2012年7月6日金曜日

新・平家物語 断橋の巻


以仁王と源頼政の話。

これまで以仁王が反旗を翻した相手は後白河法皇(父親)だという誤った解釈をしていた。
父親(後白河法皇)が実権を握る院に対し、息子(以仁王)がずっと忍苦に耐えていた源頼政に唆されて挙兵したものだと。

そうではなく、反平家という共通の思惑が一致したものが二人には底流にあり、後白河法王からの声なき声を聞き取った王が挙兵し、頼政が流れに抗しきれずに同調した叛乱だという。

強大な「力」が唯一なものとして存在する場合、概ねその「力」に正義があろうがなかろうが、対抗する「力」が生まれる。
塩野七生の「ローマ人の物語」にそれに近いようなことが書かれていたような記憶。

平家政権側を擁護しようとすれば、荘園(農業)によってしか経済が流通していない時代に、その荘園を支配しているのが王家側であり政権の経済基盤が危うかったということだろう。
清盛が福原に手を加えて日宋貿易を盛んにし、貨幣による経済を構築するには時間が足りなかった。
後継者である重盛が清盛の意思を受け継ぎ、宋との関係を深くすることができなかったことが、平家政権の限界、そして滅亡の起算点なのかもしれない。

そして。
平家政権を打倒することになる頼朝側。
王者の風格を備えている頼朝ではあるものの、嫁側の実家北条家は決して一枚岩の結束で頼朝を盛り立てていこうというわけではない。
幸先良く山木を倒したものの、鎮圧に乗り出した平家の前に石橋山で頼朝は敗北を味わう。

『本文より』のコーナー

以仁王が挙兵したくなった背景を人間臭い動機で表す。


皇族であっても権勢の外なる“忘られ人”の境遇に置かれると殿上の交わりはおろかお顔を知る人すらまれであったらしい。
そういう不合理な宿命に対しおりには忿怒を覚え、反逆の血を沸かされたことか想像に難くない。
(7巻150頁)

清盛が遷都を決めた理由は地の利を得たかったからだという。
吉川英治は書いてないけど、上記の経済基盤を貨幣にしようとすれば山に囲まれた都では不都合が多いという判断もあったのではなかろうか。

かれが遷都を決意した第一の理由は西八条や六波羅の地勢のまずさである。
京を囲繞している僧兵組織に対し到底勝ち目のない盆地の狭隘に一門甍を並べている状態はつねに累卵の危うさにあるものというほかない。
(7巻153頁)


頼朝は猜疑心の深い男だという印象が強いのだが、その理由は父義朝が家臣(しかも縁者)の手にかかって謀殺されたという事実がトラウマになっていたからだとする。
これは、そうだなぁ、って気づいた

さまざまなことばや姿をもって近づいてきた人々に対しても彼(頼朝)が人を観る眼は必ずその細くて冷たい心配の網を通っていた

(7巻238頁)


三井寺入り

笛と蛇
八十宇治川へ
断橋
馬いかだ
楚歌
都遷し
走り湯の君
恋の巣の朝
紙燭
御家人集め
夜雨瀟々
葦手仮名
三島夜祭り
土倉開闢
少年恨
風孕む
石橋山
佐奈田余一
朝の来ない夜はない

伊豆山月騒記
彼岸と此岸
ばらばら千鳥
鎧虱





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