新・平家物語に読み疲れたとき、及び読み飽きてきたとき(13巻くらい)に本棚を眺めたときに目についた小説。
「法では裁けない掟」がこの小説のテーマ。
2008年に初めて読んだ。
大きく衝撃を受けた。
それは、山本周五郎の作品を数冊読み、「周五郎=人生訓の語り手」にカテゴライズした頭脳を混沌とさせられたから。
それ以来の再読だ。
この小説を手に取った背景がもう一つある。
それは2012年10月中旬くらいにNHKにて再放送されていていたこと。
残念ながら、全5回のうちの4回目ぐらいが放映されていたものをたまたま見つけたに過ぎず、全放映を鑑賞しているわけではない。
放映中に観た顔は竹中直人と国仲涼子、そして阿部寛ら。
竹中直人が演じる絵師の存在がどうしても思い出せず(このエントリを起こすにあたりWikipediaで調べたらドラマだけのオリジナル人物とのことでホッとした次第)気になっていた、ということもあった。
読んでいくと、読者の期待(こうなるだろうという期待)を悉く裏切る展開に舌を巻く。
殺さないだろうという期待に反して殺す
殺すだろうという期待に反して殺さない。
そういった類の展開ばかりで、読み進める頁がもどかしく感じる。
「まさか、まさか」
「あれあれ、あれれ」
「嗚呼、嗚呼」
そんな言葉を口ずさんみながら読んでいく人も多いだろう。
主人公が手をかける被害者(母親、そして怠惰な男ども)のような存在は私の身の回りには存在しておらず、そのような人間が存在していることをニュースで知る程度。
そんな環境に生まれ、生きていることに感謝したい。
おぞましい事件でありながらも、主人公「おしの」の純粋さが血清成分となり、おぞましさを打ち消す。
主人公の自栽により物語は終結してしまうのが残念。
とはいえ、過去に自分が抱いた感想(下記)がなかなかGOODだ。
「山本周五郎は敢えてこの主人公に自栽させ、読み手が青木与力であれば彼女をどう裁くのか?」
を考えさせたいからなのではないか。
うん、確かに。
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