2011年12月28日水曜日

こんな素敵な日には

「Special Day」
初出は「No Damage」

~煙草について一考~
1980年代、煙草は堂々たる存在だった。
少年の私にとっては不良少年、少女が大人ぶるのに必須のアイテムだった。
オヤジ達の世代にとっては映画スターへの思慕から喫煙しだした人も多かったような話だ。
お祖父さん達の世代では紙煙草が圧倒的多数ではあるものの、パイプを使って喫煙するオシャレでイカした人もいた。
公共機関の乗り物だって喫煙席、禁煙席の区分けはなかったし、喫茶店に至っては煙草の煙がモクモクと煙っているのが当たり前の光景だった。

今や、喫煙者の自由権は大幅に封じ込められている。
煙草は受動喫煙のリスクが叫ばれ、更に相次ぐ増税の逆風が重なり、すっかり肩身の狭い存在に変わってしまった。

私自身も19歳から喫煙してきていたが、35歳ぐらいの頃に最後の煙草を吸って以来喫煙していない。
メジャーな表現で言えば「禁煙」に成功している、ということ。
だが、この状態は「煙草を吸わない状態がたまたま続いているだけ」と思うようにしている。
それが禁煙のコツだという。
いつか煙草を吸ってしまうとき、そちらのほうが落ち込み度が低いというし、再チャレンジの意欲が湧きやすいのだという。
(禁煙に失敗して一番落ち込むのは本人なんだから)

この曲での「煙草」はとても美味そうな雰囲気を醸し出しているし、同時に恋人の甘い時間を演出するのに素敵なツール。
この曲を聞くと、煙草を吸ってもいいかな、と思う。
詩と詩の間にある「間(マ)」が絶妙なグルーヴ感だからだろう。
煙草を出して火をつけて感じるのは君の静かな微笑み
の部分の間が好きだ

今はこの煙草に取って替わる存在感のある「嗜み物」がない時代だ
携帯電話やスマートフォン、携帯音楽プレイヤーは「嗜み」とは言えないし、携帯ゲームではオトナを感じさせてくれるものでもない。
水蒸気での煙草もどきのグッズも巷にはあるようだが、それにはWildさが薄い。
害は認めざるを得ないし、その害を受けたくもないのだが、煙草にしか醸し出せない風景があるよなぁ、と思う。

三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船

原題 THE THREE MUSKETEERS

この秋から初冬にかけて、鑑賞したい映画を幾つも見逃した。
体調がイマイチだったり、タイミングが合わなかったり、と。
例えば「コンティジョン」「ミッション:8ミニッツ」「1911」「インモータルズ」などなど、メジャー作品だけ列挙してみてもこれだけの作品数だ。
その中で最もロングランになっていた本作を最終週にしてようやく鑑賞することができた。
劇場収容人数は中級クラス、観客少ないだろうとタカをくくって、いきなりど真ん中の座席を指さしたら「そこは埋まっています」という劇場スタッフの声。
「エッ、んじゃここは?」「あいにくと」と、やりとりを重ねて、後方左側の座席を選択した。

原作は未読。
1993年にも映画化され、この時はチャーリー・シーンらが三銃士に扮し、主題歌か挿入歌をBryan Adamsが「All For Love」、かなりチャートを賑わせた(はず)
この当時は映画館から足が遠ざかり、気軽で安価に楽しめるレンタルビデオ、衛星放送で鑑賞するようになり、かなりの作品を鑑賞したのだが本作は未鑑賞。
興味は高かったのだが、何故か手が伸びない作品だった。今になって思えば原作を未読という理由が大きい。
幼児の頃に本に親しんだという自負はあるのだが、未就学時代は日本の昔話、低学年の頃は昆虫記だとかSFもの、中学年以降は歴史や偉人伝へと嗜好が移っていったため、西洋の物語には疎い。
「ロビンフッド」も「ピーターパン」も「ジャンヌダルク」、どれも読んだことがない。
そういや、上記3作は映画化されているが鑑賞したのは40歳を超えて、西洋に少しでも明るくなりたいという欲求が芽生えてから。

ダラダラと原作について前置きをしているのは、今作は原作を知らずに鑑賞したほうが楽しめる作品だと思うから。
映画紹介サイトのレヴューを読んでみると本作は原作に忠実とは言い難く、創作の部分も多いとのこと。
従って原作の映像化にこだわりが強い人は期待はずれの感想を書いているし、寛容な人は「これはこれであり」という。
対象年齢は93年版からは低めに設定しているのではないかと思える。
いわば、入門編というか、まずは三銃士に親しみを感じたければNiceな作品だと言えよう。
邦画で言えば、薬師丸ひろ子が主演を務めた「里見八犬伝」みたいなもんでしょう。
あれも原作とは違う部分があり、里見八犬伝に親しみを持たせることには成功した作品でしたから。

キャスト。
一線級のミラ・ジョヴォヴィッチ(バイオハザードほか)、オーランド・ブルーム(パイレーツオブカリビアンほか)、ローガン・ラーマン(パーシージャクソンとオリンポスの神々)、クリストフ・ヴァルツ(イングロリアスバスターズ)といった最近のメジャーな作品で見たことのある顔ぶれ。

ミラ・ジョヴォヴィッチ
ミレディ役で、ルパン三世の峰不二子を彷彿とさせる役回り。
もっともミラの場合は「色気」よりも「アクション」に比重を置いているかなぁ。
峰不二子のお色気ムンムン(死語)が........
彼女には小悪魔的な存在が似合わないような気がする。アンジェリーナ・ジョリーのほうがいいかもなぁ。
とか、書きながらメラニー・ロランがベストなんだが、と、これは贔屓女優さんだから(笑)

衣装が印象に残る。
仏王ルイ13世(お馬鹿っぷりがいい味出している)が着る「青」がとても好みの色合いでした。
「緑色」も美しい色合いだが、青の美しさを堪能し、満足した。
ミラの衣装も、オーランドの衣装も煌びやかだったけど、一線級の演じ手が着用すると、顔なり、表情なり、演技なりで衣装の華やかさが薄まっていく。
(これが超一流の演じ手だとか、超一流の作品だと事情は変わる)
それに対し、ルイ13世の天然なお馬鹿っぷりが諺で言うところの「馬子にも衣装」

作品の舞台はイングランドとフランスと近代ヨーロッパの両巨頭。
そして撮影地にドイツが入っている。
クリストフ・ヴァルツが枢機卿をやっているんだから、ドイツの面目躍如という印象が残る。
ハリウッド作品ではなく、ヨーロッパの作品。
どこかしら「シャーロック・ホームズ」風なテイストを感じたのだが、それは「ドイツ」に関係しているらしい。
それは背景の色の陰翳なのかなぁ、と思っている。

続編なりシリーズ化されそうな終わり方。
次作を製作するのであれば、パンチを利かせて欲しい、例えばルイ13世のお馬鹿っぷりをもっと強調するとか、バッキンガム公のキャラクターに残忍さを強調するとか。
平均ペースな人物ばかりでは次作はコケるように危惧している。

2011年12月19日月曜日

ローマ人の物語 2 ローマは一日にして成らず[下]

この本を手に取るあなたへ
伝えたいことは上巻に同じ、だけど一つ加えるとすれば、歴史を生き物だと感じられれば何かしら自分自身の「糧」になりえるものが芽生えてくるだろう。

上巻ではノートに転記するだけで精一杯で終えた。
幾つかの改革や、戦記の事柄を読みながら明治維新の頃を思い浮かべたり、戦国時代を思い浮かべたり、と、頭のどこかしらで日本史と照らし合わせながら、対比しながら読んでいた。
下巻でもその日本史と照らし合わせるもはや私の習性は変わりようもないのだが、無理矢理に合わせることはなくなってきているように感じる。
ローマはローマであり、日本ではない。
といいながら、ローマであれ日本であれ歴史の流れはどこか通じるものがあるのだなぁ、ということも感じる。

ノートの転記が中心だが、ところどころに自分なりの感想を書くようになっている。
では、転記を進めていく。

ペリクレス時代←ローマ視察団が派遣された頃
いきなり、刺激的な一文が目に飛び込む
「民主政体を機能させるのに民主主義者である必要はない」
気が軽くなる考え。発想の転換。
ペリクレスの直接民主制の特徴
①公職を抽選で選出し、給与を支払う
②市民の娯楽である劇場の入場料を国庫負担で賄う
③アクロポリスの再建
基本スタンス
アテネの経済力増強のためにはペルシア、スパルタと友好関係を維持する一方、ペルシア、スパルタを仮想敵国と考える
P17~19の演説が素晴らしい。
21世紀の今でも十分に新鮮に聴こえる。

ローマは改革直後で、王政つまりは唯一人の君主によつ統治から脱却したばかり。
当時のアテネは直接民主制とはいえ、あまりにもペリクレスが優秀なため一人の君主と映ったのかもしれない、それに常に優秀な指導者が現れ続けることは難しいこともローマの王政時代で経験済だ。
マラドーナが率いたアルゼンチンサッカーチームがアテネだとすれば、ローマが目指したものはトータルフットボールのような誰もが主役であり脇役でもあるシステムだったのだろう。

ギリシアを知って後
視察団が帰ってもすぐに秩序と自由のバランスを保つ政体は確立されなかった、その理由
①元来が保守的
②貴族らの対決姿勢が強い
③少数指導性を変えることを望んでいない(但し、その下での機会の均等を欲する)

貴族対平民の階級闘争が繰り返される理由
①執政官(コンスル)は元老院から提供され、市民集会が機能的ではなくなる
また、能力と成熟を求めれば人材は元老院からしか輩出できない。
執政官と元老院は密接な関係
市民集会と執政官、市民集会と元老院との関係は希薄になる
②共和国直後の近隣部族との戦いにより平民らが自分たちの力を自覚した。
戦いが起きてもストライキをするようになる。
③領土型の国家である
陸続きの領土、国境を巡る戦いが常にある
有能な指導者でなければ平民らも落命してしまう。
日本の戦国時代の武将と領民の利害関係の一致に近いのだろか。

BC494年、護民官創設
目的:平民階級の利益と権利を守る
条件:平民出身であること
選出方法:平民集会による(市民集会ではない)
権利:ⅰ)執政官の決定に拒否権が行使できる / ⅱ)身分の不可侵

護民官は無意味?
(1)執政官、元老院からすれば相手をするのは護民官2人のみで済む。
寧ろ攻略が明確になる
(2)拒否権は戦時には行使できない
大半が戦いをしている時代だから、行使できるケースが少ない

農地法をめぐり貴族対平民の抗争が繰り返される。
近隣部族との戦いに勝利すれば敗者の所有地は
半分)→同盟国に与える
半分)ローマ市民の公益地として貸し付けられる
その配分が貴族にとって有利(豊穣な土地が貴族、貧しい土地が平民)

BC449年、十二表法発表
新しく加えられたものはなく、不評

ローマの貴族
力の基盤は土地よりも人
①所有地
②クリエンテス(クライアントの語源)と呼ばれる人々
鎌倉武士の「御恩と奉公」のようなもの、いやそれ以上に近しく、密接

ケルト人来襲
ケルト人=ガリア人
エトルリアの勢力を撃破したことはケルト民族南下の防波堤を壊したこと
BC396年、エトルリアの有力都市ウエイ攻略に成功
平民の要求=ローマに次ぐ第二の首都にする提案
貴族の反応=独裁官カミルスを筆頭に反対。ローマの神々を捨てるに等しい
しかしながら平民がカミルスの戦利金の使途を山車にカミルスを告発し、結果カミルスは国外へ追放される
平民はウエイへ移住
BC390年夏、7月18日テヴェレ河上流でケルト族にあっけなく敗退
以後7ヶ月占領される
ケルト人、ローマの都市には合わない、戦士ばかりの彼らにとって魅力に乏しく、飽きる
300kgの金塊で身代金を支払い、退去させる。カミルス呼び戻される。

ギリシアの衰退
BC431、ペロポネソス戦役 アテネ対スパルタ
BC429、ペリクレス死去、以後のアテネは衆愚政時代(人材はいても制度自体に欠陥があったのでは)
BC404、スパルタ勝利
しかし、スパルタのライフスタイルは他国では通用しない
BC371、スパルタが覇権を喪失、テーベが取って替わる
BC362、マケドニアにより、ポリス国家敗北
BC356、アレクサンダー大王生まれる

立ちあがるローマ
ケルトショック以後のローマの課題
①防衛を重視しながら再建
②離反した旧同盟部族との戦闘と国境の安全確保
③貴族対平民の抗争の解消

目からウロコの言葉
抜本的な改革とはそれを担当する人間を入れ替えることによって始めて十全になされる
これは、自身の経験に照らし合わせて、そう。

政治改革
抜本的改革を実現できた条件
①ギリシアのポリス衰退
保守派→スパルタ的な閉鎖社会の害を認識
急進派平民→自分らの権利のみを要求することはアテネの迷走に同じことになる
②平民階級の質的向上
BC455に解禁された貴族、平民間の婚姻の成果
BC367、リキニウス法成立
・6人の軍事担当者の廃止
・2人の執政官制度に復活
・要職を平民出身者に開放
・元老院の開放
生まれや育ちに依らない(先天的事情)経験と能力のある者(後天的事情)なら誰でも元老院に入れる機会ができた

既成勢力が新興勢力を抱き込む手法がローマ流
欠点
①効果が見えてくるまでは時間がかかる
②別途新たに台頭してくる新興勢力の組み込みにも注意しなければならない

ローマの政体
・執政官
・独裁官
・法務官
・会計検査官
・財務官
・按擦官
・護民官
・元老院

ローマ連合
同盟協定はローマとの間とだけ結ばれる
加盟国間では結ばれない
P123の図が解りやすい
ローマ連合の5構成
①ローマ
②旧ラテン同盟の加盟国
ローマ市民権を与えられる
③ムニチピア
投票権なしのローマ市民権
④コローニア(植民地)
政治上の理由(砦の建設が目的)
⑤同盟国(ソーチ)
BC350以後ローマに敗れた国々

国家は大抵、宗教、政治、統治権を認めないのに、ローマのやり方はそのようなやり方ではない。
責任を持たせた放任主義のようなものかも。
敗者を隷属化するのではなく、共同経営者にする。

街道
現代に例えれば高速道路の建設
つまりはインフラの整備であり、インフラが整備されれば敵にとっても整備されたインフラを活用できる。

市民権
権利①所有権(所有財産の保証と売買の自由)
権利②選挙権、被選挙権
権利③控訴権
権利④自由権
義務=軍務

敗北した際のローマ人の態度
①敗軍の将は罰せられない
②新戦術の導入
③連合の確立と拡大
これは失敗を犯したときの処世術、指導術のよきバイブルにしたい
P171
悪しき偶然はなるべく早期に処理し、良き偶然は必然に持っていく


以下、目次
第二章 共和政ローマ
ペリクレス時代
ギリシアを知って後
ローマの貴族
ケルト族来襲
ギリシアの衰退
立ちあがるローマ
政治改革
ローマの政体
「政治建築の傑作」
「ローマ連合」
街道
市民権
山岳民族サムニウム族
南伊ギリシアとの対決
戦術の天才ピュロス
ひとまずの結び

クリスマス・タイム・イン・ブルー

「Chrsitmas Time In Blue」
初出は「Cafe Bohemia」

多くのクリスマスの曲が「雪」をシーズニングしている。
この曲も歌い出しはそう。
九州で人生の大半を過ごした私にとって、クリスマスに雪が降っているシチュエーションは稀。
だから「○○歳のクリスマスのときは雪が降っていたなぁ」なんてことは貴重な経験で記憶に残って然るべくなのに、時間の経過と共に「あの年のクリスマスは雪が降っていたなぁ」なんてことはすっかり忘却の彼方になっている。
そういう意味では私よりも「連れ」のほうが記憶力が良い。
(歴史などで登場する人名などは私に軍配が上がるのだが・・・・)
そういう意味では「連れ」よりも私のほうが薄情な人間だと思う。

この曲が好きなのは、


夢に飾られているけれど
かまわないさ このままで
歩き続けよう

周りが煌びやかであろうとも、自分の価値観を失わず、且つ他者の価値観を批難もしない、そのアティチュード
この曲を書いてから10年以上経過して佐野元春は別の曲で「我が道を行け」と私らの生き方を鼓舞してくれるのだが、それに通じる詩
佐野元春という人の社会との関わり方のビヘイビアが伺える。
そして、私はその対極側に感情がフレていくときがあるからこそ、佐野元春の詩に惹かれ続けているのかな、なんていう考えも過ぎる。

曲の後半に出てくるメリークリスマスを伝える相手を具体的に指す詩が初めて聴いたときから新鮮だ。
我が国では、というか昨今の和洋問わずクリスマスがモチーフの曲は恋人が恋人に贈る詩ばかりで、卑猥な言い方をすればSEX賛歌の曲に聴こえるが、この詩に登場するターゲットはあらゆるシチュエーションの人々だ。
そして佐野元春が伝えるメッセージは「Toniht is gonna be Alright」
キリスト自身も自分の誕生日がこれほど祝われていることを知れば、この曲にsympathyを感じるんじゃないかと考える。
中でも
平和な街も、闘っている街
うまくやれる人も、しくじっている人
に、「Tonight is gonna be Alright」の気分を味わって欲しいと思う。

2011年12月17日土曜日

ローマ人の物語 1 ローマは一日にして成らず[上]

この本を手に取るあなたへ
社会が発展していく過程を知る楽しみを得たいと思えば、このシリーズはきっと多くの教え、提案、気づきを与えてくれる。
社会に出れば、大多数の人間は再び学校に戻って勉強に勤しむことはない。
社会人に求められる勉強とは職能に求められる資格取得やスキルアップを目指すものが多い。
それとても大切なことなのだが、もっと大事なことがあると私は考える。
それは「人を動かす」「組織を機能させる」こと。
この本は長い長い物語(歴史書)の第一歩、人を動かすこと、組織を動かすことが苦手な人(私はその筆頭格だ)にこそうってつけの本。

さて。
blog開設以来(以前他SNSでもやっていた)、書籍の感想なるものを書き連ね、それなりに面白い着眼点での感想文を書いたこともある自負もあったのだが、このシリーズでは感想よりもまず、この本の要点をピックアップしていくのが精一杯なようになっていくような予感がする。
社会(歴史・地理)の勉強で、教科書や図説や年表といった幾つかの資料を持ち寄りながら自分なりに受験勉強をしていたときのように、あるいはそれ以上にノートに書き殴ることで理解を深めてきたように古びたノートを引っ張り出して勉強している。
このエントリーでは、そのノートを書き写す作業をしていくことにしようと思う。
ひょっとしたら、そこから自分なりの気づきが生まれてくるのかもしれないし、そのようになればいいな、と淡い期待をしている。

では。
ノートからの転記を進めていく。

ロムルス(初代王)
ロムルスとレムス、彼らはギリシアから流れてきた末裔。
双生児だったかどうかは疑わしい。

中部イタリア→エトルリア人
職人気質?
防御には万全でも発展は阻害されやすい丘の上を好む
南イタリア→ギリシア人
通商を優先し、リスクを抱えてでも海沿いの土地を好む
本土ギリシアが耕作地に恵まれない環境下、国外へ植民する。
進取の精神と冒険を好む性向
ローマ人→中途半端な土地に街を立て、発展の欲求が外へ向かう。


ローマには7つの丘がある
①クィリナーレ
②ヴィミナーレ
③エスクィーノ
④カピトリーノ
⑤パラティーノ
⑥チェリオ
⑦アヴェンティーノ

国政を3つに分ける
王→宗教祭事と政治の最高責任者
元老院→各家門の長、王に助言する
市民集会→政府の役職者を選出する役割

建国の次は子孫繁栄
サビーニ族の女を強奪

サビーニ族とラテン民族の争い(4回)

争いの中、強奪された女らが割って入り夫(ラテン)と親兄弟(サビーニ)が殺し合うのは見ていられない
(妻として相応の待遇を受けていた)

ロムルス、サビーニ族へ両部族が合同する形での和平を提案(対等な立場での合同)
敗者さえも自分たちに同化

クィリナーレがサビーニ族の居住地

ローマはロムルス、サビーニ族はタティウス。二人の王

近隣部族との戦いに明け暮れる、タティウス戦死し、王はロムルスのみ

百人隊(ケントゥリア)制度スタート

ロムルス、死去(元老院の暗殺説もある)

次期王をめぐり紛糾
ラテン→自分たちから選ばれるのが当然
サビーニ→今度こそ王を出したい

ヌマ(二代目の王)
先祖伝来の土地に残っていたサビーニ族で晴耕雨読タイプ
即位時40歳
ヌマの功績
①ヤヌス神殿の建設
戦うときと戦わないときを可視化し、今は戦よりも内治の時代であることを知っていた
②職能別の団体結成
こうすることでラテン、サビーニという部落間抗争の意識を薄め、プロフェッショナル意識を高める
③暦の改革
カレンダーの固定、これによりスケジュール化が容易になる
④宗教の改革
ⅰ)多くの神をヒエラルキーし、守護を役目とした
ⅱ)神官の組織の整理。専任化にせず、国家公務員的な位置づけ。これにより政教分離

一神教と多神教の違いとは?
一神教は他者の神を認めない/多神教は他者の神を認める

人間の行動原則の正し手
ユダヤ人→宗教に求めた
ギリシア人→哲学に求めた
ローマ人→法律に求めた

トゥルス・ホスティリウス(3代目王)
ヌマにより内治充実を経て、外部発展の機の王
80年に亘るローマvsアルバロンガ
勝利後、チェリオの丘への移住を強制する、但し奴隷としてではなく、ローマ市民として
ラテン民族の母国はローマであることを宣言

アンクス・マルキウス(4代目王)
 ①テヴェレ河に架橋 
西岸ジャンニコロの要塞化により東岸の7つの丘を結ぶ
②オスティア征服
塩田事業(塩=通貨)
ローマは力を蓄え、周辺の部族の注目を浴びる存在へとなる

タルクィニウス・プリスコ(5代目王)
父はギリシア人、母はエトルリア人の混血児
ギリシア人もエトルリア人も純血主義
そのため立身出世の道をローマに希求する
初めて選挙活動をした最初のローマ人
元老院の定員の100名から200名に変更し、王の権力を確立
干拓事業で湿地を平地化する
ⅰ)市場として活用され、石で舗装されることで大競技場の建設、後に公共建造物が占めることになる→フォロロマーノ
ⅱ)往来が楽になったカピトリーノの丘に神殿の建設
ⅲ)活用できる土地が増え、往来が楽になることで民族コミュニティの交流が活発になりローマが一つになる

ローマ人=建設工事者
エトルリア人=技術提供者(エンジニア)・資材提供者
商業と手工業の活性化により都市国家へと変貌していく

セルヴィウスを娘婿にする
先王アンクスの二人の息子により暗殺される

セルヴィウス・トゥリウス(6代目王)
①ローマ全体を守る城壁を完成させる
②周辺の部族の守護神ディアナに捧げる神殿を建立

Ⅰ)他者を拒む城壁を建立する一方、他者を受け入れる神殿の建立
Ⅱ)軍政改革
税制改革、選挙改革に直結する
Ⅲ)戦法の確立
前衛・本隊・後衛

尊大なタルクィニウス(7代目王)
セルヴィウスを殺害し王位に就く
元老院の反対派を殺害
元老院の承認もなく、市民集会を経ずに即位した独裁者、専制君主
軍事の才には長けている

失脚はスキャンダルから
息子セクストゥス→親類コラティヌスの妻ルクレツィアを強姦
ルクレツィア自殺
コラティヌス&ユニウス・ブルータス 王政を打倒

ローマ、共和国に
ブルータス、一年毎に市民集会にて選出される二人の執政官制度をスタート
第一回はブルータスとコラティヌス
元老院定員を200名から300名へ。

名門の若者たちによる反乱(動機は共和政になり活躍の機会が減少することへの危惧)
タルクィニウスを担ぎ出し、王政復古を目論むも未遂で発覚し処断される(一味にはブルータスの子供も加担)
コラティヌス、市民から黒幕との疑いが巻き起こり隣国へ亡命
ヴァレリウス選出される
王政復古を目論むタルクィニウスと新勢力の執政官軍の戦い
ブルータス戦死
ヴァレリウス、民衆から嫉妬、疑い、中傷を浴びる
その理由①4頭の白馬での凱旋式(華美過ぎる)/②広壮な屋敷/③空席の執政官の座を埋めない
対策①屋敷を壊させ、質素な家を建て、誰でも自由に出入り可能にした
②国庫は財務官が管理する(執政官といえでも関与できない)
③ローマの市民権を有するものは司法官が下した判決でも市民集会へ控訴できる
プブリコラ(public)ヴァレリウスと呼ばれる

共和政導入時の問題
①国力の低下
ⅰ)3代続いた王の出自であるエトルリア系民族が流出
ⅱ)近隣の諸部族との同盟関係が弱力化
ⅲ)エトルリアを敵に廻した
対策
ⅰ)国庫の確保(塩の販売を個人から国家へ移管)
ⅱ)他国人のローマ移住促進

キュージ王、ポルセンナとの戦い
テヴェレ河に架かる橋を巡る戦いでローマ勝利するも、キュージは包囲網を敷き、兵糧攻め
ローマはキュージを和平を結ぶ
条件1)タルクィニウスの王位復活は拒否
条件2)獲得した領土ウエイの返還を受諾

共和政以降6年後にプブリコラヴァレリウスは死去

成文法を求めてギリシアへ視察団を派遣。
3名からなる派遣団、1年間アテネへ。

ここで、一旦ローマから目を離し、派遣団が向かったギリシア、アテネについて

ギリシア文明
紀元前1200年頃)クレタ文明 エーゲ海を航行し栄えた文明
紀元前1250年頃)ミケーネ文明 武人文明「イーリアス」「オデュッセイア」
紀元前800年頃 )ポリスと呼ばれる都市国家の時代

アテネ=アカイア人
スパルタ=ドーリア人

BC900年~800年)第一時植民活動→小アジア西岸を中心に
BC750年頃     )第二時植民活動→全地中海へ
①好奇心・冒険心・独立心
②母国との関係が希薄

アテネ
海に向かって開かれた地方
建国当時は王政
BC8世紀頃)貴族政へ移行
BC7世紀頃)商工業による新興勢力の台頭(貴族政が合わなくなる)
BC620年 )法律の成文化→貴族が司法権を喪失する
BC594年 )ソロンの改革(ティモクラッツィア)
・資産の多少が権利の多少と比例する
・人権尊重(自作農の救済措置など)
・市民を4階級に分ける(基準は農業収入)
────────────────────────────────
|階級 |義務               |権利                 
────────────────────────────────
|1階級|騎兵としての兵役       |政府要職              
|2階級|騎兵としての兵役       |政府要職              
|3階級|重量歩兵としての兵役    |行政官僚              
|4階級|軽装歩兵・艦隊乗組員    |選挙権                
────────────────────────────────
ソロン引退
時代は不動産よりも動産への投機が盛んになる(土地が痩せている、海運は盛ん)
権力の空白化

無政府状態(アナルキア)

独裁体制(ティラニア)ペイシストラス
BC561)独裁政を敷くも反対勢力により追放
BC546)武力により独裁政へ復帰
~   [外政政策]海軍の充実エーゲ海の制海権確保、ペルシア帝国、リュティア王国との友好的関係、ヘレスポントス近辺に中継基地を設ける
[内政政策]鉱山業の振興
BC525)
BC510)クリステネスら貴族により独裁政が打倒される
直接民主制(デモクラッツィア)へ
[行政改革]「デモ」と呼ばれる区制(家門や一門に属するのではなく地域に属する)
[政治改革]市民集会の権限の強化
20歳以上のアテネ市民が出席の権利を有する
4階級の基準である農業収入を撤廃し省庁に似た組織を創設
政府役員を9人→10人へ変更「ストラテゴ」
陶片追放制度(自浄システム)
ポリス社会の閉鎖的な面
両親のどちらかがアテネ市民でなければ市民権を得られない。
奴隷は生涯奴隷のまま

スパルタ
BC1200頃)ドーリア民族ペロポネソス半島の中央部スパルタへ侵攻し、先住民を征服
1人/24人)征服者ドーリア人:軍役のみ
7人/24人)非征服者ペリオイコイ:商工業に従事し、軍役の義務あり
17人/24人)非征服者ヘロット:農奴、軍役の義務なし

市民集会→30歳以上のスパルタ人で構成される
長老会議→2人の王と28人の60歳以上の市民
※2人の王が支配する政体をディアルキアという

BC700頃)リュクルゴスの改革 ~軍務を至上目的~
誕生時→健やかに成長できる→YES:パス / NO:捨てられるor奴隷
0~ 6歳→親元で生活
7~20歳→寄宿舎で修行生活(結婚しても30歳までは寄宿舎)
20~60歳→兵役
特徴
男女平等/酒・美食は厳禁/訓練・競技は裸体/読書や議論は御法度/通貨は鉄貨

ペルシア戦役
BC500頃 ペルシア西方へ侵攻
1)経済上の理由→繁栄するエーゲ海一帯を手中に収めたい
2)宗教上の理由→優れた宗教が劣る宗教を支配するのが当然という発想
BC494   イオニア粉砕される
BC490   ペルシア、アテネ・エウベアへ侵攻し、エウベア陥落するも、アテネはミルディアスの戦略により防衛
以後のアテネは急進派(テミストクレス)と穏健派(アリステデス)の二派に分かれる
BC480   ペルシア、30万の軍でギリシアへ侵攻、ギリシア大同団結し辛勝
BC479   再戦
BC478   ギリシア連合艦隊、エーゲ海を奪還

覇権国家アテネ
対ペルシアへ向けてデロス同盟結成
アテネが主導権を握り、スパルタは面白くない、スパルタは独自にペロポネソス同盟を結成
アテネとスパルタの冷戦状態




以下、目次

読者へ
序章
第一章 ローマ誕生
落人伝説
紀元前八世紀当時のイタリア
エトルリア人
イタリアのギリシア人
建国の王 ロムルス
二代目の王 ヌマ
三代目の王 トゥルス・ホスティリウス
四代目の王 アンクス・マルキウス
五代目の王 タルクィニウス・プリスコ
六代目の王 セルヴィウス・トゥリウス
最後の王 「尊大なタルクィニウス」
第ニ章 共和政ローマ
ローマ、共和国に
ギリシアへの視察団派遣
ギリシア文明
アテネ
スパルタ
ペルシア戦役
覇権国家アテネ

2011年12月1日木曜日

127時間

原題 127HOURS

私の映画鑑賞の嗜好は、「人」を扱った作品。
自分でもこれといった要因は挙げることができないのだが、とにかく「人の人生を扱った作品」に惹かれる
歴史的大作ならば「ラストエンペラー」であり、今のところマイベストシネマ。
感受性は豊かで多感な頃(当時19歳)、数奇な人生を送った愛新覚羅溥儀という人の人生をスクリーンで鑑賞し、歴史という大波に飲み込まれていく「人物」に焦点を合わせて丹念に描いてくれているからだ。

その「ラストエンペラー」と対比すれば本作の主人公「アーロン・ラルストン」は無名の人物。
誰も戦わないし、落命もしないし、ましてこの出来事が社会に深刻な影響を及ぼすわけでもない。
新聞の3面記事で「落石により右腕を挟まれた会社員、127時間ぶりに救出!」と報道されるぐらいの出来事だ。
なのに、「鑑賞したい」と私に思わせたのは予告編で観た2ポイント
① 湖のブルーの美しさ
② 「生きて帰りたい」「究極の決断」のテロップ
結果は②のテロップで既にネタバレである、岩に腕を挟まれてからにっちもさっちもいかなくなり、自ら腕を切除し、127時間後に生還する。
自ら右腕を切除するに至るまで彼は何を感じ、何を考え、何を得て、何を失うのか?
そのプロセスの出来栄えが秀でているからアカデミー賞にノミネートされたのだろう。
で.....その推察は大当り。

ビデオカメラを使って、自分で自分にインタヴューするシーンが秀逸だ。
躁状態(ハイテンション)を無理やり作り出し、楽しかった出来事や落石がなければ参加できたであろうパーティーや恋人との時間を思い描いてみるものの、行き先を言わずに出発したため誰にも気づかれることなく独りで死を待つ身になっている現況に激しく後悔し、発する言葉「Ooops.....」に込められた「失意」があまりに悲しく、あまりにも残酷な状況をスクリーンを超えて伝わって来た。

主人公が閉じ込められている谷底から地上へ、地上から空へと映像がパンアウトするシーンも絶望的な状況を余すことなく伝わってくる。
その空に何条もの飛行機雲が現れては消えていくシーン、主人公の「希望」が同じ数だけ芽生え、そして同じ数だけ摘み取られたということだ。

映画の技術は五感のうち伝えられるのは「視覚」「聴覚」が可能で、「嗅覚」「触覚」「味覚」は不可能だ。
だが、本作は間接的にではあるが「嗅覚」「触覚」「味覚」の疑似体験が可能だ。
小便を飲むシーン、クライマックスの右腕を切除するシーンは嗅覚、味覚、触覚を感じざるを得ない。
私の目の前で鑑賞していた50代の女性は仰け反りながら鑑賞していた。
鑑賞者の中には失神した客も存在したとのこと、うなずけるエピソードだ。
最早錯覚の域を超越している表現力だ。

「ジェームス・フランコ」
スクリーンで観るのは「猿の惑星 ~創世記~」に続き、2度目。
本作は大半が一人芝居であり、彼の演技力は絶賛に値する。
両作とも眉間に皺を寄せるようなシリアスな展開が多かった(その演技も素晴らしいのだが)ので、対極の表情が観れる作品で会いたい。
アクション系とかコメディ系でノリがよくてキップのいいニイチャン役で。

「ダニー・ボイル」
スクリーンで彼の作品を見るのは初。
以前深夜放送で「ザ・ビーチ」(レオナルド・ディカプリオ)は鑑賞したことがあるから2作目の鑑賞。
両作に共通して感じたことはあこの監督は「水」の「ブルー」の表現がとても私の感性にマッチして心地好い。
2012年のロンドンオリンピックで芸術監督に選出されている。
色の再現・表現には多くの人が共鳴しているのであろう。

この両者が素晴らしく、動きが少なく、閉鎖された舞台設定の作品(ともすれば眠りに陥るような)でありながら手に汗握ること請け合いの作品。

誰しも程度の差こそあれど、九死に一生を得た体験はあるはず。
私自身で言えば
潮が満ちてくる海辺をダッシュで陸地へ逃げたこと。
建造物と建造物の間に身体を挟まれ身動きが取れなくなれずにもがいたこと。
などなどあるが、自分がいくら努力しても報われない状況下で「それでも生きたい」と、人間は生を欲する生き物だ。
命あるもの、その命を守ろうとする本能があるんだ!と。
命への賛歌の作品だ。