2013年8月9日金曜日

燃えよ剣(上・下)

「菜の花の沖」を読んでいる最中に何度か挫折しそうになり、「どうしてなんだろう?、好きな司馬遼太郎の作品がこんなにも読めないなんて...」という考えが頭を渦巻いていた。
行き着くところ、その主たる理由は菜の花の沖のエントリーでも書いたように、主人公が人物ではなく商品経済だということ。

とことん人間が主人公な本を読みたくなって、燃えよ剣を読み返す。
およそ8年ぶりの再読。
2004年の大河ドラマ「新選組!」での土方歳三はこの本へのオマージュが幾つも捧げられているなぁ、と改めて気づく。
「うぐいすや はたきの音も ついやめる」の駄句とか、ドラマでのシーンが鮮やかに甦る。

以前読んだときは、歳三の組織の構築手法に舌を巻きながら読み耽ったものだが、今回では前半での「猿渡佐絵」と、後半での「お雪」の二人の女性の描き方に興味を持った。

司馬遼太郎は離婚の過去があり、離婚した妻のことを佐絵になぞらえ、後に結婚する奥様のことをお雪になぞらえたのではないだろうか?
何の根拠もないのだけれど、そう思った。
結婚という単語に魅せられて娶り、そして現実の生活に直面したときに、こんなはずではなかった...。という思いが京都での佐絵との再会と情交に結びつけているように感じたし。
大阪で別れを告げたはずのお雪が函館まで訪れてくる話は、男の願望がチラチラと垣間見えているよう、実はこの函館での再会の話は余計な話だと思っている。
大阪での西昭庵での二日が美しく、そこで歳三とお雪は永遠の愛を胸に刻み、別れたはずなのだから。
でもどうしても好きな女には会いたいという作家司馬遼太郎ではなく、男福田定一の願望(であり煩悩)が消えなかったことが投影されているんではなかろうか、と。

今回はそんな、誰もが感動する副長土方歳三の組織の築き方とか、合理的なものであれば新しい知識を受け入れる素地とかのことよりも、2人の女性について考察をしてみた。

また、いつかこの本を読み返すときが来る。
そのとき、どんなことに思いを巡らせることになるんだろう。
まさか七里研之助について考察することになるのかなぁ...


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