2013年6月2日日曜日

オーデュボンの祈り

初「伊坂幸太郎」作品の読破。
ここ10年ほど、読書の大多数が「時代小説」か「歴史小説」に分類されてしまうものばかりを読み耽ってばかりで、世知辛いこの浮世に嫌気が差す。
まぁ、時代小説でネガティブに例えれば「現実逃避」を繰り返しているのだし、ポジティブに例えれば「頭の中でタイムトリップ」を繰り返している。

そんな私ですら、伊坂幸太郎の名前は良く目にする機会に恵まれている
テレビドラマの表題で見かけたことがあるし(魔王だっけ)、映画では「重力ピエロ」、そして堺雅人主演でいそいそと鑑賞に赴いた「ゴールデンスランバー」

2013年初、ささやかながらに心に誓ったことが
「今年は100冊の本を読む、そのうち、1割は現代小説を」という誓い。
ゴールデンウィークに「ケケケ」と言いながら読んだ筒井康隆の本も広義には現代小説だから、絶対冊数は目標到達は厳しいけれど、現代もの1割は達成できそうなペースではある。

で、この「オーデュボンの祈り」
一度目に読んでいる最中に何度も挫折しかけた。
「荻島」の世界観に今ひとつ(いや今ふたつくらい)馴染めなかったから。
そりゃ、そうだろう、と自己弁護する
徹底したリアリストである私が、このありえないファンタジーワールドには首を傾げざるを得ないし、大川(荒川)の橋渡しをしている江戸時代の住人の世界に浸っている者が、この不可思議な世界をイメージできなかったのだから。
それでも、意地で頁を捲っていった。
「なりふり構わず」といった例えが自分で適確だと思えるほどに、タックルを食らっても前に突進していくラガーマンのように。
そして一度目読了。

結末を知ってから、もう一度読んでいく。
当然なことだが、登場人物の像がより鮮明になるし、荻島の世界と仙台のリアルで悪意に満ちた世界を往復することが可能になっていた。
下賤な思考の持ち主でもある私としては仙台の彼女(静香)に迫る危機にドキドキしながら。

この本を読んだだけでの伊坂幸太郎の印象は村上春樹と通じるものをあるなぁ、ということ
比喩の表現、それから現実と架空の世界の往復、そういった「あれれ、なんだなんだ」的な不可思議な感覚を味わせてくれるのは、村上作品と同じようだ。
それから、(読んだことも観たこともないのだが)「ワンピース」の絵が頭に浮かんでは消え、消えては浮かんできた。
中でも「桜」の印象はワンピースにもこんなキャラクターがいるんではなかろうか?という感覚に襲われっぱなだった。

うーん、この本結局のところ「感覚」で読んでいけばいいのかなぁ
「感覚」という単語をやたら書いてしまっているように思えて仕方がない。

引き続き、伊坂作品は読んでいこうと考えている。
たまには、「今」を感じる小説を読んで現代社会に馴染まないと。




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