2012年5月30日水曜日

新・平家物語 石船の巻


平治の乱により繁栄を極める平家一門
対抗勢力の源氏は実質滅び、平家による一党支配は武門だけに留まらず本来公卿でなければ就けない政治のポストにも平氏一門が就く。
面白くないのは地位を喪失し隆盛を奪われた形になる公卿ら。
また、かつて祖父が時代に隆盛を極めた院政により権威を取り戻したい後白河法王
法王を常に取り巻くのは公卿。
平家の棟梁清盛のビジョンは宋へ向かい、貿易拠点として福原に目をつけ、京を離れ、政務も離れていく。
不満分子の結合の予兆、肝心なトップは首都に不在
平家の隆盛は外観は華やかな盛りを迎えているが、足元は危うい。
巻の後半には後に平家を危うくする存在の代表として文覚上人が伊豆へ追放され、牛若が鞍馬を脱出する
頼朝がいる伊豆へ流し、牛若が鞍馬を脱出しても、平家に危機感は薄い。
平家は危機管理体制が絶無な組織ではないのだろうか?


平治の乱後一気に駆け登る清盛の成長を評して。
無我夢中で仕事に邁進した後、暫くして上司などから称えられたことのある人なら誰にでも覚えがあるのではないだろうか。

人間のほんとの成長とはたれも気のつかないうちに、土中で育っているものである
人が言いはやすのは地表の茎や花でしかない
(12頁)

清盛の孫が美しかった理由、交配の妙とでも解釈すべきか。

優良のまま退化しかけている生物(貴族のこと)も植物も強靭な野生の生命力(平家のこと)と結びつくと、その配合のもとにはすばらしくみずみずしい生命を開花し出すと言う
(89頁)

先の巻で登場した美少女明日香が祇王

成功者に仕える女の不幸、そしてこの時代の女性の性欲との付き合い方の不幸

心は一つしかないはずのものでありながら、二つの心が自分の中に住んでいたことを思い知る苦悶の怪しさは、産婦の陣痛のように、女性だけがうけて生まれたもののようである。
(120頁)

平安朝の遠い世ごろから、女たちは、女の自由を貞操の限界だけではかなり放縦にされてきたが、結局、彼女たちは貞操だけの自由に今は疲れ果てていた。
もっと広い自由に何か欠けていたからである
(126頁)

清盛は公卿の真似をしたい人物ではない、武家には武家なりのスタイルを築きあげたいと考えていたのだと言う

けれど、華奢風流といい、仏教といい、かれえは公卿の真似事などはしたくもないのだ
みずからの文化を創り出して「六波羅様と言え」と奨励したつもりである。
また、宗教の意義や尊ぶべきことはかれとて充分にわかっていた。


【収録】
昼顔夕顔

市女笠
額打論
風声
清水寺炎上
一学生
花の聚楽
妓王
君立ち川
仏御前
四人尼
虫一斗
かむろ
車あらそい
九条兼実日記
宋美人
経ヶ島由来
孔雀の卵
文覚配流
よもぎ餠
日蔭の君
鞍馬の遮那王
稚子文状
野の歌
九十九折

2012年5月22日火曜日

新・平家物語 常盤木の巻


平治の乱で敗れた源義朝
義朝には沢山の子供を遺した、中でも由良御前との間に生まれた三男頼朝
そして1000人の中から選ばれた藤原呈子の雑仕女の常盤から生まれた九男(あるいは八男の説あり)の牛若
この巻ではその常盤を中心にして進んでいく
常盤の物語とは直結しないが、西行法師が登場し無常感を説く
子供の助命の代償として清盛との情交をなした常盤を不義、不倫の女として義朝の旧家臣金王丸が常盤の命を奪おうと画策する
その金王丸と義平に対し、文覚が登場し、毀誉褒貶の中でも遺児三人の成長を願う常盤の心は強いのだと説く


清盛が常盤を愛妾としたというのは通説だと吉川英治は書く
その理由

後の鎌倉幕府たる頼朝の治下になっては、義経の生母である常盤と、清盛との関係はあんなふうに書かなければぐあいが悪かったものであろう
(164頁)

この時代の女の性欲について書かれているのが目に留まる
片や出家して孤閨を守る女性、他方で思いのまま気ままに性欲を優先して生きる女性
この時代のモラル

197
平安朝の女、以後の世代の女性もこういう想いに黒白もなく、ただ泣いていたのである。
そしてその反省に畏む女性は法華経の写経に浄化されようと努めたり、また早くに髪を切って尼姿になったりした。
また、解決の途を肉体の答えに従って奔放になってゆく女性は極端な自由を恋愛に焦きただらした。
遊女ともなり、くぐつにまで落ち路傍に卒塔婆小町のような姿をさらして、肋骨を犬や烏に食わせてしまう女もあった
(197頁)

【収録】
春の話題
裸天女
奔牛
忘られ妻
春怨
からす説法
石切人生
巡り逢う水
悪蔵と賽の目
男性四十夢多し
壬生雀

若葉わくら葉
凡情納経
歌法師
いずち昔の人行きにけん
天皇恋し給う
二代の后
白拍子町
乙女子明日香
良人讒訴
夢占

にらめっこ
海の氏神
黍と粟と稗

2012年5月21日月曜日

新・平家物語 六波羅行幸の巻

 保元の乱が院と王の戦い、貴族と貴族の戦いであったのに対し、平治の乱は源平に別れて戦っている。
戦闘時間は平治の乱が短いのだが、その凄まじさは保元の乱の比ではない。

★疑問
保元の乱のとき
彼らは何歳だったのか?
清盛、池尼、重盛、むねきよ、頼朝、義朝など


悪源太義平、「悪」がつくと現代に生きる私達からすれば「悪ガキ」とか「悪党」に代表されるように、マイナスの印象が先立つが、そうではないとのこと。
言葉は時代と共に意味が変化していく。

むしろ憎悪のできない悪、かれにもあるが自分らにもあるとはっきり共感できる悪、ほんとうはとてもいい奴なのにその反対のボロを出して世間から叩かれてばかりいる悪
(二巻335頁)

平治の乱に際し、清盛が狼狽え、子の重盛が諌めたという説が根深いらしい(知らなかった)
これは後世の源氏の時代になり、書かれたからだという

歴史は勝者が敗者を書いた制裁の記録
(二巻346頁)

三巻
二院政治(源平2つの勢力)の弊害を引き合いに出すことで昭和軍部(陸軍と海軍)の統帥権の二分から来た弊害を説いている

およそ古今、地上のどこでも一国に統帥を異にする軍部が二つ存在する場合は必ず軋轢し、必ずその国の乱になる
(三巻18頁)

社会にとってももっとも厄介な存在でもあり、また慈しむべき存在が何も知らない民衆。
平治の乱で、荒れた宮殿に上がり込み殿上人ごっこをし、自らの命を軽く考える民衆。

社会にとっても為政者自体にしても一番恐るべきものはこうした無自覚な生命の群れであることはいうまでもない
(50頁)


世に有名な池禅尼による頼朝助命嘆願
これを平家滅亡の序曲とするのは、後に平家を打ち倒したのが頼朝だったから、という考えは浅いと説く
公共と私の混同をした平家の政治のありようが直結する原因だと説く

政治を血族間で私する、また、政事と家庭の混同ほどかつての藤原貴族を腐敗させたものはない。
(104頁)

これも有名な常盤御前が清盛の前に自分の母の助命嘆願に出頭するくだり
男の本性というべきか、または男が自分自身に嫌悪感を抱く感情が書かれている。
この文章は結構私自身には当てはまるので、読むときは頷きながら、しかし自己嫌悪が渦巻いた

男が美人を見る場合公式な無感情をもって臨んでも、また、同情と憐憫を抱いていても美しい女性を美しいと感じることに増減はない。
(132頁)

【収録】
商人胸暦
不知火
暗黒宮
信西・穴這入り
悪源太義平
非時香果
清盛帰る
稚気の冠
女房衣
過去・現在・未来
源氏名簿
左折れ右折れ
桜と橘
平治見物記
逆さ兜の事
雪のあと

すすはらい
餓鬼国管絃楽
落伍
天意不可思議
紅梅は心まで紅い
慈悲喧嘩
胆大小心
常磐艸子
女ぐるま
続・常磐艸子
木乃葉笛







2012年5月17日木曜日

新・平家物語 ほげんの巻



戦争
いつの時代であれ、人と人が殺し合うことには変わりない。
この時代は、自分自身が獣に墜ちないように、趣向を凝らした武具を身に纏う
それにしてもこの戦はあまりに凄惨、酸鼻を窮める。
(84頁)
中でも源氏、父親為義と息子義朝が敵味方に別れ、勝者・敗者として再会するくだりに胸が痛くなる
(172頁)
勝利側の首謀者信西の独裁ともいうべき専横に対する批判として、かつて袈裟御前を斬り殺した文覚が登場、無常を説く。
何もかも象あるものは盛衰をまぬがれない。
輪廻の外に生きる工夫が必要だと思う。
(197頁)
文覚、崇徳上皇のお側で水守をしていた麻鳥に説く。
人間とは一日中に何百篇も菩薩となり、悪魔となりたえまなく変化している善心悪心両面の危なっかしいものだとある。
敗者の崇徳上皇の配流後の過ごされ方は同情では気持ちが追いつかない。
およそ、人間の子の不幸は、地上、無数といえるが讃岐で果てられた新院の君ほど悲惨な御生涯はまれである
(235頁)

保元の乱は貴族の権力争いに端を発し、武士は貴族が保有している武器としての存在でしかない。
そう理解している。

【収録】
宇治の関
呉将と越将
鎧騒ぎの事
為朝
加茂川濁水記
瀬々の水たま
兄・弟
陛下と麻鳥
鵜の眼玉
般若の一露
窮鳥
黒業白心
いかずち雲
志賀寺ざんげ
夜の親
文覚往来
木の葉皿
火炎行列
流人舟
松かぜ便り
白峰紀行
江口の君たち
色ぜん尼
深草謀議
朱鼻どの
熊野立ち


2012年5月14日月曜日

新・平家物語 九重の巻

この巻に移り、保元の乱前夜の様子が描かれている。
この禍根の根源は二院政にある。
どこかの極東の国も現在N田総理とO沢さんが二院政しているようなもんなんじゃか、と。
二院政の弊害は何といっても命令の出所が二箇所になって統帥権が分断されてしまうことだと、吉川英治も書いておられる。


王家の周りに蔓延る権力を求道する摂政・関白らの醜い政争にうんざりもさせられるが、この時代から9世紀を経ようとしても尚、同じような現象は続いている。
そして、この現象はいつまでも続くのだろう。


この巻の読みどころは物語を詳らかにしてくれていることよりも「人間到るところに人間あり」の章で、吉川英治が書いている、仏教の興りのに尽きるように思える。


次章、いよいよ、酸鼻を極める保元の乱が始まる。


【収録】
大比叡
神輿振り
人間到るところに人間あり

あらしの前
案山子陣
一投石
石の雨
悪左府
美しき家族
野風
童女像

立后ニ花
煩悩ぐるま
霰御所
土用暦
摂政争奪
苦い菊酒
幼帝御一世
女の国
熊野巫女

柳ノ水

二つの門
如法闇夜
保元・地獄序曲
赤旗の下
零余子艸子
白旗の下
源太産衣





2012年5月9日水曜日

新・平家物語 ちげぐさの巻

2008年~2009年にかけて全16巻を読破。
それ以来の再読。
再読しようとは考えていたが、もっと年数を先に考えていた。
例えば定年だとか、還暦だとかという年齢をイメージしていた。
それを曲げてでも再読する気になったのは今年の大河ドラマ「平清盛」の影響

前回が2005年に放映された「義経」をもっと深く理解したいというのが起点。
視点は源氏に合わせたし、肩入れもした。
今回は平氏に視点を合わせたい、または中立的な視点でいられればと思う。

大河ドラマは3分の1ほどを放映し、ようやく清盛が独り立ちし彼を中心としたドラマに移行していく様相。

前回のときも、単行本の巻数ではなく「~の巻」の「巻」毎に記録をつけていった。
大変に苦労しながら読み進めた。
今回も前回同様、「巻」毎に記していこうと考えている。
同じ感想が出てくるのか(普遍的な感想なのか)それとも新しい発見があるのか?それを見比べてみたい。
こういう楽しみはインドアライフ派の私にとっては至福の楽しみである。

史実は常に勝者によって記録され後世に伝えられる。
私たちが歴史の教科書で学んだ平清盛といえば
①武家政権を築き上げた人物
②貴族生活に憧憬を抱き、模倣して源氏に討たれた人
この2つのイメージに集約されるかと思う。
尚且つ、①の功績よりも②のイメージが圧倒的であり、清盛自身は病死しているにも関わらず、討たれた人という印象が強い。

「ちげぐさの巻」では清盛が18歳~30歳までを描いている。
久安元年(清盛30歳)に彼は祇園乱闘事件で神輿に向けて矢を射る。
この行為は大変に常識破りな行為とのこと。
でも、ポジティブシンキングの立場でいけば、自由な発想、素直な発想。
例えば後世の信長の楽市楽座、龍馬の薩長連合
時代の権力者が築いてきたあ事績をリセットして考える、あるいは現状を否定して考えてみるということが如何に難しいのか、それは「消費税の導入」や「郵政民営化」「国鉄からJR化」など国営事業の民営化など、提案されれば「あぁ、そうだよねぇ」と納得できることでも、提案される前には思ってもみなかったという人のほうが多いこと。
大河ドラマでは神輿を射るシーンをあまり劇的に演出しておらず、拍子抜けの印象が強い。
ただ、考えようによっては、これが実際の出来事に近い。
歴史的転換期なんてものは後世に伝える人間が意図的に演出しているだけ、実際は「あっ」という瞬間でしかないのだ。

この巻では清盛と同時代に生き、生き方を同じくにしたもの・異にしたものが早くも登場する。
西行法師、文覚上人、義弟・時忠、妻・時子、信西などなど。

さて、この一方でノートに年表を書き始めた。
前回にはしなかったことだ。
このノートを書き綴っていくのか?それとも挫折するのか?
記録してみて早速の感想。
この時代の改元の多さには仰天するばかり。
とはいえ、どこかの国の総理大臣の任期よりも長いのだが(笑)

【収録】
貧乏草
わんわん市場
胎児清盛
祇園女御
夜来風雨急
去りゆく母
競べ馬
袈裟御前
宿借の女御
好色法皇
祝杯
新妻月夜
栗鼠の夢
鬼影
貞操百花図
馬上吟
地下人さかもり
鳥獣戯画
鶏持ち小冠者
染め糸の記
篝り火談義
歌使い
源氏の父子・平氏の父子
乳人の恋
長恨宮
出離
女院と西行
六波羅開地

2012年5月1日火曜日

水上バスに乗って

「Water Line」
初出は「Fruits」

2012年のゴールデンウイークは前半は陽気に恵まれた。
初めて京都競馬場に繰り出してみた。片手に新・平家物語を、片手に馬券を握りながら。
淀の地で新・平家物語を読むのは歴史を身近に感じることができる。
きっと京都競馬場がある場所界隈を清盛も戦に繰り出したり闊歩したこともあるのだろう、と思えば同じ地面を踏みしめているという感傷は心地よい。

これから後半を迎えるのだが、概ね全国的に陽気に恵まれないほうの確率が高いようだと、テレビのウエザーニュースが報じている。
雨天や曇天が続くようであれば残念だ。
思い切って小旅行に出かける予定
晴天に恵まれる日に巡り合いたい

「ある晴れた5月の午後」から始まるこの曲、どのフレーズも最近の自分の心のありようを優しく代弁してくれている。
群青色が好きだ
完璧な世界なんてどこにもないことを身につまされるほどよくわかってきた
終わりの来ない日常に苛立ちながら過ごしている
うまくゆかないときでも、(遠く離れたところで仕事をしているけれど)君に守られていることを体の内側から感じることがある。
飾らない返事を君は待っている、のに、飾らないストレートな返事をすると照れまくる。

この小旅行では海には繰り出す予定はないのだけれど。
水上バスなんてない地域に行くのだけれど。
小さな船でもボートでも構わない、河川でも湖でも構わない。
まばゆい君と幸せな時を過ごそう。