2013年7月17日水曜日

菜の花の沖(一)〜(六)

十数年ぶりに司馬遼太郎の超長編に挑む。

超長編とは、勝手に私が定義づけた呼称(あるいはどこかで眺めた記憶が刷り込まれているのかもしれない、その際はごめんなさい)で、司馬遼太郎作品では3作
「竜馬がゆく」「坂の上の雲」そしてこの「菜の花の沖」の3作
先の2作は読了しており、最後の超長編

高田屋嘉兵衛の名前は、高校で学んだ日本史に登場する。
寛政の改革と黒船来航までの間に異国船打払い令という、まことに無意味なお触れから始まる、鎖国の危機に直面していく日本の中でロシアに捕らえられ、連行されていった商人だということを覚えている

そんなわけで、かなり期待して読み始めたのだが、これが全くもって私の肌には合わない。
いや、これを書いている今、通勤の友にしている一読目では、ようやく六巻を手に取って読み進めており、嘉兵衛はロシアに捕らえられているのだが......

こちら一巻目での嘉兵衛は、生まれ故郷の淡路を抜け出し、西宮界隈で愛妻おふさと恋に夢中になり、天性の船への才能が邂逅していく人びとに見込まれ、認められているさなか。

嘉兵衛その人よりも、大航海時代を経て諸外国が船で地球の各地へ飛び出していくことが可能になった時代に日本は頑なに外交を閉ざしていること
江戸という消費のみを繰り返し、生産をすることがない都市、そこが首都という実態
農本主義の破綻
商業主義への傾斜とそれを否定している幕府政治(松平定信が代表)
そういった時代に生まれた非武士である一片の商人が送る人生を読んでいく。

【2013.07.31追記】
文庫本で一巻一巻毎に感想なりレビューなり思い出なり、感じたことを綴っていくのを信条としている当blog
常に読み返して、読み返してから綴っていくのだが、この「菜の花の沖」は、読んでいる今の年齢が合わないのか、それとも嗜好が合わないのか、幾ら読んでも頭に入ってこず。
大抵の本にはなんとか食らいついていくだけの気力も持っているのだが、この夏の暑さもあるのか?
どうにもこうにも楽しく読めなかった。

環境や性格以外にこの本をうまく読めなかった理由を挙げるとすれば、蝦夷地の地理がよく分かっていないことがあげられる。
次には、この本の主人公は高田屋嘉兵衛ではなく、商品経済だということ。
人に興味が尽きない私としては、高田屋嘉兵衛の成長の物語が読みたかった。

という言い訳を並び立てて一気に全巻のレビューというか、グダグダ感想を追記しておく。

にしんそばについて考えた
九州出身の私からすれば、とても珍しい食べ物が関西に存在する、にしんそば。
全国津々浦々を旅しているわけではないのだが、にしんそばは関西地区にしか並んでいないように思える。
蕎麦よりは、うどん文化の関西地区、にしんは北海道で捕れるもの、そんな食べ物がどうして関西に存在するのか?この本を読んでわかったような気がする。

田沼時代〜寛政の改革、そしてペリー来航まで
享保の改革(徳川吉宗)で、テコ入れしたものの、グローバルで見れば改革ではなく所詮は目先をかわしただけの付け焼刃的な改革に過ぎなかった。
農業至上主義から、貨幣を核とした商品経済へと移行していき、それに順応しようとしたのが田沼政権。
それを排除して、農本主義に戻そうとしたのが寛政の改革
しかし、時代に逆行する改革は不成功に終わり、民衆の生活は苦しくなる一方。
世界は前進しているなかで、逆行と停滞を繰り返す日本の政治
そんな狭間に生きたのが高田屋嘉兵衛であり、経済がわかる人間が経済を否定する社会で生きたという軌跡の物語でもあるのだろう。
嘉兵衛が目指したビジョンは後世の松下幸之助のビジョンと似通っている
しっかり稼いで適正に利益を得て、社会に還元していく、水道哲学と呼ばれるビジョンのことを時代を遡って司馬遼太郎が解説してくれているよう。

嘉兵衛が没してから、土佐で生を受けた坂本龍馬が彼の経済面の思想を受け継いでいったとも感じられる
嘉兵衛が龍馬と同じ時代に生まれていたら?ということを想像してみるのも面白い。

嘉兵衛を主人公にした作品で、井上靖のおろしや国酔夢譚がある(名前は聞いたことがある)
機会があれば、それを手に取ってみようかと思っている。





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