2013年11月12日火曜日

ポール・マッカートニー OUT THERE ツアー参戦に寄せて

残された者の、残された時間を前向きに生きていく姿

遥か彼方の座席とはいえ、同じ場所にポールと僕は存在した。
存在した事実は何ものにも代え難い。僕の中での大きな勲章になるだろう。
(男の子がおもちゃの金バッジを胸に飾ってもらって、エッヘンな感じで誇らしく立ち回る姿を思い浮かべていただくといい)

プレイした曲の6割くらいしか知っている曲はなかった。
でも、それがどうだと言うのだろう?と感じてしまうほど、ポール・マッカートニーのライヴは楽しかった。
ステージ上にいるのはポール・マッカートニーという「人」ではなく、ポール・マッカートニーという「太陽」なんだ。
ごくごく一般的なことを言えば、詩があり、メロディがあって初めて音楽だと言えるし、そこから僕は何かを感じ取っていく。
しかし、ポール・マッカートニーには不要だった。
何も考えずとも、知ろうとしなくても、聴こうと構えなくても、ポールのプレイは僕の中に入ってくる。

曲と曲の間、たどたどしい日本語で挨拶をして、コミュニケーションを取ろうとするポールが可愛らしい。
そして和風な表現になるけれども、謙虚さと素直さこそがポールが誰もに愛される存在なんだろう、と感じた。
ギターを高々と掲げ、しかも玩具のように扱うポール。
裏方さんは、「ああ、落ちたらどうすんですか!?」なって、ひやひやしてたんじゃないかな。
そういうコケティッシュな面がポールの真骨頂なんでしょう。

ここまで書いてきたことと矛盾するけれど、参戦直前にNEWアルバムのタイトル曲「NEW」を聴いて、その歌詞を咀嚼していた。
そして彼がこの曲を歌いだしたとき、「あ、ポールはまだやりたいことがあるんだ!!」という意気込みが胸に響いてきた。

ライヴ中、何も考えないと言いながらも、別の頭は回転していた。
ポールがどういう気持ちで曲を演奏しているんだろう。っていうことに。
ジョン・レノンが80年にいなくなり、ジョージ・ハリスンが2001年にいなくなり、そんな運命を経て歌うビートルズナンバーをどんなことを感じながら演奏しているんだろうな?って。
ワインディングロードでは涙が流れる。僕が初めて手にしたビートルズアルバムの最後の曲で、いつもこの曲を聴くと今はなくなってしまった実家でのひとコマとシンクロする。
そう感じている中で、「ツギハジョンノキョクデース」「ジョージノタメニウタイマース」なんて言うもんだから、冒頭に書いた「残された者が、残された時間を前向きに生きる姿」の感想が染み込んだ。

僕の隣に座った男性は、きっと会社ではそこそこの地位の方。
友人と2人で参戦、「俺がライヴではしゃぐわけにはいかんだろう」そんなオーラが漂っていたのだが、最後のほうでは微かに歌ったり脚を踏み鳴らしていた様子。
「うん、そうだよ。会社では部長とか呼ばれているかもしれんけど、ブチョー、それでいいんすよ」
と、何故か彼の部下になった若者に成り代わり、ほっこりとしながら隣の男性を観察していた次第



30年以上前のことになる。
1982年、中学2年生の僕の音楽教師(女性)はビートルズマニアだった。
当時彼女が為した授業を、今の時代にやればかなりな大問題になるだろう
彼女の授業の大半はビートルズの曲を演奏させ、聴かせることだったから。
リコーダーで吹いた「オブラディオブラダ」、最早英語の授業になってしまった「エボニー&アイボリー」、「ハローグッバイ」は中学2年でも分かる平易な歌詞だったし、「愛こそはすべて」も聞かされた。
音楽の授業は週に1回程度(45分だっけ)、単純に52週とすれば、彼女が教えてくれた総時間は40時間に満たない。
必須科目のような類もあったから(ソーラン節を歌わされた記憶が鮮明に残っている)、僕が思っているよりもずっと少ない時間だったことに驚いている。
反抗期真っただ中、押しつけられる行為には悉く反抗。
ビートルズの曲なんて喜んで受け入れるわけはなく、大嫌いで仕方がなかった。

上記がポールと僕のファーストコンタクト。
押しつけられることは嫌いなのに、このメロディには抗えなかった。
いつだったか記憶があやふやだが、中学2年から3年の頃にかけて、レンタルレコード店でビートルズのアルバム「20グレイテストヒッツ」を借りてダビングして聴きまくった。
カセットテープはSONYのBHF(グリーン)だったことを今でも憶えている。

その1982年の頃ですら、ビートルズは伝説だった。
ジョン・レノンは既に他界し、ポール・マッカートニーはマイケル・ジャクソンと一緒にデュエットした「The Girl Is Mine」がヒットしていた。

ポール・マッカートニーのLIVEに参戦できる機会は、きっと今回が最初で最後になるだろう。
僕自身いつまでも大阪で生活できることもないだろうから。
ポール・マッカートニーが来日することだって可能性は低い、そしてポールにも老いが訪れ、いつかは天国へLET IT BEになるんだから。

恩師の音楽教師は聞くところによれば既に鬼籍に入られているとのこと。
あの頃は本当に反抗ばっかりしていてごめんなさい。
先生のおかげで僕はビートルズに出会えたし、先生が願っても叶うことができなかった「ポール・マッカートニーと同じ場所に存在する」ことができたよ。
ありがとう。




0 件のコメント:

コメントを投稿