2008年~2009年にかけて全16巻を読破。
それ以来の再読。
再読しようとは考えていたが、もっと年数を先に考えていた。
例えば定年だとか、還暦だとかという年齢をイメージしていた。
それを曲げてでも再読する気になったのは今年の大河ドラマ「平清盛」の影響
前回が2005年に放映された「義経」をもっと深く理解したいというのが起点。
視点は源氏に合わせたし、肩入れもした。
今回は平氏に視点を合わせたい、または中立的な視点でいられればと思う。
大河ドラマは3分の1ほどを放映し、ようやく清盛が独り立ちし彼を中心としたドラマに移行していく様相。
前回のときも、単行本の巻数ではなく「~の巻」の「巻」毎に記録をつけていった。
大変に苦労しながら読み進めた。
今回も前回同様、「巻」毎に記していこうと考えている。
同じ感想が出てくるのか(普遍的な感想なのか)それとも新しい発見があるのか?それを見比べてみたい。
こういう楽しみはインドアライフ派の私にとっては至福の楽しみである。
史実は常に勝者によって記録され後世に伝えられる。
私たちが歴史の教科書で学んだ平清盛といえば
①武家政権を築き上げた人物
②貴族生活に憧憬を抱き、模倣して源氏に討たれた人
この2つのイメージに集約されるかと思う。
尚且つ、①の功績よりも②のイメージが圧倒的であり、清盛自身は病死しているにも関わらず、討たれた人という印象が強い。
「ちげぐさの巻」では清盛が18歳~30歳までを描いている。
久安元年(清盛30歳)に彼は祇園乱闘事件で神輿に向けて矢を射る。
この行為は大変に常識破りな行為とのこと。
でも、ポジティブシンキングの立場でいけば、自由な発想、素直な発想。
例えば後世の信長の楽市楽座、龍馬の薩長連合
時代の権力者が築いてきたあ事績をリセットして考える、あるいは現状を否定して考えてみるということが如何に難しいのか、それは「消費税の導入」や「郵政民営化」「国鉄からJR化」など国営事業の民営化など、提案されれば「あぁ、そうだよねぇ」と納得できることでも、提案される前には思ってもみなかったという人のほうが多いこと。
大河ドラマでは神輿を射るシーンをあまり劇的に演出しておらず、拍子抜けの印象が強い。
ただ、考えようによっては、これが実際の出来事に近い。
歴史的転換期なんてものは後世に伝える人間が意図的に演出しているだけ、実際は「あっ」という瞬間でしかないのだ。
この巻では清盛と同時代に生き、生き方を同じくにしたもの・異にしたものが早くも登場する。
西行法師、文覚上人、義弟・時忠、妻・時子、信西などなど。
さて、この一方でノートに年表を書き始めた。
前回にはしなかったことだ。
このノートを書き綴っていくのか?それとも挫折するのか?
記録してみて早速の感想。
この時代の改元の多さには仰天するばかり。
とはいえ、どこかの国の総理大臣の任期よりも長いのだが(笑)
【収録】
貧乏草
わんわん市場
胎児清盛
祇園女御
夜来風雨急
去りゆく母
競べ馬
袈裟御前
宿借の女御
好色法皇
祝杯
新妻月夜
栗鼠の夢
鬼影
貞操百花図
馬上吟
地下人さかもり
鳥獣戯画
鶏持ち小冠者
染め糸の記
篝り火談義
歌使い
源氏の父子・平氏の父子
乳人の恋
長恨宮
出離
女院と西行
六波羅開地
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