帰りの列の中でパンフレットを見かけたら「LIKE FATHER LIKE SON」と書かれていた。
この洋題のつけ方は、シンプルで至極的を得ている、と感じ入った。
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福山雅治と尾野真千子 龍馬はおりょうをフッたんだなぁ (龍馬伝ネタ) |
何せ、この作品の触れ込みは凄かった。
カンヌ国際映画祭の審査員賞獲得のニュースに湧き、いつのまにやらハリウッドでのリメイクまで決まっている。
老いも若きもこぞって今作を鑑賞に赴くというのは、数年前の「おくりびと」以来なのではなかろうか?
この夏公開されたジブリの「風立ちぬ」は、若い世代には圧倒的な支持を得ているだろうけれど、老いゆく世代への支持は、孫がいることが前提でしょう?
私の身の回りも巡り巡って鑑賞に赴いている人が多い。
①仕事の合間に1000円で観賞した同級生女子
②夫婦の何かの記念日に鑑賞に赴いた同級生男子
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真木よう子に私も抱きしめられたい(笑) 自分が抱きしめられているように 錯覚してしまった。いいシーンです |
③職場から何かの縁でチケットを渡されて無料で鑑賞させられた(した?)女性社員
多種多様な人が異口同音に「感動した」(感激した)と言う。
それならば鑑賞に赴く価値はあるのかな?と思いながら劇場へ脚を運んだ。
今作、いいですね。
ありきたりな表現しかできない、語彙の少なさに自己嫌悪に陥るけれど、よかったです。
過剰な演出は無し、妙なスローモーションみたいにして、無理矢理に観客の涙腺を緩ませようとする演出が無い。
悪く言えば淡々と進んでいくのだけれど、このペースが事実のように観客に誘ってくれている。
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野々宮家と齋木家のスタイルの違い 特に母親のファッションと手の組み方に 表れる よく見る画像だが、鑑賞後に観ると この一枚に込められた意図を理解できる |
無駄な言葉を費やさず。説明過剰な邦画にしては驚くほどに静かな作品だった。
音楽も主題歌とか無理矢理な挿入歌も無く、これは私にとって大きな満足ポイントだ。
テーマは「共に過ごした時間」か「血(遺伝子)」か?
どちらを選択するのか?というテーマで、主人公(野々宮良多)を我が身に置き換えてみても、答えが出てこない。
否、客観的な私は脳内でこう言っている。
「我が血を受け継ぐ者を手元に残すのが筋だろう、我が子と思った子供との6年間が貴重なのはもっともだが、早く我が血を受け継ぐ者との生活をスタートさせねば。子供の順応性は高い、今の子との別離は辛いけど、あっというまに子供は本当の親に馴染んでいくだろう。」
しかし、主観的になれば、「そして」となるシーンのくだりで
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「凶悪」の木村(先生)を演じた リリー・フランキー こっちでは気のいい電気屋のおっちゃん ギャップ激しすぎ! |
「嗚呼、客観的な思いは所詮は主観の前には無力だ」と、感嘆してしまう。
是枝監督は、観客に「答え」を提示せずに、観客に委ねてこの映画に幕を降ろした。
主人公(野々宮良多)を取り巻く環境も複雑で、このバックボーンがあればこそ、彼の苦悶・苦悩する姿が、味わい深い。
鑑賞者の性別によっても、頭に残る言葉も全く異なるんだろう、と思う。
妻が夫に激昂したセリフ、私は頭に入っていませんでした。
そして、きっと同じ言葉を吐くことになるだろうと思っている。
男(オス)にとっては、種を撒くことしかできない性だからこそ、あの言葉が出てくるんですが。
女(メス)にとっては、種を受けて畑で成長させる性だからこそ、あの言葉が許せない。
馴染んで来ない実の息子に心の何処かで扉を閉ざす父
優秀な俺の血を受け継いでいる息子なのに、といらつく父
触れあえば触れ合うほど母性が目覚めていく母
育てた息子への愛と実の息子への愛の狭間で揺れる母
私は男だが、この母(ゆかり)のどうしようもないやるせなさ、どうしようもない愛の多方向へのベクトルが胸に迫ってきた。
主人公家族ばかりでなく、取り違えの主たる原因を為した女性の義理の息子の登場だとか、主人公の義母だとか。
実の血の繋がりはなくとも、家族として生活している人びとの登場で、「血」ばかりでもないよなぁ...と男(オス)に気づきを与えてくれている作品だよなぁ、と受け止めている。
作品全体を通して涙腺は緩くなるけど、バルブから溢れることはなかった。
(ま、涙脆くはないタイプですから)
劇中後半になると、後方や横からすすり泣く嗚咽が幾つも聞こえてきた。
鑑賞後に見回してみたら、大半が年老いた女性(子育てを終えて、孫らの世話をするような世代)だった。
きっとゆかり(尾野真千子)のセリフに、バルブを捻られ。
良多(福山雅治)の表情に、蛇口を回されましたね。
色んな受け止め方があって、いいんじゃないかな。
鑑賞して、私の頭に流れるのは
「太陽」(佐野元春)だ。
こういう作品にはBGMは不要だ、鑑賞する人(受け手)の頭の中で流ればいい。
それがイマジネーションにも繋がるし、新しい文化・趣味・嗜好の起点にもなるんだ。
そう感じている。