2013年10月27日日曜日

ローマ人の物語 6 勝者の混迷[上]

ゆっくり、ゆっくりと読み進めている「ローマ人の物語」
春にハンニバル戦記を読み、夏い暑、いやいや暑い夏を乗り越え、日中は残暑が厳しくても夜になると並みの残暑になった頃から、ハンニバルの次時代のことを知りたい気持ちが湧き上がってきたピークを迎えてこの手に取る。

友人らに、この本を読んでいる画像を紹介すると「偉い」と褒められてしまい(誰かに褒められたい気持ちは確実にあった)、嬉しい気持ちを感じた。
同級生たちも歴史好きな輩が多く、世界史にしろ、日本史にしろ造詣が深い。
そんな中で歴史通という認識をされているのだが、私ほど歴史を知らない輩もいないだろう。
偏った思想には染まらないように生まれているんだと思う(或いは偏ってしまう自分にストッパー機能がどこかで働いているのかもしれないが)
何にせよ、知らないから知りたいと思う。
知識欲です。
「知りたがり」だと人は言う。
うん、そう。
歴史を知っておけば人と話すとき、ウィットに富んだ言葉が出るし、そのようなこじゃれた会話ができる人間でいたいなぁ、と願っている。

さて、この6巻、勝者の混迷。
冒頭のハンニバルの言葉、これに尽きる。
軍人としてのハンニバルは偉大だけれども、この言葉を遺した先見性の持ち主のハンニバルの偉大さに感服している。
グラックス兄弟の改革の挫折を読めば読むほど、腑に落ちていく深度がマリアナ海溝なみ。

グラックス兄弟
正しき道を進もうと考える人、そういう人に限って落命の道を辿る典型的な人。
正しい道を進もうとする人は、誰もが正しい道へ同調してくれるものだと幻想を抱く生き物なのかもしれない。
正しき道に進もうとする人は、蛇の道は蛇を知り尽くしている懐刀が必要なのだろうが、正しき道を進もうとする人はそのようなこと嫌う、という矛盾が横たわっている。

マリウス
軍人あがりの政治家
このような人はいつの時代にも存在しているようだし、その存在意義は他の人びとからすれば非常に短いし、存在意義そのもの決して高いものでもなさそう。
マリウスの為してきた功績を読んでいると、我が国の山縣有朋の顔がチラついてしまう。
軍を私していく過程がよく似通っているように感じている。



0 件のコメント:

コメントを投稿