2012年7月22日日曜日

新・平家物語 かまくら殿の巻

 新宮行家が令旨を無節操と言っていいほどに東国の源氏に撒いたことで、各地の源氏に波紋が起こる。
最たるものが頼朝であるものの、石橋山で敗北した報を聞くと次は木曾義仲へ頼る。
関東地方を地盤にする源氏は次第に頼朝を棟梁と仰ぎ、義朝らが地盤を固めていた鎌倉を本拠地にに定め、勢力を増強していく。
対する平家、清盛の老化は進み彼を継ぐべき跡継ぎが見当たらない。
老化が進んだ清盛にとって敵は源氏ばかりではない、山門も危険な存在であり、それに繋がる院にも目配りをしなければならない。
四面楚歌状態の清盛にとって、関東や木曾の勢力よりも比叡山や奈良の山門こそが平家を危うくする存在だと認識していたのではなかろうか。
そういった考えの清盛にしてみれば富士川の戦いでの敗北は身内の情けなさに憤慨しまくっただろうし、同時にガクッと来たことだろう。
自分がしっかりしなければならないという責任感を負うには清盛の肉体は耐え切れなかった。
引退した社長が経営再建に再び就任してもあまりうまくいくことは少ないように、平家は次第に弱体化していく。

『本文より』のコーナー
斎藤実盛、という老武将
この人は先に義朝に仕え、この時点では宗盛に仕えている。
この時代の忠義は後世の忠義とは異なり、その時点で仕えている棟梁にこそ仕えることこそが誠の忠義だとする。

おたがいの立場と考え方は自由であった。充分理解しあえる仲の友であった。
(7巻409頁)

頼朝は偉大である、王者とはこうでなければ精神がもたないのかもしれない。
いや、或いはこの時代はまだ根絶やしにするということが定着していなかったのかもしれない。
「家」を根絶やしにする、という発想は「織田信長」からなのかもしれない。

頼朝の真意はたれにも分からなかった。人々はただこの主君の反面に奇異な一性格を見出しただけである
(7巻441頁)


義経悲劇の前哨戦

下部と下部との感情はまた違う。鎌倉殿の直臣たちは九郎殿山の家人というと陪臣か外者のように差別した。
(8巻61頁)

源氏は平家から政権を奪っても僅か三代で滅びる、その主因は詰まるところこの言葉に要約される
これは佐竹を滅ぼした頼朝に向かって佐竹の家臣が吐露する言葉
「主家の滅亡を悲しむのは多年その家に仕えた人間の自然の情です、別にみっともないとは想いません。それよりも元を正せば佐竹一族も源氏です。なぜこんな同族の合戦に訴えないで和の道をおとりくださらなかったのか」

頼朝の性格

必要に応じては時に人命を断つことさえなんともしない風がある。峻烈かと思えば優しく、冷酷と思えば温かそうでもあり
(8巻67頁)

吉次の存在意義は武器商人

この戦争を能うかぎり大きくさせ、また長引かせるにある
(8巻77頁)

清盛の敵は何も武力をもった勢力とは限らない。
武力もなく、思想もない民衆の怨嗟も反平家の勢力になるには充分であった、ということ。

都心を追われた浮浪や餓民は蝗のように農家の貯穀を食い荒らしてゆき、あらゆる悪事と悪風をまいて歩いた。

いつの世も、同じことの繰り返し。今日もきっとどこかの会社で、学校で、官庁で武闘派と文官がもめているだろうし。

しょせん文官と武官とは一朝一夕には解け合えませぬ
(8巻123頁)

偶然は偶然ではなく、必然だというときがある。文章が綺麗

人為のほかな人為がある。何か眼に見えないものがこの世を動かしているのではないか。そう疑われもするような偶然や不可思議な作用がこの世にはある。
(8巻138頁)

意思とは別の次元で決めることがある。世間で言うところの「神の声」これも文章が綺麗

自分以外のものが自分をしてこうさせたのだと思う。日頃の小心な自分では決断しえないことである。
自分に代わって何ものかの力が二人(重衡と通盛)を呼び寄せたものだろう。
(8巻144頁)


【収録】
中立圏
日和見くずれ
北上
広常参陣
野彦
月見る人びと
怪異譚
征鈴
斎藤別当実盛
風流陣
御台所返り
けだもの処分
水鳥記
維盛不戦顛末
ちぢに思いを
黄瀬川対面
かまくら日誌
九郎殿衆
創府手斧屑集
死の商隊
露衣風心
夢野の夢
龍虎相泣く
浮巣の都
髷切り事件
馬と鹿
灼身大仏・嘲人間愚
耳に飼う蝉
春なきおん国母





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