2013年8月2日金曜日

終戦のエンペラー

原題:「EMPEROR」
マシュー・フォックス
しゃくれた顎がキュートです
軍服よりスーツがよく似合ってた

2013年、今年は第二次世界大戦時を主題にした作品が多い。
今作もしかり、メジャーどころだと「少年H」「風立ちぬ」マイナーどころでは「爆心 長崎の空」
予告編しか知らないのだけれども、「少年H」も「風立ちぬ」も、戦争に突入していく国家の盲進と国民感情の偏りに警鐘を鳴らしているように感じる。
ここ数年来のアジア諸国との関わり合いがきな臭いし、憲法改正議論、TPP、そして米国との同盟、ロシアとの歩み寄りなど、日本は160年ぶりに開国か鎖国かの選択肢を迫られてきているような状況に置かれていたんだ、と、後世の人たちは学ぶことになるのかもしれないと考えている。

この映画は、エノラゲイが広島に原子爆弾を投下するシーンから始まる。
日本を感じさせる竹の演出
絵になるシーンでした
長崎県出身の私としては、長崎投下のシーンも数秒でも構わないからスクリーンに映して欲しかった。

終戦を迎えて、ダグラス・マッカーサーがタラップを降りるシーンから、いよいよこの作品が展開し出す。
主人公の恋愛を物語の一つの軸とし、天皇に戦争責任があるのかないのか調査することをもう一つの軸としている
前者は余計だ、後者だけに特化したほうがいい、という意見も散見される。
お馴染みの写真
よく再現できていると思うけど
違和感は否めない
けれど、私は両軸で進められたから、この重苦しいテーマから肩の力を抜くことができたんだと感じている。

自分のことは自分以上に他者のほうがよく見えているということが、個人ではよくある。
それを国家に置き換えて提示してくれたなぁ、というのが素直な感想。
日本人は本音と建前で生きているし、曖昧さの持ち合わせは美徳ですらある。
世界基準からすれば、そんな白黒はっきりしない、のらりくらりとしているように写るんだなぁ、というのがよく分かった。
近衛文磨(中村雅俊)、木戸幸一(伊武雅刀)関屋貞二郎(夏八木勲)らの演技を観ていて、巧いなぁと思いながらもどこかしらもどかしい感情が残った。
日本人である私ですらそう思うんだから、日本人以外の人は理解不能な言動に映るんだろうなぁ、と。

真実か、真実でないのか?といった議論をするための映画ではなく、国民性を理解するための映画なんだと思う。
米国人が日本のことをを理解できなくてもいい。
けれども、日本「人」ってはこういった特性があるんだなぁ、ということを知ってもらえれば。

そのような他国人の「特性」に焦点を当てた映画がこのように偏った考えに寄らずに製作される世界であれば、今のこのきな臭い状況も幾らか歩み寄りができていくのかもしれない。



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