2019年5月27日月曜日

阿部一族・舞姫

40歳も超えててくると、高校生のころに教科書で「読まされた」書籍を読みたくなる作品がある。
森鴎外の高瀬舟は高校生3年生のころ、大学受験を前にして習った。
何を目的に習ったなだろう、文法なのか漢字なのか?
さっぱり思い出せないけれど、受験を目の前にして治癒する見込みがなく死にたいと願うひとに手をかけることは罪なのか?
ものすごく衝撃を受けた。
ある意味受験なんかよりこの主題のほうが大事なんじゃないのか?と思ったことを懐かしく思い出す。
古書店で森鴎外の名を見つけて、高瀬舟こそなかったけれど、この書籍を手にした。
舞姫はずっと以前本木雅弘主演で映画化されていたような?
明治、日本が欧州に追いつき追い越せと切磋琢磨している時代。その鼻息と個人の恋愛の板挟みに苦悩し、選択する主人公(鴎外自身なんだろうな)の心境が痛ましく感じた。

阿部一族は一読目ではチンプンカンプンで再読してようやく理解できた。
江戸時代(とひとくくりにしてはいけない)、特に武力統治から政治統治へ舵を切った家光時代の悲劇。
平成から令和へ時代が移ろい、仕事で交わされる言葉
自分が入力、計算、処理したファイルを目の前に「〇〇って感じじゃないですかー」と発してしまうわたしや周囲。
阿部一族の武士から「お主がなしたことではないか!」と叱咤されそう。(激励なんて絶対されない)
そういう気概が日本人の美徳、美点なんだと思う。
グローバリゼーションのなかにいてもそんな気概は失っちゃいけない。

偉そうなこと書いたが、次こそは高瀬舟を買い求めねば!

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