2011年12月17日土曜日

ローマ人の物語 1 ローマは一日にして成らず[上]

この本を手に取るあなたへ
社会が発展していく過程を知る楽しみを得たいと思えば、このシリーズはきっと多くの教え、提案、気づきを与えてくれる。
社会に出れば、大多数の人間は再び学校に戻って勉強に勤しむことはない。
社会人に求められる勉強とは職能に求められる資格取得やスキルアップを目指すものが多い。
それとても大切なことなのだが、もっと大事なことがあると私は考える。
それは「人を動かす」「組織を機能させる」こと。
この本は長い長い物語(歴史書)の第一歩、人を動かすこと、組織を動かすことが苦手な人(私はその筆頭格だ)にこそうってつけの本。

さて。
blog開設以来(以前他SNSでもやっていた)、書籍の感想なるものを書き連ね、それなりに面白い着眼点での感想文を書いたこともある自負もあったのだが、このシリーズでは感想よりもまず、この本の要点をピックアップしていくのが精一杯なようになっていくような予感がする。
社会(歴史・地理)の勉強で、教科書や図説や年表といった幾つかの資料を持ち寄りながら自分なりに受験勉強をしていたときのように、あるいはそれ以上にノートに書き殴ることで理解を深めてきたように古びたノートを引っ張り出して勉強している。
このエントリーでは、そのノートを書き写す作業をしていくことにしようと思う。
ひょっとしたら、そこから自分なりの気づきが生まれてくるのかもしれないし、そのようになればいいな、と淡い期待をしている。

では。
ノートからの転記を進めていく。

ロムルス(初代王)
ロムルスとレムス、彼らはギリシアから流れてきた末裔。
双生児だったかどうかは疑わしい。

中部イタリア→エトルリア人
職人気質?
防御には万全でも発展は阻害されやすい丘の上を好む
南イタリア→ギリシア人
通商を優先し、リスクを抱えてでも海沿いの土地を好む
本土ギリシアが耕作地に恵まれない環境下、国外へ植民する。
進取の精神と冒険を好む性向
ローマ人→中途半端な土地に街を立て、発展の欲求が外へ向かう。


ローマには7つの丘がある
①クィリナーレ
②ヴィミナーレ
③エスクィーノ
④カピトリーノ
⑤パラティーノ
⑥チェリオ
⑦アヴェンティーノ

国政を3つに分ける
王→宗教祭事と政治の最高責任者
元老院→各家門の長、王に助言する
市民集会→政府の役職者を選出する役割

建国の次は子孫繁栄
サビーニ族の女を強奪

サビーニ族とラテン民族の争い(4回)

争いの中、強奪された女らが割って入り夫(ラテン)と親兄弟(サビーニ)が殺し合うのは見ていられない
(妻として相応の待遇を受けていた)

ロムルス、サビーニ族へ両部族が合同する形での和平を提案(対等な立場での合同)
敗者さえも自分たちに同化

クィリナーレがサビーニ族の居住地

ローマはロムルス、サビーニ族はタティウス。二人の王

近隣部族との戦いに明け暮れる、タティウス戦死し、王はロムルスのみ

百人隊(ケントゥリア)制度スタート

ロムルス、死去(元老院の暗殺説もある)

次期王をめぐり紛糾
ラテン→自分たちから選ばれるのが当然
サビーニ→今度こそ王を出したい

ヌマ(二代目の王)
先祖伝来の土地に残っていたサビーニ族で晴耕雨読タイプ
即位時40歳
ヌマの功績
①ヤヌス神殿の建設
戦うときと戦わないときを可視化し、今は戦よりも内治の時代であることを知っていた
②職能別の団体結成
こうすることでラテン、サビーニという部落間抗争の意識を薄め、プロフェッショナル意識を高める
③暦の改革
カレンダーの固定、これによりスケジュール化が容易になる
④宗教の改革
ⅰ)多くの神をヒエラルキーし、守護を役目とした
ⅱ)神官の組織の整理。専任化にせず、国家公務員的な位置づけ。これにより政教分離

一神教と多神教の違いとは?
一神教は他者の神を認めない/多神教は他者の神を認める

人間の行動原則の正し手
ユダヤ人→宗教に求めた
ギリシア人→哲学に求めた
ローマ人→法律に求めた

トゥルス・ホスティリウス(3代目王)
ヌマにより内治充実を経て、外部発展の機の王
80年に亘るローマvsアルバロンガ
勝利後、チェリオの丘への移住を強制する、但し奴隷としてではなく、ローマ市民として
ラテン民族の母国はローマであることを宣言

アンクス・マルキウス(4代目王)
 ①テヴェレ河に架橋 
西岸ジャンニコロの要塞化により東岸の7つの丘を結ぶ
②オスティア征服
塩田事業(塩=通貨)
ローマは力を蓄え、周辺の部族の注目を浴びる存在へとなる

タルクィニウス・プリスコ(5代目王)
父はギリシア人、母はエトルリア人の混血児
ギリシア人もエトルリア人も純血主義
そのため立身出世の道をローマに希求する
初めて選挙活動をした最初のローマ人
元老院の定員の100名から200名に変更し、王の権力を確立
干拓事業で湿地を平地化する
ⅰ)市場として活用され、石で舗装されることで大競技場の建設、後に公共建造物が占めることになる→フォロロマーノ
ⅱ)往来が楽になったカピトリーノの丘に神殿の建設
ⅲ)活用できる土地が増え、往来が楽になることで民族コミュニティの交流が活発になりローマが一つになる

ローマ人=建設工事者
エトルリア人=技術提供者(エンジニア)・資材提供者
商業と手工業の活性化により都市国家へと変貌していく

セルヴィウスを娘婿にする
先王アンクスの二人の息子により暗殺される

セルヴィウス・トゥリウス(6代目王)
①ローマ全体を守る城壁を完成させる
②周辺の部族の守護神ディアナに捧げる神殿を建立

Ⅰ)他者を拒む城壁を建立する一方、他者を受け入れる神殿の建立
Ⅱ)軍政改革
税制改革、選挙改革に直結する
Ⅲ)戦法の確立
前衛・本隊・後衛

尊大なタルクィニウス(7代目王)
セルヴィウスを殺害し王位に就く
元老院の反対派を殺害
元老院の承認もなく、市民集会を経ずに即位した独裁者、専制君主
軍事の才には長けている

失脚はスキャンダルから
息子セクストゥス→親類コラティヌスの妻ルクレツィアを強姦
ルクレツィア自殺
コラティヌス&ユニウス・ブルータス 王政を打倒

ローマ、共和国に
ブルータス、一年毎に市民集会にて選出される二人の執政官制度をスタート
第一回はブルータスとコラティヌス
元老院定員を200名から300名へ。

名門の若者たちによる反乱(動機は共和政になり活躍の機会が減少することへの危惧)
タルクィニウスを担ぎ出し、王政復古を目論むも未遂で発覚し処断される(一味にはブルータスの子供も加担)
コラティヌス、市民から黒幕との疑いが巻き起こり隣国へ亡命
ヴァレリウス選出される
王政復古を目論むタルクィニウスと新勢力の執政官軍の戦い
ブルータス戦死
ヴァレリウス、民衆から嫉妬、疑い、中傷を浴びる
その理由①4頭の白馬での凱旋式(華美過ぎる)/②広壮な屋敷/③空席の執政官の座を埋めない
対策①屋敷を壊させ、質素な家を建て、誰でも自由に出入り可能にした
②国庫は財務官が管理する(執政官といえでも関与できない)
③ローマの市民権を有するものは司法官が下した判決でも市民集会へ控訴できる
プブリコラ(public)ヴァレリウスと呼ばれる

共和政導入時の問題
①国力の低下
ⅰ)3代続いた王の出自であるエトルリア系民族が流出
ⅱ)近隣の諸部族との同盟関係が弱力化
ⅲ)エトルリアを敵に廻した
対策
ⅰ)国庫の確保(塩の販売を個人から国家へ移管)
ⅱ)他国人のローマ移住促進

キュージ王、ポルセンナとの戦い
テヴェレ河に架かる橋を巡る戦いでローマ勝利するも、キュージは包囲網を敷き、兵糧攻め
ローマはキュージを和平を結ぶ
条件1)タルクィニウスの王位復活は拒否
条件2)獲得した領土ウエイの返還を受諾

共和政以降6年後にプブリコラヴァレリウスは死去

成文法を求めてギリシアへ視察団を派遣。
3名からなる派遣団、1年間アテネへ。

ここで、一旦ローマから目を離し、派遣団が向かったギリシア、アテネについて

ギリシア文明
紀元前1200年頃)クレタ文明 エーゲ海を航行し栄えた文明
紀元前1250年頃)ミケーネ文明 武人文明「イーリアス」「オデュッセイア」
紀元前800年頃 )ポリスと呼ばれる都市国家の時代

アテネ=アカイア人
スパルタ=ドーリア人

BC900年~800年)第一時植民活動→小アジア西岸を中心に
BC750年頃     )第二時植民活動→全地中海へ
①好奇心・冒険心・独立心
②母国との関係が希薄

アテネ
海に向かって開かれた地方
建国当時は王政
BC8世紀頃)貴族政へ移行
BC7世紀頃)商工業による新興勢力の台頭(貴族政が合わなくなる)
BC620年 )法律の成文化→貴族が司法権を喪失する
BC594年 )ソロンの改革(ティモクラッツィア)
・資産の多少が権利の多少と比例する
・人権尊重(自作農の救済措置など)
・市民を4階級に分ける(基準は農業収入)
────────────────────────────────
|階級 |義務               |権利                 
────────────────────────────────
|1階級|騎兵としての兵役       |政府要職              
|2階級|騎兵としての兵役       |政府要職              
|3階級|重量歩兵としての兵役    |行政官僚              
|4階級|軽装歩兵・艦隊乗組員    |選挙権                
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ソロン引退
時代は不動産よりも動産への投機が盛んになる(土地が痩せている、海運は盛ん)
権力の空白化

無政府状態(アナルキア)

独裁体制(ティラニア)ペイシストラス
BC561)独裁政を敷くも反対勢力により追放
BC546)武力により独裁政へ復帰
~   [外政政策]海軍の充実エーゲ海の制海権確保、ペルシア帝国、リュティア王国との友好的関係、ヘレスポントス近辺に中継基地を設ける
[内政政策]鉱山業の振興
BC525)
BC510)クリステネスら貴族により独裁政が打倒される
直接民主制(デモクラッツィア)へ
[行政改革]「デモ」と呼ばれる区制(家門や一門に属するのではなく地域に属する)
[政治改革]市民集会の権限の強化
20歳以上のアテネ市民が出席の権利を有する
4階級の基準である農業収入を撤廃し省庁に似た組織を創設
政府役員を9人→10人へ変更「ストラテゴ」
陶片追放制度(自浄システム)
ポリス社会の閉鎖的な面
両親のどちらかがアテネ市民でなければ市民権を得られない。
奴隷は生涯奴隷のまま

スパルタ
BC1200頃)ドーリア民族ペロポネソス半島の中央部スパルタへ侵攻し、先住民を征服
1人/24人)征服者ドーリア人:軍役のみ
7人/24人)非征服者ペリオイコイ:商工業に従事し、軍役の義務あり
17人/24人)非征服者ヘロット:農奴、軍役の義務なし

市民集会→30歳以上のスパルタ人で構成される
長老会議→2人の王と28人の60歳以上の市民
※2人の王が支配する政体をディアルキアという

BC700頃)リュクルゴスの改革 ~軍務を至上目的~
誕生時→健やかに成長できる→YES:パス / NO:捨てられるor奴隷
0~ 6歳→親元で生活
7~20歳→寄宿舎で修行生活(結婚しても30歳までは寄宿舎)
20~60歳→兵役
特徴
男女平等/酒・美食は厳禁/訓練・競技は裸体/読書や議論は御法度/通貨は鉄貨

ペルシア戦役
BC500頃 ペルシア西方へ侵攻
1)経済上の理由→繁栄するエーゲ海一帯を手中に収めたい
2)宗教上の理由→優れた宗教が劣る宗教を支配するのが当然という発想
BC494   イオニア粉砕される
BC490   ペルシア、アテネ・エウベアへ侵攻し、エウベア陥落するも、アテネはミルディアスの戦略により防衛
以後のアテネは急進派(テミストクレス)と穏健派(アリステデス)の二派に分かれる
BC480   ペルシア、30万の軍でギリシアへ侵攻、ギリシア大同団結し辛勝
BC479   再戦
BC478   ギリシア連合艦隊、エーゲ海を奪還

覇権国家アテネ
対ペルシアへ向けてデロス同盟結成
アテネが主導権を握り、スパルタは面白くない、スパルタは独自にペロポネソス同盟を結成
アテネとスパルタの冷戦状態




以下、目次

読者へ
序章
第一章 ローマ誕生
落人伝説
紀元前八世紀当時のイタリア
エトルリア人
イタリアのギリシア人
建国の王 ロムルス
二代目の王 ヌマ
三代目の王 トゥルス・ホスティリウス
四代目の王 アンクス・マルキウス
五代目の王 タルクィニウス・プリスコ
六代目の王 セルヴィウス・トゥリウス
最後の王 「尊大なタルクィニウス」
第ニ章 共和政ローマ
ローマ、共和国に
ギリシアへの視察団派遣
ギリシア文明
アテネ
スパルタ
ペルシア戦役
覇権国家アテネ

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