2011年12月1日木曜日

127時間

原題 127HOURS

私の映画鑑賞の嗜好は、「人」を扱った作品。
自分でもこれといった要因は挙げることができないのだが、とにかく「人の人生を扱った作品」に惹かれる
歴史的大作ならば「ラストエンペラー」であり、今のところマイベストシネマ。
感受性は豊かで多感な頃(当時19歳)、数奇な人生を送った愛新覚羅溥儀という人の人生をスクリーンで鑑賞し、歴史という大波に飲み込まれていく「人物」に焦点を合わせて丹念に描いてくれているからだ。

その「ラストエンペラー」と対比すれば本作の主人公「アーロン・ラルストン」は無名の人物。
誰も戦わないし、落命もしないし、ましてこの出来事が社会に深刻な影響を及ぼすわけでもない。
新聞の3面記事で「落石により右腕を挟まれた会社員、127時間ぶりに救出!」と報道されるぐらいの出来事だ。
なのに、「鑑賞したい」と私に思わせたのは予告編で観た2ポイント
① 湖のブルーの美しさ
② 「生きて帰りたい」「究極の決断」のテロップ
結果は②のテロップで既にネタバレである、岩に腕を挟まれてからにっちもさっちもいかなくなり、自ら腕を切除し、127時間後に生還する。
自ら右腕を切除するに至るまで彼は何を感じ、何を考え、何を得て、何を失うのか?
そのプロセスの出来栄えが秀でているからアカデミー賞にノミネートされたのだろう。
で.....その推察は大当り。

ビデオカメラを使って、自分で自分にインタヴューするシーンが秀逸だ。
躁状態(ハイテンション)を無理やり作り出し、楽しかった出来事や落石がなければ参加できたであろうパーティーや恋人との時間を思い描いてみるものの、行き先を言わずに出発したため誰にも気づかれることなく独りで死を待つ身になっている現況に激しく後悔し、発する言葉「Ooops.....」に込められた「失意」があまりに悲しく、あまりにも残酷な状況をスクリーンを超えて伝わって来た。

主人公が閉じ込められている谷底から地上へ、地上から空へと映像がパンアウトするシーンも絶望的な状況を余すことなく伝わってくる。
その空に何条もの飛行機雲が現れては消えていくシーン、主人公の「希望」が同じ数だけ芽生え、そして同じ数だけ摘み取られたということだ。

映画の技術は五感のうち伝えられるのは「視覚」「聴覚」が可能で、「嗅覚」「触覚」「味覚」は不可能だ。
だが、本作は間接的にではあるが「嗅覚」「触覚」「味覚」の疑似体験が可能だ。
小便を飲むシーン、クライマックスの右腕を切除するシーンは嗅覚、味覚、触覚を感じざるを得ない。
私の目の前で鑑賞していた50代の女性は仰け反りながら鑑賞していた。
鑑賞者の中には失神した客も存在したとのこと、うなずけるエピソードだ。
最早錯覚の域を超越している表現力だ。

「ジェームス・フランコ」
スクリーンで観るのは「猿の惑星 ~創世記~」に続き、2度目。
本作は大半が一人芝居であり、彼の演技力は絶賛に値する。
両作とも眉間に皺を寄せるようなシリアスな展開が多かった(その演技も素晴らしいのだが)ので、対極の表情が観れる作品で会いたい。
アクション系とかコメディ系でノリがよくてキップのいいニイチャン役で。

「ダニー・ボイル」
スクリーンで彼の作品を見るのは初。
以前深夜放送で「ザ・ビーチ」(レオナルド・ディカプリオ)は鑑賞したことがあるから2作目の鑑賞。
両作に共通して感じたことはあこの監督は「水」の「ブルー」の表現がとても私の感性にマッチして心地好い。
2012年のロンドンオリンピックで芸術監督に選出されている。
色の再現・表現には多くの人が共鳴しているのであろう。

この両者が素晴らしく、動きが少なく、閉鎖された舞台設定の作品(ともすれば眠りに陥るような)でありながら手に汗握ること請け合いの作品。

誰しも程度の差こそあれど、九死に一生を得た体験はあるはず。
私自身で言えば
潮が満ちてくる海辺をダッシュで陸地へ逃げたこと。
建造物と建造物の間に身体を挟まれ身動きが取れなくなれずにもがいたこと。
などなどあるが、自分がいくら努力しても報われない状況下で「それでも生きたい」と、人間は生を欲する生き物だ。
命あるもの、その命を守ろうとする本能があるんだ!と。
命への賛歌の作品だ。

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