2013年2月17日日曜日

夢売るふたり

見よ、この目。女って恐ろしい
示唆に富んだ映画だ。

まずは
2回ほどあった5秒近くの黒い画面

映画館の故障でなければ、この暗闇は夫妻の心の闇を表すものだし、同時に我ら観客は自分自身の心の奥底に潜む闇と対峙させられる。

次に妻(松たか子)の様々な行動
①じっとネズミを見つめる
②自慰に耽る
③生理用ナプキンを装着する
妻は子供を欲しているにも関わらず、詐欺をしている事情と恐らく彼女自体にも妊娠しづらい体の状態であろうということ
特に③のシーンで、妻が見せた表情に「やりきれなさ」を感じたのは錯覚なのだろうか?

男としては、夫(阿部サダヲ)が詐欺をしている「現実」と、詐欺を仕掛ける女の境遇に心底同情する「現実」の両方の狭間で揺れ動いてく心情に感情移入しないわけにはいかなかった。

冷めている「女」と冷められない「男」の格差。
激高した夫が妻にぶつけた台詞が本当に妻の心情を言い当てたのかどうだか。
どうもそれだけではなさそうだ、女の考えることは「一筋縄ではいかない」

観ながら考えていたことは「この妻は何を感じて何を考えて生きているのだろう?」
愛する夫のために、ラーメン屋でバイトし、詐欺を企画、実行する。
ただただ夫のためだけにかくも尽くせるものなのだろうか?
自分自身の夢はどこにあるのだろうか?夫の夢を叶えることが妻の全てなのだろうか?

他方で、夫(阿部サダヲ)が吐くセリフが、「ああ、ダメな男だなぁ」と感じながら、「でもこれに近いようなセリフ」をよく自分自身も吐いているよなぁ、と自己嫌悪に陥る
男に言われて傷つく言葉をこの映画はところどころに散りばめている。

脇を固めるその他の女優陣も実に良かった。
鈴木砂羽、「新選組!」で明里を演じて以来贔屓にしている女優さんなのだが、彼女が魅せたランジェリー姿が観れただけでもスクリーンに赴いた価値がある。
女性が撮る、女性の色気には性欲とは別次元で感じさせられる「ゾクリ」とさせられるものがある。
木村多江の後ろ脚を撮したシーンも「ゾクリ」とさせられた。








ダイ・ハード ラストデイ

原題「A GOOD DAY TO DIE HARD」

1作目では小さな少年だった息子が、CIAにで身体を張って勤務している。
4.0では娘を登場させ、今回は息子の登場。
マクレーン一家、かほどに不幸な一家が他にあるだろうか?

1作目から続くマクレーンの「欲求」、今回は「パパ(Dad)」と息子に呼ばれたい。
ド派手な破壊に、カーチェイス。
これはこれで大変楽しく(というか半ば呆気にとられながら観ていたクチ)観賞した、けれど、ジョン・マクレーンの真骨頂は閉鎖された空間・状況で起死回生の一撃を食らわすことだ。
そういう状況が現れなかったことは「ダイ・ハード」シリーズとしては些か残念。
まぁでも、いいや。
って譲歩できるのは、以下の2つ
①1作目のクライマックスを覚えている者としては、ニヤリとする状況が再現される
②B・ウイリスの「したり顔」が観れる(口元を少し歪めてニヤッとしている表情)

幾つになっても親は子を愛しく思う。
幾つになっても子は親をうっとおしいと感じる。
死が間近に迫ったときに、子供は親を喪失したくないと実感する。
アクションの裏側に、親子関係を問うてくる作品









ワイルド・ハート ─ 冒険者たち

「Wild Heart」

2013 Winter TOURでプレイしてくれた曲
Tourでは大抵演奏してくる曲の一つだけれど、このTourでは元春がピアノを弾きながら聞かせてくれた。

「Heartland」
「Hobo King Band」
そして今回の「COYOTE Band」
3つのバンドの変遷を感じながら改めてレコードでワイルド・ハートを聴いている。

凝りまくっていたHeartlandのヴァージョン
SAXとの掛け合い「星に願いを」を途中で挟んだり、車を運転しながらラジオのスイッチを入れるパフォーマンスがコケティッシュな元春の姿。

ブラスホーンが存在しないCOYOTEバンド、この曲が始まったときに一瞬でワイルド・ハートとは分からなかった。
とても静かに元春はこの曲を歌った。
静かに、というか、淡々というか。
演奏を「観せる」から詩を「聴かせる」に変わってしまった曲だ。
このLiveで詩が最も心に響いてきた。

中でも、詩にある
「誰かがどこかで眠れぬ夜明けを見つめている」
「誰もが心に見知らぬ夜明けを抱えている」
の、リフレインに私の魂はストレイトに共鳴していた。

前者の夜明けは、「清らかに歩いている」仲間に繋がり
後者の夜明けは、「偽りを許している」仲間に繋がる

良いだけでもなく、悪い一面も抱えながら誰もが毎日を過ごし、生きている。
この曲の主人公が街を離れていく事情や理由は語られていない。
酸いも甘いも噛み分けて、この主人公は新しい地へと歩き始めていく。
不安もあるだろうし、期待もあるだろう。
色んな想いを抱えながら生きていく姿。
怪物が住む地や未開拓の地に赴くこと「だけ」が冒険ではない。
誰もが新しいステージに向かうときが冒険なんだ。
と、元春は言いたいのだろうか。

色んな仲間はいるけれど、特定の仲間と特段親交を深めるタイプではないので、元春がこの曲を歌うとき、漠然と高校時代や大学時代の頃に知り合った人たちの顔がぼんやりとよぎっていく。
そこに社会人になってから知り合った顔が浮かんでこない。
その理由は
「全ての何故にいつでも答えを求めていたあの頃」「自由になれる日を夢見ていた」時期が私には「学生時代」だった、と自己分析している。







2013年2月12日火曜日

裏切りのサーカス

期待しすぎて張り切ったあまり、途中で睡魔に襲われてしまった。
映画館で観て、DVDで鑑賞するほうが理解が深まる映画だと感じる。

トム・ハーディがいい感じ。
ダークナイトライジングでは素顔を隠しての出演だったから、同一人物だと分かっていてもなんだか戸惑うけれど。

「モグラ」はきっとこいつなんだろうなぁ、とチラシを観たときから当てずっぽうで思っていた通りで、そこはニヤリとしたんだけどね。

いやはや、おうちでDVDするにせよ解説が必要です。

洋服が好みのセンスだなぁって観てたら、Paul Smithなんだと。
こういうスタイルが好きなんだな、って改めて思った次第だ。




2013年2月10日日曜日

テッド

原題「TED」
可愛いテディベアが年齢を重ね、ちょい悪オヤジになる
その発想に脱帽

下ネタがとても多い。
カップルで鑑賞している人たち、既に「そういう」関係に発展しているならば、笑えるだろうけど。
エチュード段階のカップルは笑えないし(笑えても“苦笑”)、ともすればヒくだろう。
願わくばエチュード段階のカップルが事前に情報を正しく得てからスクリーンに赴いて欲しいと願う。
R18と年齢制限を設けるくらいなら、映倫は「恋人発展度」にも規制をかけたらよかろうに(笑)

下ネタと同じ数ほど80年代から00年代にかけての映画や文化へのリスペクト、オマージュ、アフェクションに溢れている。
予想以上にこの映画がヒットしているのはテッドの設定だけでなく、むしろリスペクトなどといった類を感じたい人が多いからなんではなかろうか?と思う。

このところ日を追うごとに色んな規制が強まっていく一方だ。
同じようにコンプライアンスも強まっていく一方だ。
セクハラ・パワハラ・モラハラ、どれも「してはいけない」ことばかり増えていく。
職場にミニスカートを履いてくる女性にパンツが見えそうと言えば「セクハラ」だと言われる
表示されているよりも少ない容量で供していたということで大手コーヒーチェーン店は容量を確認するマニュアルが増えている
賞味期限を過ぎると責任回避のために廃棄される食品

そういったありとあらゆることが規定され規制されて生活していることにみんな疲れているんじゃないだろうか?
心に感じたことをストレイトに口に出し、無意味な規制とサヨナラする
この映画には他人を肌と肌で伝える感情に溢れている。







ルーパー

原題「Looper」
思考がループする、などに使われる「ループ」をする人の意味(なんだと思う)

タイムトリップを扱った映画は途中から頭が混乱しだす。
この作品「ルーパー」は、自分(ヤングジョー)と30年後の自分(オールドジョー)が対峙していくので混乱する。

更に、30年後の自分を殺さなければならない、という条件設定が混乱する要因。
何故って、哲学的な思考を巡らせられたから。
作品を鑑賞しながらも自分自身ならどうするだろう?を脳のどこかで考えながら鑑賞していたクチだ。

一度の鑑賞では分からない事柄も多い。
解説、補足の類を事後補習してから観ればもっとこの世界観にのめり込める、浸れるはず。

ジョセフ・ゴードン・レヴィットがブルース・ウイルスにそっくりに映る
ハリウッドのメイクアップの技術、恐るべし。











2013年2月6日水曜日

世界は慈悲を待っている

新アルバム「ZOOEY」からの2曲目の新譜

ZOOEYが人物の名前、J・Dサリンジャーの小説の登場人物だと初めて知る
私は佐野元春の詩が好きなのであって、元春のルーツには大して興味がなかった。
最近気づいて来たこと。
私にとって佐野元春は
詩人であり
親友であり
兄であり
父であり
行き着くところ、「神」の類の存在なんだろうと。

例えば私が他者に向かって演説をするような機会が到来すれば、迷うことなく佐野元春の詩から感じる話を持ち出すだろう。

この曲の詩には四文字熟で言えば「一期一会」を謳う詩がある。
元春が歌うと、どうしてこうも説教臭く響かずに私の心を捕らえて離さないのだろう。
また、シニカルな表現で「ええかっこしい」な人を痛烈に謳う詩がある。
Websiteては動画が閲覧できるが、そのフレーズのときの元春の口元が「うふっ」って表情しているように見えるのは私だけだろうか。

慈悲=MERCYと思っていたが「GRACE」という単語を使っている。
お涙頂戴な単語には映らない、孤高でエレガンスな響き。

アルバムの1曲目として
「若くて無垢な青年」が今から世間へ飛び出していこう!としている姿が浮かんでくる。

そして、私はZOOEYが登場する小説を手に取ろうと考えている。
元春のルーツを知りたい、と思い始めているということ。
それは或いは私自身のルーツにも繋がるのかもしれない。