「Napoleon Fish Day」
初出は「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」
このアルバムの歌詞をSiteでなにげに眺めていると、改めて気づいた。
どの曲も(佐野元春にしては)文字数が少ない。
言葉につぐ言葉のような印象が深いアルバムだから、驚いた。
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」は佐野元春の歌詞にしては行数が少なく、僅かに14行
(ちなみに「Visitors」の「Come Shining」は4倍以上の行数)
歌詞の勘違いを発見。
これまで
きみの「腕」に抱かれて
とばかり聴いていたが、
きみの「胸」に抱かれて
だった。
「腕」と「胸」では随分と曲が持つ印象が変化する。
どちらも腕なり胸の持ち主を精神の拠り所としているのだろうが
「腕」よりも「胸」では愛情を求める度合いが深く、孤独な期間が長いような印象。
腕は恋人であり、胸だと母や妻に代表されるような何もかも委ねられる存在。
佐野元春さんですらどちらか分からないという
奇妙な「フェスタ」に招待されている孤独なペリカン
なのか?
奇妙な「ジェスチャー」に招待されている孤独なペリカン
なのか?
まぁ、どちらでもいいのだろう(笑)
この曲は出だしのブラスホーンと「LALALALA~~~」の連呼にシビれる。
高らかに宣言しているようなブラスホーン。
言語にせずとも高らかに宣言する「LALALALA~~~」
何を宣言しているのか?宣言するのかは聴き手に委ねられている。
仕事頑張ろう!!といった漠然したものではなく、もう一歩自分の中に横たわっている何かにスイッチが入るような感覚。
この業務完結するまで諦めずにやってやろう!!とか
誰かに助けを求めずに自助努力してやったるぞっ!!
とか、そういったミニマムな決意の時にも流れる。
もっと大きなマキシマムなときにも流れるが、それは大抵街並を一人で闊歩しているときが圧倒的に多い。
調子が上がらないとき、自分の中にあるファイティングスピリッツ(←一応複数形)を鼓舞しようとすればこの曲が流れる。
とんでもなく忙しく目を回していた3月、そしてその後遺症に悩み週末の度に体調を壊していた4月が終わる。
ようやく体調も上昇傾向に向かいつつある、落ち着きを取り戻した仕事、そんな平日の午後、お手洗いに行く途中にこの曲が流れ出した。
精神がマトモでケンゼンになりつつあるのだと自己洞察している。
今響く歌詞。
世界は少しずつ形を変えていく
俺たちは流れ星、これからどこへ行こう
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