2011年12月19日月曜日

ローマ人の物語 2 ローマは一日にして成らず[下]

この本を手に取るあなたへ
伝えたいことは上巻に同じ、だけど一つ加えるとすれば、歴史を生き物だと感じられれば何かしら自分自身の「糧」になりえるものが芽生えてくるだろう。

上巻ではノートに転記するだけで精一杯で終えた。
幾つかの改革や、戦記の事柄を読みながら明治維新の頃を思い浮かべたり、戦国時代を思い浮かべたり、と、頭のどこかしらで日本史と照らし合わせながら、対比しながら読んでいた。
下巻でもその日本史と照らし合わせるもはや私の習性は変わりようもないのだが、無理矢理に合わせることはなくなってきているように感じる。
ローマはローマであり、日本ではない。
といいながら、ローマであれ日本であれ歴史の流れはどこか通じるものがあるのだなぁ、ということも感じる。

ノートの転記が中心だが、ところどころに自分なりの感想を書くようになっている。
では、転記を進めていく。

ペリクレス時代←ローマ視察団が派遣された頃
いきなり、刺激的な一文が目に飛び込む
「民主政体を機能させるのに民主主義者である必要はない」
気が軽くなる考え。発想の転換。
ペリクレスの直接民主制の特徴
①公職を抽選で選出し、給与を支払う
②市民の娯楽である劇場の入場料を国庫負担で賄う
③アクロポリスの再建
基本スタンス
アテネの経済力増強のためにはペルシア、スパルタと友好関係を維持する一方、ペルシア、スパルタを仮想敵国と考える
P17~19の演説が素晴らしい。
21世紀の今でも十分に新鮮に聴こえる。

ローマは改革直後で、王政つまりは唯一人の君主によつ統治から脱却したばかり。
当時のアテネは直接民主制とはいえ、あまりにもペリクレスが優秀なため一人の君主と映ったのかもしれない、それに常に優秀な指導者が現れ続けることは難しいこともローマの王政時代で経験済だ。
マラドーナが率いたアルゼンチンサッカーチームがアテネだとすれば、ローマが目指したものはトータルフットボールのような誰もが主役であり脇役でもあるシステムだったのだろう。

ギリシアを知って後
視察団が帰ってもすぐに秩序と自由のバランスを保つ政体は確立されなかった、その理由
①元来が保守的
②貴族らの対決姿勢が強い
③少数指導性を変えることを望んでいない(但し、その下での機会の均等を欲する)

貴族対平民の階級闘争が繰り返される理由
①執政官(コンスル)は元老院から提供され、市民集会が機能的ではなくなる
また、能力と成熟を求めれば人材は元老院からしか輩出できない。
執政官と元老院は密接な関係
市民集会と執政官、市民集会と元老院との関係は希薄になる
②共和国直後の近隣部族との戦いにより平民らが自分たちの力を自覚した。
戦いが起きてもストライキをするようになる。
③領土型の国家である
陸続きの領土、国境を巡る戦いが常にある
有能な指導者でなければ平民らも落命してしまう。
日本の戦国時代の武将と領民の利害関係の一致に近いのだろか。

BC494年、護民官創設
目的:平民階級の利益と権利を守る
条件:平民出身であること
選出方法:平民集会による(市民集会ではない)
権利:ⅰ)執政官の決定に拒否権が行使できる / ⅱ)身分の不可侵

護民官は無意味?
(1)執政官、元老院からすれば相手をするのは護民官2人のみで済む。
寧ろ攻略が明確になる
(2)拒否権は戦時には行使できない
大半が戦いをしている時代だから、行使できるケースが少ない

農地法をめぐり貴族対平民の抗争が繰り返される。
近隣部族との戦いに勝利すれば敗者の所有地は
半分)→同盟国に与える
半分)ローマ市民の公益地として貸し付けられる
その配分が貴族にとって有利(豊穣な土地が貴族、貧しい土地が平民)

BC449年、十二表法発表
新しく加えられたものはなく、不評

ローマの貴族
力の基盤は土地よりも人
①所有地
②クリエンテス(クライアントの語源)と呼ばれる人々
鎌倉武士の「御恩と奉公」のようなもの、いやそれ以上に近しく、密接

ケルト人来襲
ケルト人=ガリア人
エトルリアの勢力を撃破したことはケルト民族南下の防波堤を壊したこと
BC396年、エトルリアの有力都市ウエイ攻略に成功
平民の要求=ローマに次ぐ第二の首都にする提案
貴族の反応=独裁官カミルスを筆頭に反対。ローマの神々を捨てるに等しい
しかしながら平民がカミルスの戦利金の使途を山車にカミルスを告発し、結果カミルスは国外へ追放される
平民はウエイへ移住
BC390年夏、7月18日テヴェレ河上流でケルト族にあっけなく敗退
以後7ヶ月占領される
ケルト人、ローマの都市には合わない、戦士ばかりの彼らにとって魅力に乏しく、飽きる
300kgの金塊で身代金を支払い、退去させる。カミルス呼び戻される。

ギリシアの衰退
BC431、ペロポネソス戦役 アテネ対スパルタ
BC429、ペリクレス死去、以後のアテネは衆愚政時代(人材はいても制度自体に欠陥があったのでは)
BC404、スパルタ勝利
しかし、スパルタのライフスタイルは他国では通用しない
BC371、スパルタが覇権を喪失、テーベが取って替わる
BC362、マケドニアにより、ポリス国家敗北
BC356、アレクサンダー大王生まれる

立ちあがるローマ
ケルトショック以後のローマの課題
①防衛を重視しながら再建
②離反した旧同盟部族との戦闘と国境の安全確保
③貴族対平民の抗争の解消

目からウロコの言葉
抜本的な改革とはそれを担当する人間を入れ替えることによって始めて十全になされる
これは、自身の経験に照らし合わせて、そう。

政治改革
抜本的改革を実現できた条件
①ギリシアのポリス衰退
保守派→スパルタ的な閉鎖社会の害を認識
急進派平民→自分らの権利のみを要求することはアテネの迷走に同じことになる
②平民階級の質的向上
BC455に解禁された貴族、平民間の婚姻の成果
BC367、リキニウス法成立
・6人の軍事担当者の廃止
・2人の執政官制度に復活
・要職を平民出身者に開放
・元老院の開放
生まれや育ちに依らない(先天的事情)経験と能力のある者(後天的事情)なら誰でも元老院に入れる機会ができた

既成勢力が新興勢力を抱き込む手法がローマ流
欠点
①効果が見えてくるまでは時間がかかる
②別途新たに台頭してくる新興勢力の組み込みにも注意しなければならない

ローマの政体
・執政官
・独裁官
・法務官
・会計検査官
・財務官
・按擦官
・護民官
・元老院

ローマ連合
同盟協定はローマとの間とだけ結ばれる
加盟国間では結ばれない
P123の図が解りやすい
ローマ連合の5構成
①ローマ
②旧ラテン同盟の加盟国
ローマ市民権を与えられる
③ムニチピア
投票権なしのローマ市民権
④コローニア(植民地)
政治上の理由(砦の建設が目的)
⑤同盟国(ソーチ)
BC350以後ローマに敗れた国々

国家は大抵、宗教、政治、統治権を認めないのに、ローマのやり方はそのようなやり方ではない。
責任を持たせた放任主義のようなものかも。
敗者を隷属化するのではなく、共同経営者にする。

街道
現代に例えれば高速道路の建設
つまりはインフラの整備であり、インフラが整備されれば敵にとっても整備されたインフラを活用できる。

市民権
権利①所有権(所有財産の保証と売買の自由)
権利②選挙権、被選挙権
権利③控訴権
権利④自由権
義務=軍務

敗北した際のローマ人の態度
①敗軍の将は罰せられない
②新戦術の導入
③連合の確立と拡大
これは失敗を犯したときの処世術、指導術のよきバイブルにしたい
P171
悪しき偶然はなるべく早期に処理し、良き偶然は必然に持っていく


以下、目次
第二章 共和政ローマ
ペリクレス時代
ギリシアを知って後
ローマの貴族
ケルト族来襲
ギリシアの衰退
立ちあがるローマ
政治改革
ローマの政体
「政治建築の傑作」
「ローマ連合」
街道
市民権
山岳民族サムニウム族
南伊ギリシアとの対決
戦術の天才ピュロス
ひとまずの結び

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