異郷で鑑賞する故郷の風景は 温かい眼差しだった |
ただそれだけでは、今作を鑑賞に行くパワーは起こらなかっただろうと思う。
行こうという決定的なパワーが起きたのは、友人がFacebookにて鑑賞に行くつもりなんだ、と宣言してから。
客観的、極めてクールに考えて今作が上映される期間は2週間程度しかないだろう、という予測を立てる
ならば上映初日に行かなかったら、間違いなく行く機会を喪失するだろう、と。
私は長崎県民。
長崎市内に住んだことは4年ほど、22歳〜26歳まで。
爆心地から2KM程度のところに住んでいたこともある。
小学生の頃、8月9日は登校日、登校して児童集会で校長先生の話を聴き、教室などを簡単に掃除をして、11:02を迎え、黙祷を捧げる。
それが僕たちの常識
広島県は8月6日だろうし、それ以外の都道府県もそれに倣うと思っていたのが、異なる登校なんてしないという事実を受けたときの衝撃度は大きかった。
故郷を離れ、8月9日の11:02に黙祷を捧げることを忘れることもある(運転中だったり、作業中だったりと言い訳は幾つもあるのだが)
そういう年は、居心地が悪いし、きちんと黙祷を捧げられた年は居心地が良い。
今年2013年は11:02にどういう状況になるかは分からない。
私なりの黙祷が今作を鑑賞することだ。
1945年8月9日の11:02に長崎市に原子爆弾が落ちてきたことを忘れないために。
作品について。
やけにピアノの音が耳に残るなぁ、と思えば、小曽根真さんでした
何回も流すのは、うーんちょいと頂けない製作だよ。
巧いピアノなんだから、何回も聴かせるのではなく、「ここ」ってときに流してくれたらいいのに。
原子爆弾の映画は小学生の頃から幾つか鑑賞してきた(させられてきた)
記録映画の類に始まり、被害者としての側面が強い。
また、爆弾の威力の凄まじさをなんとかして表現しようとして、製作者の苦心はわかるけれど、どこか陳腐なものになりがち。
今作は爆弾によって肉体的な苦痛を味わされた人を存在させてない。
稲森いずみが演じる女性の両親の原子爆弾への憎悪の理由は何なのか?がミステリーじかけになっている。
また、もう一人の主人公北乃きいは原子爆弾の被害とは無縁の世界で生きている。
戦争や爆弾の悲惨さを前面に出ることも少なく、それぞれの人生が何かしら十字架を背負って進んでいく。
原子爆弾に加えてクリスチャンが多い土地柄なのが長崎県の特徴で、ずっと以前に読んだ阿刀田高の旧約聖書を知っていますか?のヨブ記のことが改めて頭を過ぎっていた。
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