2012年7月7日土曜日

ドライヴ

原題「Drive」


主人公の氏素性を詳らかにするか、しないか?
映画の方向性を決定するうえで、大切なファクターだと言える。

この夏公開される「ダークナイト・ライジング」
バットマンこと、ブルース・ウエインの場合、彼の苦悩を観客に見せる一方、映画の世界での民草には彼の苦悩を見せない。
だからこそ私たち観客は主人公に感情移入していくことになる。
「皆が悪者と扱うバットマンこそ、実は善人なのに」というジレンマのようなもの。

で、今作。
この主人公の氏素性は観客にも劇中の登場人物の誰一人として知らない。
自動車工場のオヤジさんが最も彼との付き合いは古そうだが、そのオヤジさんですら主人公の過去については深くは知らないようだし。
何せ、主人公の名前は分からないままだ。
天才的な運転技術の持ち主である彼、何故表の顔が「自動車整備工」や「スタントマン」なのだろう?
裏の顔「強盗の手助けをするドライヴァー」なのだろう?
過去・経緯が全く説明されない。
説明されなければされないほど、彼の過去に思いを馳せてしまう。
隣の人妻と子供への深い愛情の注ぎ方
(まして、人妻とはセクシャルな関係がない様子)
暗殺者の顔をグシャグシャにしても尚踏み潰そうとする激情。
そういった彼の言動の底辺に流れているものは何なのだろう?
彼は何故ここに住み、さほど裕福でない生活に満足し、夜になると犯罪者の手助けをするのだろうか?
何があったのか?あるいはなかったのか?
何を失ったのか?あるいは得たのか?
ドライヴァーの「これまで」について思いを巡らせるだけでも十二分に見ごたえがあるのに、終わり方がまた小憎らしいほど。
「これから」の物語に思いを馳せてしまう。
続編を製作して欲しい気分も少々あるのだけれど、これは観賞した各自の脳内で製作すればいい。
ひとつの映画によって語られる事柄を仲間と語り合えることが、映画の醍醐味だし、ひとつの映画によってその醍醐味を失ってしまうこともある
きっとこの映画は前者であり、仮に続編ができれば後者に当てはまってしまうように感じる。


表題の筆記体から始まる英文字が筆記体を基調としていたり、流れる音楽が80年代を連想させるようなテイストで、高校生の頃故郷の映画館で鑑賞しているような錯覚を覚えた。
1年半ぶりくらいに訪れたこの映画館、こだわりを感じられる映画館でゆったりと鑑賞できて心地いい。
また、音響施設もいいのだろう、発泡するシーンがあるのだが、2度ほど本当に弾丸が館内で発射されたように聴こえた。


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