2013年1月16日水曜日

のぼうの城(上)(下)


主要人物が誰一人として頭に入ってこない物語。
最初から最後まで誰一人として私の中で「人物像が描けない」
上巻途中から「これはおかしい」疑問を、抱き続けた、というのが偽らざる感想であり私が下した書評。

大抵の小説は、物語が進むにつれて人物像が固まっていくものだけれども、誰一人として固まっていかなかった。
成田長親という主人公の名前だけはフルネームで覚えているが、取り巻く家臣やら武将やら領民たちの名前を覚えていない。
私のビジネス能力の一つに「固有名詞を覚えるのが早く、且ついつまでも忘れない」特技がある。
自分で言うのもなんだが、この特技が全く活かせない、稀有な小説だ。

何故だかこの小説を漫画に例えて説明したくなった。
まずは
①コマ割りして規則正しく8分割(何分割でも構わないんだけれど)したカット割りを想像してほしい。
次に
②人物の顔やヘアスタイルはそれぞれの表情を持っているんだけれど、遠近が全く同じ。
最後に
③台詞は全て同じフォントサイズ、擬音であれ重大な発言であれ一切合財が同じフォント。
そんな漫画(ないと思うけれど)に読者が感情移入できるだろうか?

登場人物がいる場所や位置取りが近いのか?遠いのか?
喜怒哀楽の度合はいかほどなんだろうか?
時間軸がどれほど時間が掛かることなのか?或いは反対に短い時間での状態なのか?
この小説は読み手が頭の中で空想したりイマジネーションを広げていけるだけの「素地」を感じさせることを拒絶しているような構成だし、文章だ。
更に私にとって追撃ちをかけられたのが中途半端なネタばらし、話の出処(原典)の講釈。
興味が湧いたところで、講釈を述べられると教養が身についていく感覚を覚えるものだが(司馬先生とか)この作者の講釈は鼻についた。


上巻の中盤くらいでこの小説を読む楽しみをどこにも見つけることができなかくなり、以降は「文字を読む」という作業でしかなく、それすらも諦め挫折しようとする自分を奮い立たせて文字を読み終えた。
最早「本を読んだ」という事実を自分の中に残したいだけ、それだけがモチベーションでしかなかった。

どうしてもこの本が「本屋大賞を受賞」した理由が知りたくて、書評を幾つかのサイトで読みあさった。
読書メーターでは大半の方が「面白い」などと好意的な感想を記録されており、「私にはエンターテイメントな小説を楽しめるだけの素地は失われたのではなかろうか?」と自信喪失に陥るほど。
ところがAmazonでは「何が面白いのか分からない」といった感想が主流、素直に「ホッと」した。












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