二編から構成される
「要塞」
坂の上の雲を読む以前、特に小学校のときに教科書かマンガ日本の歴史あたりで記憶したのが「乃木将軍という人は大層偉い人」、そう。偉人の範疇にいる人だった。
ところが、坂の上の雲で書かれた旅順攻撃の際の二百三高地を巡っての乃木将軍の無能っぷりに、口をあんぐりしながら読み進めた。
対する児玉源太郎のことは坂の上の雲で初めて知った名前だったが、乃木との対比的な書き分けが更に乃木将軍の無能っぷりが顕著だった。
もうここでの司馬センセの乃木希典への嫌悪感は隠しようももないほどで、他の作品では客観的且つ冷静に人物像を紡ぎ出す人がかくもこう感情を制御できずに書いている様は、司馬青年が陸軍へ進み、その陸軍の無能ぶりの遠因或いは近因が乃木にあるのだ、と思い至ったからなのだろう。
「腹を切ること」
この小説(?)というか考察のようなもので書かれた乃木希典の主要素を形成する彼の内面を炙り出したもの。
大きな功績もなく、未来への可能性も感じられない人間がたまたま属した団体(この場合は藩閥)の勢いに乗せられて重責を全うしなければならない地位に就いたときに起こる悲劇の物語だ。
誰も死なずに済めばコメディの領域なのだが、何せ日露戦争での指導者として実務もできなければ大局を捉えることもできない人が選択して追求していくのが「形式美」「形式主義」に至ったのだとすれば、この追求によるものが太平洋戦争敗戦まで大きく作用し続けたと考えられるし、また私が学生だった頃のリベラルを無視したような戒律的な校則や生徒手帳のありようにも作用していると考えられる。
乃木の外形美への傾倒、生活規律への傾斜は敗戦後も脈々と学生への戒律を支配し続けているようにも思える。
陽明学に殉じた者は司馬作品によく登場する
大塩平八郎、西郷吉之助、河井継之助、赤穂浪士、そしてこの乃木希典なのだが、乃木以外には彼らには民衆なり同胞の救済が目的で決起することになるのに比して、乃木の決起は自己陶酔によるものではなかろうか、と感じる。
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