アンコール上映されていたものを観劇に赴いた。
この寂しげで虚ろな目。 彼女が何者なのか?をこの表情だけで 鑑賞者に語りかけている |
そのため、この映画鑑賞後の週末に発熱し、完治しないままに無理をしてしまって、ぶり返しが来て翌週末まで唸っていた。
私の中ではそういう「曰くつき」の映画
吉田修一の原作といえば、テレビで観賞した「悪人」がある。
どちらも性犯罪が物語のキーポイントになっており、これが非常に自分の中にあるサディスティックで自分勝手な欲望を覗き込まれているような感覚に襲われてしまう。
とにかく後味の悪い映画になってしまう。
ある意味この後味の悪さが、直後の発熱に多少ならずとも作用していると自己分析している。
自慢に聞こえてしまうかもしれないけれど、物語の要(またはミステリーの最大要素)は、そんなに推理を働かせなくても、ピンと来た。
(WEBに書き込まれているレビューを眺めてみたら、そういう人のほうが多い)
真木よう子が扮した主人公の女の心情が男性側からすれば、理解するには難しい。
憎悪と愛情は紙一重「Thin Line Between Love And Hate」という曲が「The Pretenders」の持ち歌にあるけれど、そういうものなのかなぁ、と。
男の方に視点を合わせてみると。
女優さんでありながら、足をピカピカに することなく、生活感の溢れるような ちょいとくすんだ感じの足 まったくもって心憎い演出方法である |
後悔を感じさせるシーンを見いだせなかった。
償いの気持ちは、彼が「幼児殺害事件」の罪を認めるシーンが帰結点。
ただ、個人的にはこの行為は、男の自己満足的な印象に映る。
かつて90年代に流行したトレンディドラマで吉田栄作がミルクまみれになって赦しを乞うシーンを連想してしまい、男であれ女であれ、かほどまでにマゾヒスティックな振る舞いには嫌悪感が強く作用してしまう。
性犯罪は残念ながら増加傾向にある。
男と女が存在する以上、根絶することはできない。
男である身としては、そういう歪んだ欲望を抑えるためにこのような正面から性犯罪による加害者と被害者の物語を観賞できたことを糧にしていきたい。
劇中に加害者の男が、既に過去のものとして、且つ彼の武勇伝として語り出す。
このような輩が増えないように願うしかない。
父親としての身としては、陽の当たる場所で生きていって欲しいと願う。
大森南朋が演じた記者と、鶴田真由が演じた冷えきった夫婦関係に、どうしてそうなってしまったのか?を考え込んでしまった。
劇中では、かつてラグビーの花形だった渡辺(大森南朋)がけがによるリタイアから転職へと至り、そこでの軋轢を残したままに妻(鶴田真由)との関係が希薄になり、愛情の領域が小さくなり憎しみの領域が拡大してしまったのだとしていたけれど。
寧ろこの夫妻の関係の変化をもっと観てみたかったなあ、と思っている。
原作を手に取ってみようと思うのは寧ろこちらの夫妻のことが行間からでもいいので何か滲んでいてれば、と考えている。
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