屋島の合戦の終盤から、壇ノ浦の戦いの序曲まで
途中、平家が宮島に寄港し、雅な一夜を過ごすくだりは、儚い。
歴史の勉強では、「公卿の真似をして武家らしいことを取り入れなかったがために平家は滅びた」と、両刀一閃にてぶった斬られるようにこき下ろされるのだろうが、この一面があるからこそ平家が後世にいつまでも同情を寄せられる面でもある。
また、歌舞伎やら時代劇になると必ず登場する屋島での那須与一の的射。
与一はどんな人なのか、知っている人は稀ではなかろうか。
この小説では、義経が奥州へ向かい頃から既に登場しており、与一と義経の縁を繋がるように伏線が張られている。
また、与一あ梶原の部下でありながら、この一件で後に不幸なことに見舞われることも書かれている。
2005年の大河ドラマ「義経」で阿部寛が演じた平知盛は、教経と知盛の二人を合体させて知盛として描いている。
私にとっては、それが映像で初めて観た「知盛」の像のため、読んでいると勇猛果敢な教経と、思慮深い知盛のどちらともが阿部ちゃんの顔に変換されてしまい、混乱する。
まして、その二人が言い争う行なんぞ、私の脳内はてんやわんやの大騒ぎに見舞われる。
「本編よりのコーナー」
平家が後世に愛される所以となる平家の個性。
(平家は)源氏のようなすでに軍律を持った軍隊ではない。
西八条、六波羅などの花の館がそのまま都の外に漂い出てただ自己を守るために戦い戦い、軍に化してきたに過ぎない。
(13巻92頁)
那須与一が扇を射るまでの心理描写。
私たちにも、「ここは決め所!!」という場面でも、心の有り様はこのとおりだ。
的の象はかなたの小舟の上にあるものだが、しかしほんとの的は自分の胸の中心にある。
もし、仕損じたらという雑念が容易に追い退けきれないのだった。
(13巻103頁)
義経が観て、感じた平家の有り様。
(司令部)総司令は過酷であり、残酷な決断を下すことが容易なのに比し、(戦地)将軍がその決断に従えない、ということが戦争映画などではよく見受けられる。
現場を観た者と観ていない者では、下す決断に情が入り込む、それが頼朝と義経の仲違いの決定的な要因なんだろう。
これを書いて、梶原景時という人はノーマルな人ではなく、殺戮愛好者だったのかな、ふとそんなことを考えた。
上には幼い帝とおん国母を擁し、あまたな女房や無用な老人やら女童までを連れているのだ
それは幾十という大きな家庭の延長であり家庭の寄せ集めと言ってもよい。
(13巻162頁)
以下、目次
玉虫
余一の憂鬱
的
桜間ノ介
海の蛍籠
教経・哭き嘲い
祝杯
夢の中にも夢を見るかな
降兵始末
喧嘩過ぎての
白峰颪し
大魔王
よしや君
浮巣の門
平家の氏神
大鳥居
地への恋
はつぶり下臈
旧縁
風前千燈
似しも給わず
手引の約
彦島とりで
船所歌
逆艪
上ノ関を出る
満珠・干珠
黄門知盛
黒い月
鬼曲
かたみ送り
御身隠しの事
女房の柵
筑紫の紅白
死出の伽羅焚き
のろし
悲風の将座
みかどと蟹
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