2014年2月8日土曜日

ラッシュ

原題「Rush」
14年観賞3作目


およそ10年ぶりくらいにF1を観た。
テレビの画面ではなく、スクリーンで。
生のレースではなく、作り物のレースを。
とても作り物とは思えない臨場感

真実の物語だけに重みが違う。
ニキ・ラウダの決断のことも、ジェームス・ハントのプレイボーイぶりも、富士スピードウエイでの結果のことも知らずに鑑賞したことは、作り物ではなく生のレースとして目の前に繰り広げられる。

予想よりもレースのシーンは短かったけれど大満足である。
パイロットの視点から見えるコースや他車とのバトルには、月並みな表現だが自分自身がF1パイロットになれたような夢が体験できたし、サーキットの縁石付近からのショットにはのけぞってしまうほどの迫力がある。
サイドバイサイドの闘い
F1の醍醐味だ
実際のF1レースのライブ映像は技術進歩がすさまじくオンボードカメラなどでレースの迫力も、他車とのバトルも分かるようになっているのだが、Rushでの映像はライブ感があったしそれ以上の出来栄えだと感じた。
ロン・ハワードはこのような実話をベースにした作品を撮影させたら右に出る人はそうそういないんじゃないか!!と思う。
「アポロ13」も素晴らしかったし、実話ではないけれど「バックドラフト」の炎の動きを目に焼きついている。
対して「ダ・ヴィンチ・コード」は全然印象に残っていない。
雨に濡れるマシン
とても綺麗だ

70年代、F1パイロットの死亡率が2割を超えていた時代。
2010年代は0%、94年のアイルトン・セナ以降、死者は出ていない
それだけマシンの安全性が向上したことは大変喜ばしいことである。
ただ、冒頭に10年ぶりにF1レースを観た、という私なりの理由は2000年代以降のレースはコンピュータがマシンを制御していて、レースの主役はパイロットではなくなり、監督やコンピュータメカニックによるデータ偏重主義になってしまった。
こうなってしまうとパイロットは誰でもよくて(実際はそんなことないのだけれど)レースにドラマティックさが薄くなってしまった。
コンピュータがない時代のレースはとても人間臭い。
そこに幾つもの泣き笑いがある。
今作中にもピットレーンでのトラブルがある、まさしくそういったヒューマンエラーや意思疎通を画面越しに感じられるレースほど面白いものはなかった。
F1はレギュレーションの変更を云々する前に、コンピュータ使用を禁ずる、または制限をかけていくほうが絶対面白くなると思うのだが。

主役二人がそれぞれ対称的な人物を演じてくれて非常に分かりやすいドラマツルギーの進行だった。
クリス・ヘムズワースの印象がだいぶん好転した。
ライターのカチカチ演出はプレイボーイの表の顔の裏側に存在している常に死との恐怖と向き合いながらイライラしている、ジェームス・ハントがファンには見せなかった一面なんだろう。
ダニエル・ブリューレは益々スターダムを駆け上っていくような予感がする。
本物のニキ・ラウダと区別がつかないほど彼の演技は素晴らしかった。
また、それぞれの妻を演じた二人の女優もとてもキレイだった。
何より衣装が素敵だった。
あまり服のことに詳しいわけではないのだが、ニキが奥様と始めての出会いのときの白いドレス。
....あと、飛行機の中でハントがエロ視線を送ったスチュワーデス(まだキャビンアテンダントという単語は日本になかった時代だもん)の素晴らしいヒップラインと、脚のライン。

ああ、最後にちょっと真面目に。
「プライドと友情」なんて陳腐なサブタイトルは不要だ。
日本語吹替えではKinki Kidsが吹替えしているという。
最近の吹替えの文化は本物志向からタレントの知名度で客引きをしようとする姑息な手段に出てきており、不愉快な気分に見舞われる。
起用されるタレント側が嬉々として応じているようにも思えない。
声優さんたちの領域は彼らに任せてあげないと吹替えという文化が廃れていくのではないかと危惧している。

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