大口を開いて笑い、きゃっきゃっといって膝をたたいて笑うのだ。
天性美貌な人なのでそれが無邪気にも見え、天真爛漫といった美しさにすら見えることもある。
(8巻180頁)

.....それにしても源氏よー、とでも言いたくなる文章。

父たる義朝の代においてすでにもう源氏党では骨肉喧嘩の血みどろをやり合っていた。
(8巻189頁)

若い公卿らが、平家ばかりが栄えている現状に不満を持っている。
この事態の経緯は平家が強奪したのではなく、旧政権の腐敗にも遠因があるのだと言う。
現在でも若者らが不平不満を言うけれど、それは「大人が悪い」と決めつけるのはいかがなものだろうか?

かれらの年齢では貴族末期の腐えた世代と、その後の世代との比較が持てなかった。
社会が見渡せた時は既に平家全盛の時代だったから世に思う不平はすべて平家の悪さに見えていたのは是非もない。
(8巻289頁)

清盛の葬儀はひっそりと行われた。
後の信長同様、(出家こそしているが)清盛も無神論者
葬儀は盛大に行われることに越したことはないのだが、偉大なる為政者にとっては死んだ後のことなんてどうでもいいんだろうなぁ。
栄耀を一世に極むといわれた人にしては余りにもうら淋しいばかりな葬日だった。
(8巻341頁)

繰り返し繰り返し文体を変えては書かれる内容。
この時代の家族のことを考えていたけれど、作者吉川英治は企業活動でも一致団結する平家タイプの企業が日本的な望ましいと考えていたのかもしれない
平家は一門ことごとく一心同体の平家だが、源氏は一蓮托生の仲ではない。
(8巻374頁)

【収録】
葵と義仲
君見ずや
大地の乳
大夫坊牛鞋録
岩茸と運は危ない所にある
権守返上
巴と葵
木曾殿稼ぎ 異聞頻々
「玉葉」筆者
右京大夫がよい
入道発病
二位どの看護
医師詮議
火の病
無事是貴人
麻鳥拝診
白眼子
往生三界図
三界図その二
征野管弦回向
叔父御と甥御
墨俣渡し
渦の中
山岳遁走
踊りの輪
朝めし前
露団々
聞こゆる木曾を眼に見ばや
謎めく卿
弁財天喧嘩
内訌

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