井上真央にこんな格好をさせた クドカンが偉いのか クドカンのリクエストを受けて立った 井上真央が偉いのか |
2013年の一大ブーム、連続テレビ小説「あまちゃん」
私の同世代の多くがこぞってこのドラマを楽しみに毎日を過ごしていた。
感化されて、夏季休暇のある晩、宿泊先でたまたまこれまでの放送からのダイジェスト版のようなものをオンエアされていたのを視聴した。
「うん、確かに面白い」
だけど、電源を切ってしまった。
その日は疲れていたという事情もあったのだけれど。
そんなこんなで、宮藤官九郎が撮影したという触れ込みが頭から離れず、未鑑賞のままで後悔するくらいなら、鑑賞して後悔したほうがいいや!!という気持ち、つまり「エイヤッッッ」ってな意気込みでこの作品を観賞した。
作品のプロットは、うまいなぁと思う。
宮藤官九郎の作品を初めて観たのはテレビドラマ「木更津キャッツアイ」だったのだが、時間軸を自由自在に操り、観客をあっと言わせる技術には舌を巻くしかない。
この標語、名言です そう思えば、頭下げよう、って気持ちが 芽生えるかもしれん |
楽しいのだけれど、うーん。
うーん、ちょっと鼻につくよなぁ、と感じてしまう。
時代の寵児な今だから鑑賞できる映画ではなかろうか。
仮に数年後、この映画を観ようという気にはなれない予感がする。
宮藤さんには、観客が元ネタ(タレントの不機嫌発言やら、友好国家からの王子の訪日など)が分かるから楽しめるんであって、元ネタがわからなくなってしまった近い未来のことを考えてみてほしい、と願う。
私ら凡人には及ばない才能の持ち主なんだから。
うんうんと頷いたシーン
ラーメン屋が湯きりのお湯をお客に浴びせないように様々の行き過ぎた施設を整備していくあたり。
客の阿部サダヲが、いや、そうじゃなくて。と連呼していくシーンは、昨今の何か事が起きる度に過剰に防衛していく企業風土を揶揄していて風刺が効いている。
しかしながら、そうでもしないと、企業がリスクを負い続け、一部の心無い客の「言ったもん勝ち」な風潮への警鐘とも受け止めてしまう。
日本人の美徳、この映画が言う「心を込めた謝る」という行為は確かにマニュアル化されていっている。
礼の仕方なんて下手くそでもいい。
肝心なのは心をこめて頭を下げること。
その美徳を思い出すように促していることを宮藤さんが伝えたいと考えているのなら、私は彼が投げたボールはしっかり受け止めて鑑賞できた。
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