「Special Day」
初出は「No Damage」
~煙草について一考~
1980年代、煙草は堂々たる存在だった。
少年の私にとっては不良少年、少女が大人ぶるのに必須のアイテムだった。
オヤジ達の世代にとっては映画スターへの思慕から喫煙しだした人も多かったような話だ。
お祖父さん達の世代では紙煙草が圧倒的多数ではあるものの、パイプを使って喫煙するオシャレでイカした人もいた。
公共機関の乗り物だって喫煙席、禁煙席の区分けはなかったし、喫茶店に至っては煙草の煙がモクモクと煙っているのが当たり前の光景だった。
今や、喫煙者の自由権は大幅に封じ込められている。
煙草は受動喫煙のリスクが叫ばれ、更に相次ぐ増税の逆風が重なり、すっかり肩身の狭い存在に変わってしまった。
私自身も19歳から喫煙してきていたが、35歳ぐらいの頃に最後の煙草を吸って以来喫煙していない。
メジャーな表現で言えば「禁煙」に成功している、ということ。
だが、この状態は「煙草を吸わない状態がたまたま続いているだけ」と思うようにしている。
それが禁煙のコツだという。
いつか煙草を吸ってしまうとき、そちらのほうが落ち込み度が低いというし、再チャレンジの意欲が湧きやすいのだという。
(禁煙に失敗して一番落ち込むのは本人なんだから)
この曲での「煙草」はとても美味そうな雰囲気を醸し出しているし、同時に恋人の甘い時間を演出するのに素敵なツール。
この曲を聞くと、煙草を吸ってもいいかな、と思う。
詩と詩の間にある「間(マ)」が絶妙なグルーヴ感だからだろう。
煙草を出して■火をつけて■感じるのは■君の静かな■微笑み
■の部分の間が好きだ
今はこの煙草に取って替わる存在感のある「嗜み物」がない時代だ
携帯電話やスマートフォン、携帯音楽プレイヤーは「嗜み」とは言えないし、携帯ゲームではオトナを感じさせてくれるものでもない。
水蒸気での煙草もどきのグッズも巷にはあるようだが、それにはWildさが薄い。
害は認めざるを得ないし、その害を受けたくもないのだが、煙草にしか醸し出せない風景があるよなぁ、と思う。
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